受付嬢と訪問客
シズコは訝しげにチサトを見た。互いの腹を探り合うような鋭くも粘着質な眼差しだった。制服の趣味の悪さは彼女の罪ではないので置いておくとして、シズコの横顔は余計な肉や黒子がなく、なだらかな雪庇のような肌をしていた。それが彼女の眼差しを一層鋭い者に感じさせるのかもしれない。
「私にですか?」
「そう警戒しないでください。何しろ最近、新聞社も不景気でして。一度外に出てきたからには猫でもなんでもいいからインタビュウをしてこいとキャップが言うのです」
チサトは同情を誘うように眉を寄せてみせた。非常にわざとらしい、寧ろわざとらしすぎる仕草にシズコが益々表情を堅くする。しかしチサトはそれに気付かないかのように続けた。
「シズコさんは幽霊を信じますか?」
「……はぁ?」
素っ頓狂な声がシズコの口から零れた。今までの緊張が不意に解かれたことによるものに聞こえた。
「幽霊ですか?」
「一昔前ですと、墓場に出る幽霊というのが主流だったのですが、最近は会社や学校に出るものがいるそうです。そのあたりの話を集めて、小冊子でも作ろうか……なんて話が出ているのですよ」
チサトの目的を早々に悟ったリショーは、下手に口を挟まずに静観することにした。幸いにしてシズコはリショーの存在を特に気にしてはいない様子だった。というよりも折悪く現れた新聞記者をどうやって追い返そうかと考えるのに必死で、見慣れない新参者にまで気が回っていないのかもしれない。大体、探偵なんて稼業はどこかに言っては
「さっきも、竹屋のスエさんにお話を伺ってきたところでして」
その名前を聞いた途端にシズコの目の色が変わった。しかし表情と口調はそのままに問い返す。
「まぁ、スエちゃんに」
語尾を曖昧に濁し、続きを促すようにチサトを見る。
「最近は怪談を美しい女性の口から語らせるのが流行りなんですよ。散切り頭を白髪にしたようなお爺さんが「怨めしや」なんてやっても面白くないでしょう。まぁヨツヤ怪談あたりなんかは、落語家の方が良いかもしれませんけど」
チサトは巧妙に誤魔化しながら話を進める。竹屋というのはリショーもよく知っているキョウバシの甘味処で、団子だのあんみつだのを扱っているにも関わらず男の出入りが多い店である。
男達の目当ては甘いものではなくそれを運んでくる女給たちで、恐らく店としてもそれが狙いなのだろうが、綺麗どころを揃えて矢絣の着物なんかを着せている。恐らく「スエ」というのはそこの女給の一人で、シズコの反応から見て並々ならぬ敵対心を燃やす相手のようだった。
「シズコさんも何かお話を持っていらっしゃいますか?」
「あら、まぁ」
シズコはわざとらしくそう言ったが口元が先ほどよりも緩んでいた。スエという女と同列に並ぶのが嬉しいのか、あるいは更に負けんとしているのか、いずれにせよ上手く口車に乗せることが出来たのは確かのようだった。
リショーも先ほど一人の男を言葉巧みに誘導したばかりであるが、リショーが一方的に言いくるめるのに対して、チサトは相手の自尊心や敵対心を誘導して口を開かせるのが得意なようだった。
「スエさんはどうか知りませんけど、私は幽霊というものはあまり……。そういう子供っぽいものは信じないことにしているんですけどね」
そう言いつつもシズコは目を光らせている。自分の経験の中からどうにかして幽霊にまつわる話をひねり出そうとしているようだった。
「えぇ、そうでしょうね。シズコさんは近代の職業婦人ですから。別に周りの方の話でも良いんですよ。大事なのは美しい女性が語る、というところですから」
あら、とシズコは再びわざとらしく呟いて、右手の人差し指で唇を緩く押さえる仕草をした。相当気分を良くしたらしい。恐らく彼女は自分の容姿が少なくとも並よりは優れているのを知っている。だからこそ褒められることに素直に喜ぶ。リショーがもし同じ事を言われたら鼻の頭に皺でも作って相手の正気を疑うところである。
「では確かな話でなくても良いんですの?」
「面白い話ならなんでも。万葉集だって、身分に関係なく良い歌を集めていたと言うではありませんか」
生憎とその例えはシズコの知識に何の揺さぶりも起こさなかったようだったが、浮かれている口を重くしてしまうようなことはなかった。
「新聞に載せる時には上手く整えてくださいね。私、お芝居みたいに上手に話したり出来ませんから」
「勿論です」
「なら結構ですわ。実は、この会社には幽霊が来たことがあるんです」
シズコはとっておきの話をする時特有の、勿体ぶった、それでいて遠慮がちな声量で切り出した。
「出るのではなく、来るのですか?」
「えぇ。近頃はアポイントメントを取るにもカラクリを使いますよね。訪問したい会社のアポイントメント用の番号にかけて、どこそこのだれそれがなにそれの用事でいついつに訪問します、と言うのです。私はそれを毎日確認して予定表にします」
ほら、とシズコは近くにあった紙を取り上げて二人に見せた。思いの外丁寧に定規で線が引かれ、訪問のアポイントメントの内容が書き出されている。
「これは凄い。大変でしょう」
「カラクリから直接印刷が出来れば良いのですけど、もしそんなものが出来てしまったら受付嬢なんて要らなくなりますから」
紙を再び下げて、シズコは続けた。
「この中から緊急性の高いものや、お得意様の番号を選び出して予定表を組むことになっています。あぁ、お得意様かどうかはカラクリが判断してくれますけど、そこは念のためと申しますか」
「どこの誰だかわからない番号で掛かってくることもあるでしょう」
「えぇ、そういうのは基本的には断ることにしています。それもカラクリに頼めば良いので気楽なものです。電話口で哀愁漂う口調で「お願いですから社長にご挨拶を~」なんて言う方と付き合わなくて済むのですから」
辛辣な物言いだった。もしかするとカラクリによるアポイントメントの応対は最近始まったことで、それ以前はシズコが直接電話を取っていたのかもしれない。何しろ最近急成長を遂げている会社、しかも外観も目立つ。通りすがりの人間が軽い気持ちで商談を持ちかけてくることも多いだろう。リショーは常に閑古鳥が昼寝をしているような自分の事務所のことを思い出して、少々憂鬱な気持ちになった。
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