経緯と整理
それを聞いたときのアヤコの顔は、喜怒哀楽のどれともつかず、かといって無表情なわけでもない中途半端な様相を成していた。恐らくは彼女自身、どういった表情を作れば良いのかわからなかったので、そんな風になったのだろう。
そういった、どこに分類するべきかわからない表情というのをリショーはこの数日沢山目にしてきた。常に目の前に鏡があったなら、間違いなく己の表情もそれに加算していた。要するに今回の事件はそういった類いのものなのだと、改めて思わざるを得ない。
「どういう意味でしょうか。まさか幽霊が呪い殺したとでも?」
「それでも面白いけどな。呪いが存在しないとは言い切らないが、今回はちょっと違う。というか幽霊という表現を使っているけど、お岩やお菊みたいなもんじゃない」
「いまいち話が掴めませんわ。もう少し詳しくお願いします」
アヤコは丁寧に言ってはいるが、どうしてもその向こう側にある命令の意思は隠せていなかった。リショーとしてはそれは全く構わなかった。依頼者に妙に謙られると、能力を見くびられているかのようで腹が立つ。それも上流の人間が相手となれば尚更だった。
「そこに存在してはいけないもの。それが幽霊だ。今回の事件にはその幽霊が深く関わっている」
リショーは短く息を吐いてから続けた。
「どこから話せばわかりやすいか、色々考えてたんだよ。でもどうやったってすんなりとはいかなそうだ。だからアタイたちが聞いてきた話から説明させてもらう。四条界に現れた幽霊の話からだ」
「アコヤ社長の幽霊でも出てきましたか?」
「残念ながらご存命の時だよ。四条界は数ヶ月前に、金線組という会社を買い取った。買い取ったと言っても半ば騙して奪い取ったようなもんだ。その手口はアタイよりあんたのほうが詳しそうだけどな」
アヤコは眉間に皺を寄せた。
「えぇ、不本意ではありますが。ですが、一国一城の主に簡単に口出しを出来るものではありません。どなたにもその……心というものがありますから」
「上品なこった。まぁ別にその手口についてどういう言うつもりはない。大事なのは金線組の社長である親父さんが自殺したこと、その死後に奇妙な出来事が起きたことだ。死んだ親父さんから知り合いに連絡があったんだとさ」
「どういう手段で?」
「カラクリだよ。親父さんが死んだと知らない人間がカラクリに伝言を残したら、その返事があったって話だ。息子が話してくれたよ」
「息子さんが……」
そう呟いてアヤコは首を傾げた。
「失礼ですが、息子さんがお父さんの振りをして連絡をしたということはありませんか?」
「何のために?」
「その、一種の冗談として」
「笑えないし意味が無い。悪趣味を持ち味にしているような人間にも見えなかったけどな」
「人は見かけによらないと言うではありませんか。お隣の方のように」
アヤコの言葉にチサトは少し目を見開いた。相変わらずこの女主人が苦手なのか、目の奥にある嫌悪を隠しきれていない。
「見かけだけの話をするなら、皆さんそうだと思います」
それでも言葉遣いは丁寧にチサトは言い返す。
「死んだことを知っている方に連絡するのであれば、まだ悪戯として成立するでしょう。実際、そういう悪戯は世の中に存在します。しかし、死んだと知らない人間への連絡に死者を装うのは、あまりに意味がありません」
「なるほど、そういう考えもありますわね」
「それに問題はここから先なのです」
チサトがリショーを一瞥した。続きを話すように、という指示だと受け取ったリショーは再び口を開いた。
「息子はそれを親父さんの幽霊だと思って、そして四条界への無念が起こした現象だと信じた。気弱な体に酒を流し込むことで無理矢理奮起して、単身で四条界に乗り込んだ。どうなったと思う?」
「アポイントメントがないのですから、門前払いでしょう」
「ところが受付嬢は息子を通した。なぜならアポイントメントが存在したからだ」
「あら……」
気の抜けたような声をアヤコは出した。
「ご自分でアポイントメントを取ってから伺ったと?」
「そんな殴り込みがあるわけねぇだろ。それに倒産させた会社の息子からのアポイントメントなんて、普通の神経してたら簡単に受け入れるわけがない」
「ではどうして」
「まぁ話は最後まで聞いてくれ。息子は酔い覚ましに甘い物をたらふく食ってから四条界へビクビクしながら殴り込んだ。いや、普通に入っていったという方が正しいかもな。アコヤ社長は来るはずのない人間の登場に面食らいながらも、親父さんの幽霊の話を聞いて青ざめた。「来るはずのない電話」と「来るはずのない人間」。それがどういう意味だかわかったんだろう。受付嬢の話によれば、社長はアポイントメントの予定が書かれた紙を確認してからそれを破って「幽霊を通すな」と言ったそうだから」
アヤコは黙って聞いている。口元が少し緩んだり引き締まったりを繰り返しているのは、どこで口を挟むべきか悩んでいるように見えた。ただ黙って話を聞いているのは性に合わないのだろう。その気持ちはリショーにもよくわかったので、些か同情しないでもなかったが、今はそれを無視して先を続けた。
「アポイントメントは存在したが、それは金線組の息子が入れたものじゃなかった。誰かが紛れ込ませたものなんだ。じゃあ何のために? いつ来るのかわからない息子のために誰かがご親切に入れたのか? 答えは否だ。どんな善良な人間だって、そんなことはしない。いや、出来ない。酔っ払いの行動ほど読めないものはないからな。四条界のアポイントメントの予約はカラクリによって行われるって話だから、当日入れるのは難しいだろうしな」
リショーは紅茶を口に運んだ。味よりも潤いのほうが先に口の中へ満ちる。長く話すのは慣れているが、流石に少々気は張り詰めていた。
「つまり、息子の行動とアポイントメントが一致したのはただの偶然だった。その偶然により、アコヤ社長は不幸にも気付いたんだ。幽霊の存在と、自分がそれに狙われているってことに」
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