第六幕 推理と解決

応接間と依頼人

「こちらでお待ちください」


 品の良い身なりの使用人によって通された部屋はいかにも資産家の家らしい面持ちをしていた。高い天井に大きな窓。天鵞絨に金糸で刺繍を施したカーテンは如何にも重そうで、もし洗濯するとなったら数人がかりで挑まなければならないに違いない。壁に反って置かれた背の低い棚には色鮮やかな硝子製の花瓶や七宝焼の皿が並んでいる。

 部屋の中央に置かれているテーブルは黒一色で塗られ、その中央に瑠璃色の花器が鎮座している。丁度大きな花びらの先を捻ったような形で美しいが、今は何の花も生けられてはいなかった。そもそも花器としては使っていないのかもしれない。


「流石金持ちは違うな。こんな柔らかい椅子座ったことない」


 リショーは肘掛けのついた椅子に腰を下ろすと、座面の柔らかさに純粋な感想を零した。布張りの中に大量に綿や羽毛が詰められているらしく、腰を何度か浮かせても吸い付くように座面が動く。昨日のデパートの屋上の椅子に比べると、月とすっぽんどころか月と碁石ぐらい違う。


「着物ですと少々座りにくいですね」


 リショーの左隣に同じように腰を下ろしたチサトは、頑張って背筋を伸ばそうと努力しているようだった。


「慣れている方なら問題ないのかもしれませんけど」

「新聞記者なんだろ? それこそいろんなお屋敷の応接間ぐらい通ったことがあるんじゃないのか?」

「まさか。新聞記者なんて御用聞き以下です。裏門すら開けていただけないことが殆ど。相対する政敵の情報を手土産にして、漸く敷地の土を踏めるんですよ」

「アコヤ社長にもそうしたのか」

「えぇ。ですから正面から入ってこれほど丁重にもてなされたのは初めてですね」


 チサトの口調は複雑だった。今の状況を嬉しく思っているようでもあるし、忌々しく感じているようでもあった。リショーの目はそれを素早く読み取り、口元に笑みを引き起こす。


「あんた、よほど苦手なんだな。シオザキ・アヤコが」


 シオザキ家の応接間には、恐らく一番相応しくない言葉だった。だが他に聞いている者はいなかったし、いたとしてもリショーには何の関係もないことだった。恐らく母親のアリアなら、シオザキ家の門を潜った途端にあれこれと遠慮の無い言葉を口にするだろうから、それに比べればリショーはまだ大人しいほうである。


「別に彼女本人が嫌いというわけではありませんが、良い印象はありませんね」


 素っ気なく答えたチサトは、しかし少し間を置いてから首を左右に振った。


「あまり記者らしい答えではありませんでした。忘れてください」

「今更あんたに新聞記者らしさは求めてねぇよ。男らしさすら求めてないんだから」

「それは心外です。これでも私は大和男児として雄々しくあろうとしています」

「その格好で言ってもなんの説得力もねぇな」


 その時、ゆっくりと部屋の扉が開いた。二人は反射的に椅子の上で身を正す。


「お待たせいたしました」


 落ち着いた声音に相応しい足運びで入ってきたのはアヤコだった。夜会で見たときとは異なり、職業婦人が好むような細かい水玉模様のワンピースを着ていた。だが布も縫製もその辺で見かけるようなものとは違って一目で高級品とわかる。特に体の線を美しく強調しながら下品になっていないところを見ると、一流の仕立屋が体の細部まで採寸して作っていると思われた。髪は控えめに結い上げて耳を隠し、鼈甲の髪留めを使っている。アヤコを知らない人間が見ても、すぐに上流階級の人間であると悟らせる佇まいだった。


「どうぞ楽におかけになってね。すぐに紅茶をお出ししますから」

「別に気にしなくていい、と言いたいところだが折角だしいただくよ」

「そうしてくださいな」


 開けたままだった扉から、今度は若いメイドが入ってきた。黒っぽい絣の着物に白いエプロンを重ねている。手押しのワゴンに乗せたカップとポットはどちらも十分に暖められている様子だった。メイドは手慣れた手つきでポットから紅茶を注ぎ、それぞれの前へカップを置くと一礼して部屋を出て行った。


「ミルクはこちらに。砂糖もよろしければ使ってくださいな」


 アヤコはそう言ったあとに漸く自分も椅子に腰を下ろした。流石にこの家の住人と言うべきか、座りにくい椅子に全く困る様子も無く背筋を伸ばしている。


「そういえば貴方、いつもそのような格好をなさっているの?」


 今頃気付いたような調子で、アヤコはチサトに訊ねた。チサトは紅茶に伸ばしかけた手を止めると、「えぇ」と短く答えて相手を見る。


「仕事柄、こちらのほうが便利なので。おかしいですか?」

「驚きましたけど、おかしくはないですわ。それを言い出したら文明開化の後に慣れぬ洋装を着始めた方々はさぞかしおかしく見えたでしょうから。例えそれが政治に必要だったとしても」


 アヤコはカップを上品に持ち上げて紅茶を一口飲んだ。


「調査に必要なお金を取りにいらしたのでしょう? 一昨日お話しましたものね」

「悪いな、こんなに朝早くから」

「朝食は終わっていましたし、構いませんわ。ただ時間の指定はしておけばよかったと、少々後悔しています」


 言外に非難の色があったが、リショーはそれを無視した。


「金を頂きに来たってのは確かにそうなんだが、多分あんたが想像しているのとは少し違う」

「違うと仰いますと?」

「アタイたちは調査費と上乗せ分をもらいに来たんだ。要するに、犯人を見つけた報奨金ごと頂戴あそばせ、ってやつだな」


 アヤコは大きく目を見開いた。驚愕の顔というものは、流石に上流階級でも振る舞いを教え込んではいないらしい。目も口も開いた姿は下町で見かけるものと同じだった。


「それは本当ですか?」

「生憎、冗談や酔狂でこの仕事してないんでね」


 リショーは軽い笑みを浮かべながら返した。アヤコは少しの間、考え込むように口元に揃えた指先を添えて黙っていたが、やがてその手を外した。驚愕はどこかに捨て去られ、落ち着いた表情が戻っている。


「それは朗報です。早速伺ってもよろしいかしら。誰がアコヤ社長を殺したのか」

「幽霊だよ」


 わかりきっていると言わんばかりの口調でリショーは言い切った。


「社長は幽霊に殺されたんだ」

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