事件簿には書けない様な

待居 折

某月、某日

「なぁるほどね…」


 落胆をひた隠し、それっぽい返答で俺は茶を濁した。こんなのは依頼でも何でもない。ただの相談事だ。


 もっとも、隣の席にいる女性は、こっちの真意には気付いていない。

 何杯目かのビールがそうさせているのか、もしくは…ちょっと鈍感なたちなのか。綺麗と言うよりは愛くるしい顔を赤く染め、こっちが動揺するぐらい、ぐいぐい近づけてくる。


「そうなの…いやね?別に今のところ何かが起こったってわけじゃないから、放っておけば良いんだろうけど…何かあってからじゃ遅いでしょ?今、物騒な事件多いし。みんなで『やっぱりなんとかした方が良いよねー』なんて話してたんだよ、今日も」


「それは丁度良かった…のかな、俺がいて」


 良く動く口に感心しながら燗酒をひと口すすろうとすると、俺の背中をばしんと叩いて、そのセミロングは、ぐっと親指を突き立てる。

 推定三十代前半。俺と同じぐらいのはずなのに、動きが古い。


「丁度良かったなんてもんじゃないよ!まさかしょっちゅうここで見かけるあんたが探偵やってただなんてねぇー…ただの失業者かと思ってたけど、話してみるもんだよ、うん!」


「…あんた、結構失礼だな」


 勢いに呑まれたくなくて言い返してみたが、それすら彼女には程良い酒の肴のようだった。美味そうにジョッキを傾けた後、俺を見てにんまり笑う。


「あはは、確かに!ごめんごめん、良く言ってきかせるね!」


「誰にだよ…あんたに言ってんだよ、あんたに」


 ぼやきながらほおばったすじ煮込みが、ほろほろと口の中で崩れていった。




 彼女の名前はねい子。その名前も、この立ち飲み屋の裏手にある町工場、浅岡製作所の一人娘だという事も、さっき初めて知った。だが、彼女の姿自体はここで何回か見かけた事があった。

 きっと向こうも、俺と同じ認識だったんだろう。いつもの様に店の隅でちびちびやっていた俺に、寧子は突然声をかけてきた。

 酔いに任せて喋る彼女からこぼれたのは、ちょっとした相談だった。


 彼女の会社に、書類を届けに来るバイク便の男がいる。その男が、どうやら彼女の同僚を気に入ってしまっているらしい。

 一般的な町工場の例に漏れず、彼女が働く事務所は手狭で、彼女やその母親である副社長を含め、カウンターの奥で働く従業員は数人いる程度。


 男はその数人の内の一人、一番社歴の浅い子に目を付けた。書類を届けて受領印を貰う、たったそれだけの時間だが、事務所の一番奥で働く彼女から、ひと時も目を離さないのだという。


「彼女、大人しくてあんまり話さないんだけど、華があるタイプ…って言えば良いのかな。美人だし若いし…まぁね?これが五年前だったら私が狙われてたと思うんだけどさ」


「その補足情報はどうでもいいよ。…で、どうして狙われてるって思うんだ?」


「女の勘…って話なら、まだ笑い話なんだけどね」


 さっきまで明るかった寧子の顔に、わずかな影が差した。


 今日、外に並ぶ鉢植えに水をあげようと事務所を出ると、小路を挟んだ建屋の影から、その男がじっとこちらを見ていた。

 正確には「こちら」じゃない。ガラスの入り口の奥、丁度遠目に見える彼女を凝視していた様に思えた…と、寧子は主張した。


「それにね、私が気付いたら慌てて立ち去ったんだよ。どう考えてもおかしくない?しかも普段着なの。こんなの、事件の一歩手前じゃない?」


「どうかな…ただ単に告白する気なんじゃないか?人の恋路を邪魔する奴は…なんだっけな…忘れたけど、邪魔せずに様子見てやったらどうよ」


 状況証拠として考えても、一概にその男が危険だと断定は出来ない。

 私服でうろついていたのも彼が休日だったのかもしれないし、事務所を見ていたのだって、たまたま通りかかってなんとなくかもしれない。


「うーん…そんな純愛みたいな雰囲気じゃないんだよねー…何もないなら良いんだけど…」


 頬杖をついた寧子は、空になったジョッキを物憂げに見つめていた。




 数日後。


 危うく停まるところだった電気代を支払った俺は、いくらか気分良く事務所へと戻る途中、ふと寧子の話を思い出し、大通りを裏へと入った。

 狭い道の両側を小さな工場が埋め尽くし、機械油の匂いがじわりと立ち込める。旋盤やプレス機の賑やかな音が方々から聞こえてくる中、看板を頼りに歩いた。


 小さな町工場が、大々的に看板を掲げている事はあまりない。浅岡製作所も、大きく口を開けた作業場の隣、事務所の壁に、申し訳程度のそれを掲げている程度だった。


「…ここか…」


 思わず足を止めた時、「ご苦労様ですー」と中から送り出されて、一人の男が出てきた。その身なりから、これが噂のバイク便の男だとすぐに分かる。


 暗い顔をした男はちらりと俺を見た後、エンジンをかけたままのバイクに跨る。小路を走り出すその直前まで、じっとりとした視線はガラスのドアの奥に終始向けられていた。


「ねぇ、見たでしょ?今の、今のが例の!」


 ドア越しに気付いたのか、寧子が事務所から飛び出すと、挨拶もそこそこに駆け寄ってくる。


「あぁ、見たよ」


「探偵の眼から見て、彼、どうだった?」


 問われた俺は、率直な印象を述べる。


「まぁ…普通の人に見えるな。ちょっと暗そうだけど」


「なによその感想…そんなんだからろくに仕事が来ないんじゃないの?」


「ほっとけ」


 頬を引膨らませる寧子をよそに、俺もまた、ガラスのドアから事務所の奥へと目をやる。

 入り口に背を向けて、噂の女性はデスクに向かっていた。黒いショートカットで線の細い後ろ姿が、いかにも儚そうに見える。


 この騒動にいよいよ足を突っ込んでしまうと、何か手を打たなければならない気がしてきた。

 だが、事件と呼べるほどの実害もない。消化不良の様な心持ちのまま、しばらく寧子と雑談をした後、帰路についた。


 奥に目をやったまま「あの子、近所にお住まいですか?」と男が口にしたのは、その三日後だった。寧子は、笑って流すのが精一杯だったそうだ。




「いよいよ思いを伝えるつもりになったのかもな」


 とは言ってみたものの、俺は勿論、寧子も、どうしてもそう思えていない様子だった。肉じゃがをつつきながら、向かいで口を尖らせる。


「だとしてもちょっと気味悪いでしょ、急にだよ?『サインお願いします』以外、今までろくに話した事もないのに」


「でも…流石に、急に何かするって事はないだろ。そんな危ない人間だったら、もう既に何かしてるって」


「物騒な事言わないでよ、怖いなー…すいません、生ひとつ」


 おかわりを注文する寧子に、それとなく言ってみる。


「もし本当に心配なら、もう警察の世話になるべきなんじゃないか?」


「無理でしょ。警察は民事不介入なんだから」


「へぇ…詳しいな」


「お父さんに付き合って、刑事ドラマばっか観てた時期あったからね」


 寧子は誇らしそうに胸を張ってみせる。


「そもそも警察って、被害が出ないと動かないでしょ、こういう時。だからあんたに相談してんじゃない」


 ぐいっとジョッキをあおると、寧子は座り始めた目をじろりと俺に向けてくる。


「ねぇ、何か良い案無いの?細々とでも探偵でやってるんだから、こういう時になんとかする案のひとつやふたつ、あるもんなんじゃないの?」


「細々は余計だ」


 お猪口の底に残った日本酒を見ながら、俺は考える。

 男の狙いは分からない。本当に告白する為だった…というのが一番問題ない展開だが、最悪のシナリオも、可能性としてはゼロじゃない。なにより現状、男の挙動が怪しいのも確かだ。

 とは言え、むやみやたらに人を疑うのも違う気がする。もう少し事情の詳細を知る必要があった。


「…バイク便とその彼女は、直接話した事はあるのか?」


「ううん、ないよ。いつも書類を受け取るのは、カウンターに一番近い席の私だから。あと話した事あるのはお母さんぐらい…じゃないかな」


「バイク便、会社に来る様になってどれくらいだ?」


「そうだね…一年ぐらい…になるかなぁ…」


「その狙われてる彼女が入社したのは?」


「え、つい最近だよ。試用期間終わったばっかだから、もうすぐ四か月目」


 聞いた話を取りまとめた俺は、妙案を思い付くと口を開いた。

 …ただ、俺はこの時、既に日本酒を熱燗で二合以上開けてはいたが。




「いやぁー…流石は名探偵だよ!助かったわ、本当に!今日は私驕るからさ、好きな発泡酒、飲んで良いよ!」


「…結局、発泡酒だけOKって事な」


 それでも、戦利品は戦利品。勝ち取った発泡酒を流し込むと、俺は口角を上げた。


「皆、上手く演技出来たのか?」


「勿論!いやぁー…あんたに見せたかったね、私の渾身の怯えっぷり」


 さも楽しそうに笑うと、寧子は満足そうに腕を組む。




 バイク便の男に今以上踏み込ませない為、俺が提案したのは、「狙われている彼女を幽霊に仕立てあげる」というものだった。



 事務所の全員で口裏を合わせ、男に何を言われても、とぼけた顔で、

「そんな子、うちにはいませんよ?」

 と白を切る。


 あまりにしつこい様なら、

「ちょっとやめて下さいよ…何が見えてるんですか…?」

 と、必要以上に怯える。


 男も怯えたところを見計らって、

「ごめんなさい、実はドッキリでした!もう結構長い間来てるのに、バイク便さん全然話さないんで…私の提案なんです。言いにくいんですけど、皆から…『ちょっと怖い』…って話が出てて」

 と、釘を刺しながらネタばらし。


 方法は簡単だが、迫真の演技力が求められる。提案者が言うのも何だが、こんな馬鹿げた話が娘の一声ですんなり通るあたり、きっと雰囲気の良い職場なんだろう。




 話し下手の寧子から聞いた顛末をまとめると、こうだ。


 当日、バイクの音と共に、全員で「来たよ、来たよ」と大騒ぎした。なんでも、俺が提案した翌日には事務所の皆に計画を話し、早速演技プランを練ったらしい。随分と暇な会社の様だ。


「…彼女、正社員ですか?」


 案の定、男はサインを貰うと、すぐにその話をし始めた。


「あの…こないだも何かそういう話、してましたけど…誰の事言ってます?」


「正面の、…窓側向いてる子です」


「え?あれ、うちの母親ですよ」


 一度とぼけてみせると、男はあからさまに苛立った様子を見せた。


「じゃなくて。その、隣の」

 

「隣…は、空いてますよね、誰も座ってないでしょ?」


 更にはぐらかすと、男はぐいと身体をカウンターの上に乗り出してきた。その眼が血走っていて、あぁ…やっぱり普通じゃないのかも、と思ったそうだ。


「いやいるでしょ、あの細い子ですよ、そこの髪の短い」


 書類を届けに来た会社で、そこの従業員に見せる異常な執着。場面を想像するだけでも、およそ普通の感じじゃない。 


「ちょっと、落ち着いて下さい!お母さーん、バイク便の人が何か言ってる!」


「はいはい…どうしました?」


 ここで母親を呼んだのは、「本人たっての希望」だそうだ。寧子の母親は、大学生の頃、演劇サークルにいたとか、いないとか。


「いえ、そこの奥の事務員さんにちょっと用があって」


「…そこの…?誰の話?」


 わざとらしく眼鏡を上げた母親の言葉に乗っかる様に、寧子は畳みかけた。


「え…ちょっと、もしかして…バイク便さん、なんか…そういうの、見える人?」


「馬鹿な事を言うな!俺は普通の人間だ、彼女だってそこにいるだろ!」


 大声でわめく男を、「うるさいから蹴っ飛ばしてやろうかと思った」そうだが、ここで一斉に、他の従業員たちが援護に入った。


「疲れてるんじゃないですか?早く戻って休んだ方が良いですよ?」

「やだ、怖い話…?毎日来る会社に、お化けがいるって事…?」

「え?この席…ですか?段ボール置いてあるだけでしょ、ね?そうだよね?」


「あの、ごめんなさい…お伺いしますけど、本当に、…何が見えてるんですか…?」


 寧子が怯えた顔を作って問いかけると、顔を真っ青にした男は、後ずさる様に事務所から駆け出していった。




「で、そこで皆で『やったー!』って」


「ちょっと待った、ネタばらししてないのか?」


 焦りを隠せない俺をよそに、寧子はふふんと鼻を鳴らす。


「どうせ今週、また来るもの。そん時で良いでしょ」


「…なんだか気の毒に思えてきたな…これで逆にヒートアップしなきゃ良いけど」


「大丈夫。私がきちんとお灸据えるからさ。…それにね、」


 ほろ酔いの寧子は、運ばれてきたジョッキを何とはなしに見る。


「あの様子じゃ、やっぱり告白とかじゃなかったんだよ。ひょっとしたら好意はあったのかもしれないけど」


「そっか」


 男の雰囲気や、その場の空気。そこに居合わせた人間にしか分からない事もある。俺は寧子にもうそれ以上言う事はなかった。




「でね?その彼女がさ、どうしてもあんたにお礼言いたいんだって。今度連れてくるからさ、一緒にお酒、飲んで欲しいんだ」


「そのぐらいなら構わないよ。ただ、ご馳走は出来ないからな?」


 予め念を押すと、寧子はにっこり微笑んだ。


「分かってるって、零細企業の個人事業主さん。そうと決まったら日取り決めなきゃね。いつが良いかなぁ…」


 寧子が取り出した携帯の画面が目に入る。

 しげしげと見入るつもりはなかったが、思わず「え」と声が出た。俯いていた顔が俺に向けられる。


「なになに、どした?」


「…そこに映ってるのが噂の彼女か?」


「そうそう、この子!美人さんだよねー、切れ長の目元とかさ…お、今日は仕事終わりに映画観たのか」


 鼻歌交じりの寧子が開いたSNSの写真から、俺は目が離せなくなっていた。


 そこに映っている若い女性は、栗色ロングの髪だった。ウィッグかとも思ったが、無数に並んだ写真のどれもが、その髪型、髪色だった。



『あの細い子ですよ、そこの



 写真の子を見た覚えはない。

 だが、男が言っていた様に、髪の短い後ろ姿なら、俺も確かに見覚えがあった。



「…ごめん、急用思い出した…」


「えぇぇ?!なに、どしたの急に?!まだ来たばっかりでしょ?!」


「いやもう…ちょっと怖くて…酔いも一気に醒めたわ…」

 

 にわかに粟立った身体を感じながら席を離れようとする俺の腕を、寧子はがっちりと掴んだ。


「なに、怖いって…訳分かんないんだけど。私に話してみ?」


「止めとく。っつうか、止めといた方が良い、マジで」


「何その思わせぶり?!そういうの良くないと思うなぁー…ほら、話して話して!」


 超人的なしつこさで食い下がる寧子との押し問答は、この後小一時間続いた。



 そして、この件をきっかけに俺は寧子と付き合う事になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

事件簿には書けない様な 待居 折 @mazzan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ