和と洋
その建物は随分と古めかしい作りをしていた。黒い瓦屋根は左右に大きく広がり、入口は広く開け放たれている。それだけ見ればメイジかあるいはそれより前から続く大店のようだった。実際、前身はそうなのだろう。軒先には大きな看板がかかり、入口からの通り土間の奥に店として商品を並べたり接客するための板張りの空間があるのが見える。元は格子で出来ていたのであろう入口の戸はステンドグラスで装飾されていて綺麗なものだったが、リショーが気になったのはそこではなかった。
「随分と変わった建物だな。てっきりご立派なビルヂングかと思ったんだが」
「酔狂な素封家が作ったもので、それを買い取ったそうですよ」
へぇ、と呟いてリショーは視線を上に上げる。その建物は三階建てだったが、二階から上は白い壁を持った西洋式の建築となっていた。まるで一階から茸のように生えてきたようにも見える。奇妙としか言いようがないその建物こそ、二人が目指していた四条界だった。
「金持ちってのは何がしたいかよくわかんねぇな」
「かつて高輪に作られる予定だった公使館を再現しようとしたらしいです。といっても住んでいた建物にもそれになりに愛着があったため、このような形になってしまったとか」
「で、その愛情込めた建物を四条界に買い取られたってわけだ」
リショーは左右を見回した。入口のすぐ傍には電話箱がある。引き戸には大きく「四条界」と書かれていて、余った空白に電話番号らしきものが書かれている。しかし外に置いてあるためか随分汚れてしまっていた。
ステンドグラスを埋め込んだ引き戸は開かれてはいるものの、どことなく来る者を拒むような雰囲気があった。それは恐らく引き戸の下側に滅茶苦茶に打ち付けられた補強用の木材のためと思われた。古い木戸にステンドグラスを埋め込んだために、このようにしないと形を保てないのだろう。西洋式の建物になんとか押しつぶされまいと足掻く引き戸がリショーには哀れに思えた。
「で、この建物のことも伝え忘れたのか?」
「いえ、これは単純に驚いてもらおうと思いまして」
チサトが悪戯っぽく笑った。
「私も最初に見たときは、リショーさんのようにポカンとしてしまいましたから。流石に十三階でもこんな珍奇なものはご覧にならないでしょう?」
「そりゃそうだ。こんな趣味が悪いもん、母様が十三階に入れるもんか」
「趣味が悪いとは、随分厳しいですわね」
「実際そうだろ。和洋折衷ってのが日本のものに無理矢理西洋のものをねじこむことだと思ってるやつが多すぎる。どっちの良さも生かしてこそだ。その点で此処は落第点だな」
「ご意見に同意します。が、所詮は自分に関係のない会社ですから」
チサトはそう言うと、開いていた引き戸を更に少しだけ開けて中へと進んだ。リショーもそれに続いたが、建物の中に入るなり思わず溜息をついた。
「せめて中はまともであって欲しかったよ」
「外が一番趣味が良いのです」
天井から吊り下がった照明が照らした土間には、恐らく来客が使うためのテーブルと椅子が置かれていたが、テーブルの天板には大きな薔薇が描かれているのに、そのうえに更に白い花瓶が置かれていて菊の花が飾られていた。壁には歴史的価値がありそうな水墨画が掛けられているが、それを飾る額縁にはライオンやら極楽鳥やらが刻まれていて、全てを台無しにしてしまっていた。
極めつけは中央に置かれた黒檀のテーブルで、そこには巨大な金魚鉢が一つ置かれていて、それを見守るかのように一人の若い女が座っていた。否、金魚鉢と女だけだったなら別に問題はない。問題は女が着ている服で、赤と黄色を基調とした派手な銘仙の上にレースのついたエプロンをつけ、更に男物の羽織を着ているという有様だった。
「すみません」
女給と大衆演劇が混じり合ってしまったような格好の女に、チサトは迷いもせずに話しかけに行く。
「いらっしゃいませ、サトウ様」
女が立ち上がって丁寧に挨拶をしたところとチサトの行動から見るに、彼女はこの会社の受付嬢で、常にその服を制服として着用しているものと思われた。女は髪を綺麗な外巻きにまとめていて、着ている和装よりは洋装のほうが似合いそうだった。
「今日はどのようなご用件でしょうか」
「社長さんに御用がありまして」
チサトの言葉に女は残念そうな表情で首を左右に振った。
「申し訳ございませんが、社長は不在です」
「いつからですか?」
「いつからと言われましても……」
女は困ったように言うが、視線は油断なくチサトを観察していた。恐らく彼女は社長の死を既に知っているのだろう。いくら財閥が手を回したとは言えども、身近な人間には既に知られていてもおかしくない。まして会社の顔とも言える受付嬢が何も知らないままでいれば、訪れた人間に余計なことを話してしまう可能性すらある。
「少なくとも今日はお戻りになりません」
「そうですか。ではいらっしゃるまで待たせてもらいましょう。何日でも、幾晩でも」
チサトが笑い混じりに返す。すると女は一度目を閉じて短い溜息をついた。
「社長に何の御用なのでしょうか? それを伺いませんことには」
「何が起きたのか伺おうかと。それともシズコさんがご存じですか?」
シズコと呼ばれた女は黙り込んだ。だが表情に焦りの色などはない。
「それについては社長はお答えにならないと思います」
「そうですか、それは残念です。でも聞きたいことはまだあるんですよ」
「社長は何もお話しになりません。お引き取り下さい」
確かに何も話さないだろう、とリショーは少し可笑しい気持ちで二人の会話を聞いていた。格好は兎に角として、シズコという女は受付嬢として非常に肝が据わっているようだった。
しかしチサトもそれで引き下がるほど素直ではない。黒檀の天板に手をつけて、少し身を乗り出すようにする。そういう仕草は男らしさが出ていた。
「ではシズコさんに聞きたいことが」
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