夢現 - Writer's Folk Tales

サクラクロニクル

夢 - Converter’s Folk Tale

 ペンネーム、どうする?

 水無月雨音。

 なんて読む? みなづきあまね?

 ううん。これはレイン。

 は? だめだよ。

 いいじゃない。わたしが好きなんだから、これくらい。


 あまねとはそんな話をしたこともあったね。

 きみはボクにないものをいくつも持っていた。まるで黒曜石みたいに透き通ったロングヘアは曲がるということを知らず、瞳の色は藤色。いつも硬いカバーの本を携えて、図書室に初めて入った男子を一目惚れさせ、失恋という人生経験を積ませる達人だった。

 そんなきみの弱点は、機械に触れると壊してしまうこと。林檎マークのスマホの電源を撫でるだけで落とし、2度と再起動させなかった。大陸から渡って来た機種を爆弾にしてしまったこともあったね。だからパソコンなんてもってのほかだ。

 だからあまねは、自分だけでは小説家になれなかった。

 きみに原稿用紙の中身を電子データ化して欲しいと言われたとき、なに言ってるんだろうと思った。でも考えてみればそうだ。機械に触れたら壊してしまうんだもの。応募原稿を電子化しなければいけない昨今では致命的な欠陥だと言える。

 そんなところも含めて、ボクはあまねがうらやましかったよ。


 水無月雨音は女性向けのライトノベル新人賞をいくつか取り、受賞作は売れて続刊も出ることになった。ネックになるのは、原稿をアナログでしか出力できないという点にあった。

 彼女は速記のために命を削った。鉛筆を2本持って2行同時に書くという神の技を見せてくれた。やっぱり人間辞めてたか。ボクはその努力を無駄にせぬよう、書かれた原稿をすぐさま電子データ化する作業を担っていた。これは自慢だけど、ボクのタイピング速度は秒速18キー。あまねが書こうとしている文字さえわかればボクの方が早く入力を済ませることさえ不可能じゃない。

「いやになっちゃうね」

 あまねがそうこぼす。無理もない。あまねの原稿は綺麗だ。つまり初稿が完成形ってこと。もしあまねに機械破壊体質がなければボクなんて必要ない。秒速8キーの入力速度で8時間労働と考えても、2日あれば並の文庫本1冊分くらいは打ち込める。

「引換券ってやつかもね」とボクは冗談をいった。

「そうだよ」とあまねは本気で答えた。

「あまねの並行処理能力があれば、あるいは」とボクはまだ冗談を続けているつもりで言った。「書きながらしゃべることで口述筆記がいけるかもね」

「それだ」


 こうしてボクはデュアルモニター・デュアルキーボードで2作品を同時執筆するということを始めた。正直、ただ入力するだけとは言っても過大な負荷のかかる作業だ。あまねの言葉を一音も逃さず聞き取って入力しつつ、原稿用紙に書かれている文字を読み取って打ち込む。そうしないとあまねの速度についていけない。

 こんな生活を二年ほど続けていたら、水無月雨音はベストセラー作家になった。

 そして、死んだ。睡眠不足でふらふらしながら出て行ったあまねの後姿が、ボクの見た最後のきみだ。


 あまねの死因? うーん、なんだろうね。交通事故と言いたいところだけど、まあ爆死というあたりが正しい判断だと思うよ。車にはねられて、そのあとに駆けつけた救急車に乗せられたときに、電子機器に触れてしまったんだろうね。連鎖的な爆発が起こって救急隊員を含む大勢が亡くなった。ボクはあまねの機械破壊体質のことを警察に話したけど、誰も信じてはくれなかった。そりゃそうか。結局、あの事故の原因はいまでもよくわかっていない。


 それからきみの遺稿が探されたとき、困ったことが起きた。まあ察してるだろうけど、あまねの書いた作品のうち、片方は生原稿があったが、もう片方は電子データしか存在しなかった。そしてどの作品も入力したのはボクだ。

 ねえ、あまね。ボクはね、本当は自分で小説を書いてみたかったんだ。でもそんな才能はボクにはなかった。小学校の作文にまるでだめで賞を与えられたときから、ボクは作文そのものがトラウマになってる。だからあまねの書く物語を打ち込んでいるとき、アドレナリンハイになって幸福を感じることができたんだろうよ。

「教えてよ。次はなんて打ち込めばいいのさ?」

 問いかけても墓石は答えてはくれない。

 いまでもあまねはボクにだけ甘えて、墓石のそばではスマホが動作不良を起こす。ボクはきみの墓にもたれかかっては、原稿用紙を石に押しつけて作文ってやつをやってみようと努力する。そうしているうちに日は暮れて、ボクは無力感と共に意識を失う。そしていつも決まった夢を見るのだ。


 ねえ、ミナヅキレイン。

 好きだよ。大好きだよ。

 だからだいじょうぶ。

 あなたにもきっと、あなただけの小説が書ける日が来るよ。

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