酔いと醒め

 チサトの両目が大きく見開かれた。少し青みがかった白目の縁までもが、この近距離だと明確に見える。


「どういうことですか?」

「キンノは泥酔して工場に入ってきた時には威勢がよかった。でも水かけて酔いが醒めたら一気に萎んじまっただろ。元々気が小さい人間なんじゃないか?」

「え、えぇ。普段は非常に大人しい方です」

「あんたのことも音沙汰が無いって愚痴愚痴言ってたけど、もし気が強い人間ならあんたの名刺でも握りしめて新聞社のドアを叩いてるだろうからな」


 リショーはその時の会話を思い出しながら話を続ける。


「電話口に親父さんの幽霊が出たって言ってただろ。聞かせてもらった伝言の日付は死んだ翌々日って言ってたが、口ぶりからして聞いたのは暫く後だろうな。もしすぐに伝言を聞かせてもらったなら、あんな回りくどい表現しない。あんたの話じゃ親父さんが死んで七七日は過ぎてるってことだったが、工場が買収されたのは三ヶ月前。これらを組み合わせて考えると……」


 宙に組木細工でもあるかのようにリショーは両手をせわしなく動かした。商人が宙で弾く算盤のようなものである。商人が算盤に馴染みが深いように、十三階の住人であるリショーには細工が最も手に馴染む。


「キンノが言っていた「四条界のところに乗り込んだ」ってのは、二ヶ月ぐらい前の話だと推定出来る。それに加えて、アコヤ社長自身が幽霊に狙われていると零したのも二ヶ月前。見事に合致するだろ?」

「では陰気な顔して黒い服を着ていたというのは」

「喪服か、それ代わりの黒い服だろうよ。多分あの男、酒飲んで勢いつけて行ったはいいが、直前で酔いが醒めちまったんだろうな。でも退くに退けずってところで、内心怯えながら四条界に入ったんだろうよ」

「足を引きずっていたのは、もしかしてどこかで転んだりしたのでしょうか」

「それで酔いが醒めたのかもな。で、多分そこで考えた。流石に酒の匂いをぷんぷんさせて会社に乗り込んだら、下手すると警官を呼ばれて捕まってしまうかもしれない。だから匂いを誤魔化すことにした」

「オーデコロンか何かで?」

「そんな洒落たもん持ってるような人間か?」


 さきほどの醜態を思い出しながらリショーが問えば、チサトは少しだけ苦笑して首を横に振った。


「持っていたとしても、喪服に忍び込ませることはしないでしょうね」

「あぁ。それに会社は倒産して金もない。デパートで買おうなんてのも無理だった筈だ。となれば簡単な方法は一つ。他の食い物の匂いで誤魔化す」

「他?」

「あんみつとか蜜豆とかだよ。男の出入りが多い甘味処が近くにあるだろ」

「あぁ!」


 チサトが大きな声を出して両手を鳴らした。


「竹屋ですね?」

「そう。スエちゃんとやらが働く人気店だ。キンノはそこで甘い物を腹に入れて匂いを誤魔化そうとした。酒に甘いものぶちこむと結構変な匂いになるんだよ。果実酒にも似たような匂いになることもある。だから受付嬢も酒と甘いもので「嗅いだことがある匂い」とまではわかったが、それが何なのか判別出来なかったんだろ」

「なるほど」


 感心したように何度も頷いて見せたチサトだったが、途中で首の方向を縦から横へと変えた。


「しかしそれですと解せないことがあります。キンノさんはアポイントメントを取って会社に伺ったのでしょうか」

「流石に酒飲んでそこまでやらないだろ」

「だとしたら、キンノさんは誰かのアポイントメントを奪うような形で社長と面会なさったのでしょうか?」

「そこなんだけどな」


 再びリショーは歩き出した。立ち止まって話し続けるのはあまり性には合わない。


「さっきの話に戻ると、アコヤ社長はアポイントメントが間違いであることを「幽霊」と表現したと考えられる。キンノが乗り込んできたことを叱るんだったら、金線組の人間は通すな、とかそういう表現になった筈だからな」

「確かに」

「そしてそれは、キンノが親父さんの幽霊の話を持ち込んだ直後だ。どういうことが考えられる?」

「ええっと……」


 形の良い眉を寄せたチサトは、そうして見ると幾分本来の性別に見えた。否、恐らくチサトの顔立ちそのものは男としての要素のほうが強い。だが仕草や表情が女性的なために普段は上手く誤魔化せているようだった。


「金線組の社長さんの「幽霊」とアポイントメントの「幽霊」が同じものであると気がついた、とか?」

「そういうことだ。まぁ悪賢い買収ばっかり繰り返すだけあって、アコヤ社長ってのは随分頭が回る人間だったんだろうな」

「えぇ、それはもう」


 しみじみ思い出すようにチサトは頷く。


「しかしその二つを結びつけたということは共通点があったということですよね?」

「あぁ、勿論。その二つの共通点は「カラクリを使っている」ってことだ」

「確かに……。キンノさんのお父様の幽霊は、お知り合いの方のカラクリの伝言に残っていた。キンノさんのアポイントメントはカラクリによって管理されていた……」


 あ、と今度は小さな声がチサトの唇から零れた。驚いたのではなく、本当に何かを思いついた時の声の綻びだった。


「もしかしてどちらもカラクリがでっちあげたもの、ということですか?」

「恐らくな」


 リショーは大きく頷いて見せた。カラクリが本来ない筈のものを作り出した。そう表現するほうが的確かも知れない。アコヤ社長はそれを幽霊であると表現した。リショーは本人に会ったことはないが、的確な物言いをする男だったと評価する。

 短い髪を指で掻いて首を何度か左右に傾けたあとで、リショーは短い溜息を吐いた。


「こうなってくると、もう一つ調べなきゃいけない所が出てきたな」

「当ててみせましょうか」


 新聞記者が挑戦的な眼差しで覗き込む。それを見て女探偵は首を左右に振った。


「どっちも答えがわかってるなら勝負にもならないだろ」

「あら、それは残念です」


 互いの口元に似たような笑みが浮かんだ。

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