社長と幽霊
「なので私は当日の訪問客というのを全てこの表で確認出来るのです。そうでないとお客様を不愉快にさせるだけでなく、飛び込みの押し売りを上手く追い返せなくなりますから」
「そういうのもいるんですか」
「えぇ。そういう方々についてはどうしても自分で対処するしかなくて」
シズコは話が脇道に反れたことに気がついて、まるで男がするような咳払いをした。
「兎に角、事前にアポイントメントを頂いた方をお通しするのが私の役目というわけです。先日、ある男性が訪問されました。予定表を見ますと、確かに予約が入っていましたので社長のところにお通しいたしました。社長は何故か酷く驚いた顔をしていたのを覚えています。いつもならばお茶を出すように私に言いつけるのを、その日は半ば追い払うように部屋の扉を締めてしまって。随分経ってから社長だけが此処に来て、それはもう凄い勢いで私に言うんです。どうしてあんなのを通したんだ、って」
シズコはそれを不服に感じているようで、眉間に浅く皺を刻みながら続けた。
「どうしても何も、予定表にあるのですから仕方ありません。私がそう言って見せると、社長は益々驚いてしまって、紙をズタズタに引き裂いてしまいました」
「引き裂いた?」
「えぇ。それから少しは癇癪も収まった様子で私に言ったんです。「あれは幽霊だ」と。その時は思わず笑ってしまいましたが、社長の顔は怯えきっていました」
リショーはそこであることが気になって口を開いた。
「その予定表にはなんて書いてあったんだ?」
「覚えていません」
「だってあんたが書いたんだろ?」
シズコは頬を少し膨らませた。
「毎日毎日何十という予定を組んでいるのです。それに何日も前から作っているようなものもありますから。よほど珍しい名前ですとか、珍しい時間でもなければ覚えていたりしません。でも予定表に入れたのですから、きっとお得意さんだったのでしょう」
「それでも少しは覚えてることはないのか?」
「さぁ。紙は社長が破いてしまいましたし、そんなのをいつまでも広げているわけにもいかないから捨ててしまいました」
と、そこでシズコは漸くリショーが何者なのか気になった様子で、目を何度か瞬かせて首を傾げたが、訊ねるのは品が無いとでも思ったのかそのまま言葉を続けた。そもそも受付嬢なんて仕事をしていると逐一訪問客を気にしていたら神経が疲れ果ててしまうのだろう。
「その男性の方なら多少は覚えています。陰気な表情をして、黒い服を着ていました。足を引きずるようにしていましたが、右か左かは忘れてしまいました」
「顔に特徴は?」
「これといっては無かったかと思います。ただ、なんだか酷く嫌な匂いがしました」
「匂い?」
「何かが腐ったような……、でもどこかで嗅いだような……。上手くは言えませんが」
「そのお客様はどうしたのですか?」
チサトが横から口を挟んだ。
「今の話ですと、社長さんだけ降りてきたようですが」
「お客様は降りてきませんでした。でも別に私はそれだけで幽霊を信じたりはしません。きっと裏口から帰ったに決まっています」
「何故裏口から帰る必要があるのでしょう」
チサトの問いにシズコはふと頬を緩めた。
「チサト様。これは記事に書いたらいけませんよ。あくまで怪談として書いてもらわなくちゃ。私、あれは社長の悪戯なんじゃないかと思うんです」
「悪戯……ですか」
「私を怖がらせようとしての悪戯ですよ。きっとあの黒服の男は社長のご友人かなにかで、社長と口裏を合わせたに違いありません。社長は生前はそういうことをよくしましたから」
うっかり「生前」と言ってしまったことにも気付かぬ様子でシズコは続ける。
「社長の悪戯に私が怖がれば良かったのでしょうけど、ついつい笑ってしまいましたからね。さぞ気分を害したことと思います」
「先ほどは社長さんが怯えていた、と」
「怯えている顔と怒っている顔って、光線の当たり具合では似たものに見えるではありませんか。だからきっと社長は憤っていたのですよ」
シズコは幽霊の存在など少しも信じていないようだった。女性にしては珍しい気性とも言える。
「シズコさん。そのお客様が来たのはいつ頃か覚えていますか?」
「二ヶ月ほど前だったと思います。……あぁ、そうです。前日に社長がシオザキ財閥の会合にお出になっていましたから、二ヶ月前の十一日で間違いないと思います」
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