予定表と訪問客

「どう思う?」


 四条界を出て暫く歩いたあとに、リショーは傍らに訊ねた。顔に似合わぬ難しい表情を浮かべながら歩いていたチサトは、一瞬遅れて反応した。


「はい?」

「幽霊だよ、幽霊」

「ちょっとおかしな話でしたね。シズコさんのお話からして、お客様がアコヤ社長のところに行ってから、多少時間があったはずです。アコヤ社長はそのお客様と暫く話をしてから、あれは幽霊だから通すなとお怒りになった」

「話している途中で消えたんじゃないか? 幽霊人力車って話があっただろ?」

「お墓の前で拾ったお客が幽霊だったというお話ですね。でもあのお話は急に人力車が軽くなって振り返ったら誰もいなかったという話ですから、今回とは少し違います」

「それくらいわかってるよ」


 思いの外大真面目に返されてしまったので、リショーは鼻の奥辺りがむず痒くなったような気持ちで眉を寄せた。


「そうじゃなくてアタイが言いたいのは、アコヤ社長はどうして客が幽霊だってわかったのかってことだよ」

「正確には「幽霊」と断言できる存在であることが、ですね」

「細かいことはいいだろ、別に」


 そう言うと、チサトは幼い子供がするように口を少し尖らせた。


「細かくありません。大事なことです。つまるところ……」

「アコヤ社長の言う「幽霊」がどういう定義の存在かわからないから、ってことだろ。それぐらいアタイだってわかったうえで話してる」


 特に行き先を決めたわけでもないが、二人の足は自然とヒビヤの方へ向かっていた。往来の人の流れに乗った結果でもある。この時間帯はシバ方面に向かう人間が多い。


「もしその訪問客がいけ好かない人間だったとしても、わざわざ「幽霊」なんて言う必要はないだろ。普通は出禁とか不審者とか、その程度のもんだ。多分さっきのシズコって受付嬢もそう思っていたから、社長の悪戯だと考えたんだ」

「ではリショーさんも悪戯だと?」

「いや。あの受付嬢は幽霊を信じないと言っていた。例えアコヤ社長が悪戯好きだったとしても、驚かすならもう少し怖がりな人間を選ぶ筈だ。何しろ反応がないとつまらない」

「はぁ」


 なるほど、とチサトは自分の唇に指を添えて呟いた。


「確かにシズコさんは幽霊を怖がる気質ではありませんね。包丁を持った不審者のほうが余程怖がりそうです」

「悪戯でないとしたら、アコヤ社長はどうしてその客を幽霊だと言ったのか。……幽霊って聞いてどういうものが思い浮かぶ?」

「一般的には足がないとか、柳の下にいるだとか、夜に現れるとかでしょうか」

「訪問客にはきちんと足があって、しかも会社の営業時間中に現れた。今の条件には一つも合致しない」

「ええと、それでは……死んでいるはずの人間だった、とか。ほら、そもそも私たちが訪れたのは、金線組の無くなった社長さんの幽霊が出るという話からだったではないですか。例えば、亡くなった社長さんが訪問客として現れたというのはいかがでしょうか」


 チサトが意気込んで話すのを、リショーは首を左右に振ることで否定した。


「だったら客が社長のところに行った瞬間にわかるだろ。まさか仲良く膝を突きつけて談笑したあとに、「そういえばこの人はもう死んでいるのだった」って思い出したっていうのか? 昔の落語じゃあるまいし」

「そう言われれば確かに……。ではリショーさんのお考えは?」

「単純明快。幽霊ってのは「そこにいない存在」のことだ」


 教本でも読み上げるかのようにリショーは答えた。


「私の考えと同じではないですか」

「いや、少し違う」


 丁度四つ辻のところまで来たのを期に、リショーは立ち止まった。チサトは少し先に進んでしまってから慌てて足を止める。


「シズコの話でいくつか引っかかったことがある。社長は最初から訪問客を幽霊だと言ったわけじゃない。シズコに予定表を見せられて、それを引き破ってから幽霊だと言ったんだ」

「……そういえば、そうでしたね。でもそれが何か?」


 いまいちわからずにいるチサトに、リショーは噛んで含めるように説明した。


「最初から幽霊だってアコヤ社長が思っていたなら、予定表を見せられる前に言うはずだろ。でも実際には見た後に言った。つまり、予定表がこの話の重要な位置にあるってことだ」

「予定表に書かれていた名前などに驚いたのでしょうか」

「まぁそうだろうな。アコヤ社長にとって、そこに書かれていた名前は「いない存在」に等しいものだった。だから予定表を破ってしまった」

「幽霊の存在を否定するために?」

「というよりは、予定表が「間違っている」ということをシズコに行動で示したのかもな」


 人通りはさほど多くはなく、通りすがる人々は二人のことなど気に留めていない。年頃の若い女が二人で、どこの甘味処に入るか相談をしているとでも思っているのだろう。少しでも会話に耳を傾けたら、甘味処どころか幽霊の話をしていることに気付くだろうが、それがまさか殺人事件に繋がる話だとはわからないに違いない。


「その話は一旦置いておくとして、訪問客について考えようか」

「訪問客は人間だったんですよね?」

「狐や狸が化けたならわからないけどな。まぁ多分れっきとした人間だ」


 リショーは小さく笑って続けた。


「その客が現れたのは二ヶ月前。陰気な表情で黒い服を着て、足を引きずるように歩いていた。おまけに何やら腐ったような妙な匂いがした。そうだったな?」

「えぇ。匂いについては、どこかで嗅いだような、とも言ってました」

「それを聞いて、一人思い当たる人間がいるんだよ」


 チサトが驚いた顔をして、半歩前へ進み出た。


「本当ですか? リショーさんのお知り合いですか?」

「アタイの知り合いというには日が浅すぎる」


 リショーは適当な方角を指で示した。キョウバシからヒビヤの間の四つ辻にいるのだから、ニホンバシは北のほうに位置している。記憶している地図が間違っていない限りは、方角については正確であると自負していた。


「キンノ・マサトシだよ。さっき工場で会っただろ」

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