現 - Generator’s Folk Tale
レイン。どうか書くことをやめないでね。
雨の日が来るたび、わたしはレインのことを想う。天からの雫は彼女の涙。こんなことは日記帳にしか書けない。きっと誰もが冷めてしまうから。
あなたにはわたしにないものがいくつもあったよ。黒真珠を思わせる闇色の瞳を分厚い硝子板で遮り、よく似合う三つ編みはいつも同じ長さを保っていた。きっとあなたは知らないでしょう。男子たちのささやき。プールの日、眼鏡を外し三つ編みを解いたあなたを見て、あんな美人だなんて思わなかった、とかなんとか。外野はなにもわかっていない。
小説を書きたいんだ。そうあなたは言っていたよね。そのためにタイピングの練習をしていたことを知っている。競技大会で他を圧倒する1200KPMの打鍵音はアサルトライフル。レイン、人間辞めるならもうちょっと丁寧に辞めてね。
わたしには容姿以外なにもなかった。中身は空だ。図書室で本を読む。未来のためにそうする。そして男子たちがわたしになにか言ってくる。刹那の関係。それ以上に意味のないものを求めて。
くだらない。この世のすべてが。
本を読むほどに絶望した。価値がわからなかった。この世界の価値が理解できない。わかるのはブラックホールのことだけ。いずれすべてを吸い込んで潰してしまう天体。それにどうしようもなく惹かれた。くだらないこの世のすべてがいずれそこに収束するなら、それはとてもすがすがしいことのように思えた。
でも、それは間違いだった。
レインの瞳の中にそれを見たとき、わたしが覚えたのは恐怖だった。小説を書きたいんだ。そう語るあなたの瞳こそ、本物のブラックホールだ。
ある晴れた日のこと。真っ黒な服に首輪をつけた変なひとがわたしに話しかけてきた。わたしが110を叩く前に、彼は言い切った。
「お前には選ぶ権利がある。
渡された上等な蒔絵の万年筆には〈天は二物を与えず。されど一物を求むならば、新たなる一物を捧げよ〉と書いてあった。
小説を書きたい。
それがレインの底知れぬ闇を癒す手助けになるなら、わたしはなにを引き換えにしても、もうひとつ物を手に入れたいと願った。
翌日、わたしが触れた目覚まし時計はアンパンマンのマーチを熱唱しながら爆発した。慌ててスマホで119を叩こうとしたけど、林檎マークのその端末は、子犬みたいな鳴き声を出してそれっきりになった。
天が機械と見做すすべては、触れるだけで壊れてしまうようになった。そしてあらゆる小説のおさめられた扉が頭の中にしつらえられた。それはいつでもどこからでも解き放つことができる。出力に使うのは鉛筆。シャープペンシルは機械判定らしく、触れるとバネが弾け飛び、消しゴムがその辺の男子の目に直撃した。彼らは幸せそうだったのでよしとした。
自転車にも乗れなくなったわたしは、歩きかスケボーの極端な二択を迫られた。わたしはスケボーを選んだ。街では気をつけなければならない。うっかり車に触れると、その車は故障した。一度、危険運転をしてくるタクシーにタッチしたことがある。それはスピンターンをしながらコンビニに突っ込んで爆発炎上した。怖くて逃げた。ニュースになった。暴走車コンビニに突っ込む。この事故で運転手とコンビニ店員、真っ黒な服に首輪をつけた変なひとの三人が亡くなったらしい。わたしはとんだ死神になってしまった。
でも、これできっとわたしはレインの助けになることができる。
あなただけの小説を書く、そのいしずえに。
わたしは公募を口実として、レインに原稿を打ってもらうことにした。わたしは彼女の前で書く。鉛筆で。
「おまえはいいよな」とレインは言う。「ボクにはとてもできない」
「なに言ってんのさ。レインにはアサルトライフルがあるでしょ」
「なんだそりゃ」
「打鍵のこと」
「修行すればだれでもできるよ」
できません。
「ねえ、
「なんだい。慰めならいい」
「好きだよ。大好きだよ」
「わかってる」
「だからだいじょうぶ」
「なにが」
「ううん。なんでもない」
そしてわたしは、あなたに一番必要な小説の扉を開いては、この手を使って紙に書き記す。時に鉛筆を二刀流にして、時に口述を交えて。あらゆる手段であなたに伝える。これはあなたの小説。天にわたしの一部を差し出し、あなたに捧げる物語。
きっと伝わらないんだろうな。
そう思って独り笑う。
いずれわたしにはわがままの報いがやってきて、向かう先は地獄だとわかってる。もうすでに三人やっちゃったし。だから最後はもっと派手に終わるんだろうなと思ってる。
だからここにこの文章を残しておく。ちゃんとしたわたしの言葉で。
レイン。
あなたにもきっと、あなただけの小説が書ける日が来るよ、と。
夢現 - Writer's Folk Tales サクラクロニクル @sakura_chronicle
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