第1話 6

 胸の奥の士魂に魔道を通し、全身に行き渡らせる。


 周囲に笛の音が鳴り響き、陽炎のようながワシを包み込んだ。


 世の常を書き換える、魔道の舞台だ。


 いろとりどりの燐光が瞬いて、笛の音に合わせて踊る。


 そのゆらぎの端と魔物が放つ瘴気が触れると、紫電が生じて薄暗い蔵の中を白く照らし出す。


「グオオオオォォォォ――――ッ!!」


 魔物がよだれを撒き散らしながら、そのデカい口で咆哮した。


 ビリビリと大気が震えて、蔵全体が揺れる。


「――アアアァァァァァッ!!」


 負けじとワシも腹の底から声を放つ。


 魔物の口から牙のように生えた腕の右側がしなるように振るわれた。


「――猛れ!」


 唄と共に、ワシのちっぽけな肉体は強化され、人外の膂力を発揮する。


 振るわれた魔物の牙腕を受け止めると同時に、ワシは素早く身体をひねり、掴んだ牙腕を両手で振り下ろす。


「ハァッ!」


 大猿だったシロを、一撃でノした投げの型。


 けれど、木板を打ち合わせるような激しい音がして、ワシは前のめりにつんのめって体勢を崩す。


「――あ?」


 見ると、掴んだヤツの右牙腕が根本から千切れておった。


「ギイイイイィィィィ――――ッ!!」


 こんなデタラメな見た目のクセに、痛みはしっかり感じるのか、魔物は悲鳴じみた声をあげた。


 黒い粘液質の体液が飛んで、瘴気となってその周囲を穢して行く。


「……人の形の部分は案外脆いんだな……」


 こんなデカい魔物の相手は初めてだから、どうも力加減がわからんな。


 引きちぎった牙腕を放り投げ、ワシは再び構えを取った。


 魔物は発狂したように、デタラメに残った左牙腕を振り回し、ワシは体捌きと手刀でそれを弾いていく。


 ――師匠が操る傀儡くぐつに比べれば遅い遅い!


 教わった型をなぞり、舞うように身体を動かす。


 ……とはいえ、こちらも無手だから決定打がない。


 人の形をしてるトコロが弱いのはわかっているのだが、手傷を負ったゆえに警戒しとるのか、魔物はうまく掴ませてくれなくなっとる。


 このままグノリが甲冑を動かすのを待つしかないか?


 振るわれた牙腕の隙をついて跳び上がり、魔物のデタラメに目が散らばる顔面を蹴りつけてみた。


 衝撃音が蔵に響き、魔物の足元がひび割れる。


 ――だが……


「ゲヒヒ……?」


 ……やはり効いとらんようだな。


 過去に相手をした魔物もそうだった。



 鉛色をした甲殻は魔道で強化した一撃をもってさえ硬く、素手では決して砕けないと師匠も言うとったしな。


 魔物を相手にする時の基本は投げによる行動の阻害と、そこに生まれた隙を突いての急所への一撃。


 人が心臓を刺されれば死ぬように、恐ろしい生命力――時には首を落とされてさえ再生するほど――を持つ魔物であっても、核となる部分を破壊されれば死ぬのだ。


 人で言う魔道器官――士魂に当たる器官が、魔物にもあるのだと師匠から教わっている。


 魔物は騒臓そうぞうと呼ばれるその器官によって、世の理を侵すのだという。


 あのデタラメな巨体を支えているのも、騒臓そうぞうによるものだろう。


「……問題は、それが何処にあるか、なのだが……」


 鉛色の甲殻と瘴気を発するという特徴以外は、魔物はそれぞれがまったく別の形をしておる。


 騒臓そうぞうを剥き出しにしてるわかりやすいモノもおれば、体内の奥深くに隠しとる面倒なモノもおるんだ。


 この蜘蛛のような魔物の巨体には、それらしきものは見当たらない。


 恐らくは体内にあるということか。


 などと思考を巡らしていたのが悪かったのか。


 ワシの隙をついた魔物は、不意に後ろに飛び退いた。


 と、魔物の血走った目のすべてがワシを捉えて、赤く妖しく光る。


「――ブオオオオォォォォォ……!!」


 その口から、濃密な黒霧――瘴気が放たれて、辺りが黒一色に染め上げられた。


 む、こりゃマズいか!?


 ワシを取り囲む魔道の舞台と瘴気がぶつかって、バチバチと紫電が飛び散る。


「クソっ! どこ行った!?」


 師匠やアメならば、風を吹かす魔道でこの黒霧を散らせるのだろうが、ワシはああいうのは得意ではない!


 ――瞬間、衝撃が走って身体が吹き飛ばされる。


「――ぐうぅっ!?」


 周囲を取り囲んでいた瘴気から飛び出して、ワシはなにかに背中を打ち付けて呻く。


 枯れ木を砕いたような音がして、アバラが折れたのがわかった。


 あまりの勢いで吹き飛ばされて、辺りが真っ赤に見えとる。


 結界張っとくんだったわ!


 完全に油断しとった。


 息がうまくできない。


 激痛に涙が滲んで、赤く染まった視界が歪む。


「――シノっ!!」


 皇子みこ様が叫んどる。


 それをガライが必死に押さえとるの。


 ……はよう、逃げろよ……


 グノリは……ようやく甲冑の鞍房あんぼうに乗り込んだところか。


 黒霧の中から、うねうねと歪んだ脚を蠢かしながら魔物が這い出てきよった。


「げふひひひ……」


 それは嘲笑……いや、愉悦か?


 デカい口から紫色の長い舌を垂らし、よだれを周囲に撒き散らす。


 手傷を負わせられた相手を仕留められそうで、良い気になっているのだろう。


 もはやここまでか……


 まともに呼吸ができんから、魔道による身体の強化が抜け落ちとる。


 新たに唄うことも難しいだろう。


 周囲を包んでいた舞台すら、濃密な瘴気に今にも割れ砕けそうだ。


 ……デカい口叩いたクセに情けない……


「いや、せめて皇子みこ様らの……逃げる時間は稼いで見せるぞ……」


 どのみちこの身は七年前、師匠に救われなければ果てていたのだ。


 いまさら死など、怖いものかよ……


 死人が生きながらえてるようなワシと違って、皇子みこ様はまだ幼子なのだ。


 あの日、師匠がワシを救ってくれたように、ワシも皇子みこ様らを守らねば……


 ワシは激痛を唇を噛む事でごまかし、強引に身体を引き起こす。


「げふふ……げひげひっ!」


 魔物がよだれを撒き散らしながら、まるでワシに見せつけるようにゆっくりと牙腕を振り上げる。


 降りかかる一撃に備えて、ワシは痛みをこらえて強引に唄う。


「……た、猛れ!」


 魔道を身体に巡らせるが、先程までの全身に漲る力を感じない。


 割れた器から流し込んだ魔道がこぼれ落ちていくような、不思議な感覚。


「ゲヒイイィィィィ――ッ!」


 咆哮と共に魔物が牙腕を振り下ろす。


「――クッ!」


 両腕を頭の前で交差させる。


 受け切れるか!?


「――シノオオオォォォッ!!」


 皇子みこ様の絶叫。


 堕ちてくる魔物の牙腕の拳が、ひどくゆっくりと見えた。


 ――瞬間。


 カチリと。


 胸の奥でなにかが合わさる感覚。


 込み上げてくるのは、ひとつの唄。


「……とこしえの眠りより目覚めて……」


 弾けるように舞台が広がって、今まさにワシに激突しようとしていた魔物の拳を弾き飛ばす。


 ワシはさらにことばを重ねる。


「――もたらせっ! <境界宝珠みちわけのたま>っ!」


 吼えるように放った唄に、胸の奥から魔道が噴き出す。


 そして、は応えた。


 背後から暴風を巻いて巨大な影が突き出され、魔物の顔面を殴りつける。


「ギャヒ――――ッ!?」


 たたらを踏んで、魔物の巨体が仰け反る。


 それは人を模した漆黒をしていた。


「……は?」


 なにが起きたのか、ワシ自身よくわからんかった。


 あの、漆黒の甲冑が――誰も動かせんと聞いとったそれが、ワシを守るように魔物を殴りつけたんだ。


 そして、ワシの身を優しく抱えあげると、その胸の鞍房あんぼうへと誘う。


 鞍に座らされると四肢が固定され、顔に面が着けられた。


 甲冑の無貌の白面に文様が走って、金色こんじきかおが描き出される。


 痛みはいつの間にか消えていた。


 ……目を開く。


 動かし方は、士魂が識っていた。


 ――これが甲冑を着るという感覚なのか。


「……う、動いた、だとぉ?」


 ガライの驚愕の顔がはっきりと見えた。


「――シノ!?」


 皇子みこ様もまた、唖然とこちらを見上げていた。


 ふたりの向こうで、グノリが乗った甲冑がようやく動き出す。


「ガアアアァァァァァァ――ッ!!」


 甲冑に邪魔されて癇に障ったのか、はたまた威嚇のつもりなのか。魔物が一際高く咆哮した。


「……うるせえよ」


 心はひどく落ち着いていた。


 左右の腕を交差させるように両肩の甲――大袖に伸ばすと、跳ねるように扇が飛び出す。


 それを握って打ち広げ。


「ハハっ! まるでワシの為にあつらえられたようじゃないかっ!」


 ワシが師匠にもっとも褒められたのが舞闘術だ。


 左手を上段に、右手を正中に置いて、ワシは両足を揃えて構える。


「さあ、魔物よ。仕切り直しだ!

 ナガレリュウの舞いを一差し、お相手願おうか!」


 そして、一歩を踏み出す!

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化生の国の舞姫 ~生贄に捧げられたワシ、土地神に死ぬほど鍛えられた結果、知らん間に天下無双になっとった!?~ 前森コウセイ @fuji_aki1010

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