権限と回線

 カップをテーブルに戻す。軽い音が部屋に響いた。


「お代わりを」


 アヤコがそう呟いた。しかし誰もそれに反応しないことで、部屋に給仕やメイドがいないことを思い出したようだった。取り繕うように咳払いをしてリショーのカップに手を伸ばす。


「もう空でしょう。遠慮なさらないで」

「飲み干すのは礼儀がないか? 確かそんな記事をどこかで読んだ」

「節約家が好むマナーですわね。高い茶葉を使いたくないので、飲み干さないことを礼儀としているのです」

「そりゃいい。アタイも今度からそれを使おう」


 相手の冗談に同調してリショーは軽く笑った。陶器のポットから琥珀色の紅茶がカップへと注がれる。


「幽霊に狙われているのに気付いた、とはどういう意味でしょう」

「架空のアポイントメントはそれだけじゃなかった。いくつも存在していたんだ」

「約束の時間に人が訪れなければ受付嬢が気付くのでは?」


 カップをリショーの前に戻しながらアヤコは疑問を口にする。


「どうだろうな。毎日何個も入ってればおかしいと思うかも知れない。でも一ヶ月のうち一つぐらいだったらアポイントメントの時間に誰も来なかったとしても、遅れているか忘れているかで気に留めないだろうさ。あんな予約のやり方じゃ」


 四条界はシオザキ財閥に入り込んで間もない新興会社である。同じように財閥にすり寄りたい経営者や政治家などにとっては、真に財閥の一員であるような上流階級の人間よりは取り入りやすいだろう。恐らくそのような類いのアポイントメントはいくつもある。そのうちの一人か二人が来なかったとしても、アコヤ社長がそれに気付くことはないし、受付嬢も気に留めない。


「アコヤ社長は幽霊を認識した。いや、誰かが幽霊を自分の周りに作り出していることに気がついた。誰が一体何のために? たかが悪戯にしては手が込みすぎている。そもそも悪戯ってのは仕掛けてからすぐに相手に気付いて貰わなきゃ興ざめだ。でも金線組の親父さんの件も、架空のアポイントメントの件も、すぐには気付かないようになっていた」


 リショーは紅茶を口に運んだ。先ほどよりも随分と渋く感じた。一度口を離してカップの中を見ると、茶葉がいくつか漂っているのを確認出来た。


「では誰がそんなことをしたのか。ここで重要になるのは金線組の親父さんの件だ。普通、カラクリに残される伝言ってのは、どこの誰から届いたものなのかわかるようになっている。当たり前だけど、知らない人の番号で「もしもし、こちら金線組ですが」なんて伝言が入っていたとしても、それこそ悪戯だとしか思われない。伝言は正規の番号を使って残された。息子が犯人でないなら、誰がそんな真似を出来る?」

「普通の人ではまず無理ですね」


 横でチサトが口を開いた。その前に置かれたカップにはまだ紅茶がなみなみと入ったまま、水面に天井が映っている。


「少なくともネットワークに入り込めるほどの権限、技術がなければ成立しません。メイジの頃にはまだまだカラクリ同士の「防御」、プロテクタアが脆くて、意図せず他人のカラクリに便乗してしまうという事故もあったそうですけれど、四代目イチカワ・アミジロウによってその問題が解決されて等しいですから」

「プロテクタアの詳細な説明まではいらないだろ」

「すみません、記者の性です」


 リショーの苦言をいつものようにチサトは涼しげに躱す。


「金線組の前社長が使用していたカラクリの回線は、会社のものでもありました。なので亡くなってからも解約はされていなかった。通常は死亡届を出すのと一緒に停止手続きを取りますが、会社の連絡用として使っていたので息子さんも解約はしなかったのでしょう。さてこの場合、この回線は会社のものとなりますので、法人回線となります」

「えぇ、それぐらいはわかります。これでも会社をいくつか持っていますから」

「それであれば話は早いですね。金線組の法人回線は、買収した四条界の管理下にあった。つまり四条界はその気になれば金線組の回線をどうにでも出来たわけです」

「それは言い過ぎではないかしら」


 アヤコが穏やかに否定を入れる。


「どうにでも出来るというのは、少し誇張しすぎよ。せいぜい停止させるとか、音声転送させるとかでしょう」

「それぐらい出来れば十分ですよ。財閥のご令嬢にとっての「どうにでも」は随分と大きな意味を持つようですね?」


 例えば、とチサトはわざと緩慢な口調で続ける。


「複数回線を統合して一つの親回線の制御下に置いたりしますか? 全ての回線の通話記録や通信内容を把握するために」

「……貴方」


 アヤコの眉間に浅く皺が刻まれた。チサトは少し前傾姿勢になり、両手を膝の上で軽く組む。そういう動作は女らしくなく、元の性別と職業を如実に現しているように見えた。あとは足を少し広げていれば完璧だが、女物の着物では流石にそこまでは出来ないようだった。


「要するに、四条界が金線組の回線に介入出来るとするならば、四条界が属するシオザキ財閥がそれらの回線を操ることも可能なわけです。死んだ人間を装うことも、架空の約束を取り付けることも」

「何を仰りたいの?」


 凜とした声だった。そこに焦りはなかった。怒りの感情が声を縁取っている。しかしチサトはそれには取り合わずにリショーの方を向いた。


「そういうことですよね、リショーさん」

「代理で説明ありがとう。お陰で紅茶を飲む暇が増えた」

「お待ちなさい」


 礼を述べるリショーを遮るように、アヤコは憤った声を出した。


「急に何を言うのかと思えば。それではまるでシオザキが、その……幽霊を生み出したとでも言っているかのようではないですか」

「そう言ってるんだよ」


 躊躇いもなく容赦もなくリショーは告げた。その瞬間、柱時計の長針が頂点を指し、時刻を告げる鐘の音が部屋中に響き渡る。部屋の広さに対して大きすぎるのか、あるいは舶来製特有の大袈裟な自己主張なのか、鐘の音は部屋中に反射して神経を逆撫でするような余韻を響かせる。


「幽霊を作り出したのはシオザキ財閥だ。アコヤ社長はそれに気付いたから殺された」


 音の余韻の中、リショーは口元に笑みを浮かべながら相手を見据えた。アヤコはそれには視線を合わせず、少し天井へと反らす。その姿はまるで反響する鐘の音を全身で浴びているかのようだった。

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Suger&Solt 淡島かりす @karisu_A

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