第1話 5

「――やっべ!」


 舌打ちしたグノリは鞍に座るワシを抱えあげると、鞍房あんぼうから飛び降りた。


 その間にも、怒声の主は足音も高くこちらへやって来る。


 入り口の逆光で顔まではよくわからんが、影は大小三つ。


 グノリとガライはその場に跪き、ワシもグノリに頭を押さえられて、地面に座らされた。


 やがてワシらの元にやって来たのは、青の礼装を着込んだ初老の男と、ワシと変わらん年頃のわらし二人だった。


 わらしの片方は初老の男に似た黒の礼装を着込み、もう一方のわらし武士さむらいのような動きやすい格好をして、腰には剣を佩いているのがわかった。


 グノリはその礼装のわらしに両腕を重ね掲げて。


「オオクマリノ皇子みこに、ご挨拶申し上げます」


 そう口上を述べると、グノリもガライも頭を下げる。


 内裏に来る前に、マツリベが偉いって話は聞いてたからな。


 そのグノリが頭を下げてるんだから、目の前の三人はもっと偉いってことだろう。


 ワシもふたりを真似た。


「……面を上げよ」


 青の礼装の男がそう告げて、ワシらはそれに従う。


「カナデタケルとヨロイタクミノツカサか。それと……子供?

 そなたら、ここでなにをしていた?」


「は……それがし、この度、養女を迎えまして、義娘に甲冑見物でもさせてやろうとしていたところです」


 男がワシを一瞥する。


 むらの連中みたいな、ワシを見下すようなイヤな目つきだ。


「まあまあ、イリヤ。良いではないか。祝いみたいなものだろう?」


 と、そう声をかけたのは、グノリがオオクマリノ皇子みこと呼んだわらしだ。


 その口調から、ワシはこの場で一番偉いのが、このわらしなのだと理解する。


「あ、あの! 皇子みこ様方は、こんなところへ何用で?」


 ガライは引きつった笑みを浮かべて尋ねる。


「おう、あに様方から、誰にも動かせぬ甲冑があると聞いてな。ひとつキシルにも試させてみようと、やって来たのよ」


 皇子みこ様は隣に立つわらしの背中を叩いて、そう笑顔を浮かべた。


 武士風のわらしはキシルというのか。


 しかし、なにも今、そんな思いつきをしなくても……


 思わず心の中で愚痴ってしまう。


 もうちょっとであの黒い甲冑を着られたというのに、とんだ邪魔が入ってしまったものだ。


「そういうわけだ。これからあの甲冑を使うから、そなたらは立ち去るが良い」


 皇子みこ様がイリヤと呼んだ男が、ワシらを追い払うように手を振る。


「いや、イリヤよ。そこまでせずともよい。

 ――娘、そなた名は?」


 んん!? どう答えたら良いんだ?


 横目でグノリやガライを見るが、二人は畏まったまま顔に脂汗を浮かべてワシを見ている。


 ……これはきっと、グノリやガライにしたような挨拶ではいけないのだろう。


 ふむ……


 少し考えて、ワシは師匠に挨拶していた時のアメを思い出した。


 あれを真似れば、なんとかなるか?


 深呼吸をひとつ、顔を俯かせて両手を合わせ捧げ。


皇子みこ様におかれましては、お目通り頂き光栄の至り。

 わたくし、マツリベ氏はカナデタケルに養女として引き立てられました、シノと申します」


 左右でグノリとガライが息を呑むのがわかった。


 ――どうだっ!?


「ふむ。楽にせよ。

 シノよ、そなた甲冑に興味があるのか?」


 どうやら作法は間違ってなかったようだな!


 重ねられた問いかけに、ワシはボロが出んよう頷きで答える。


「ならば共に見ようではないか。

 カナデタケルとヨロイタクミノツカサも楽にせよ」


 子供らしい笑みを浮かべて、皇子みこ様はワシの手を取って立ち上がらせる。


 グノリとガライも指示に従って立ち上がった。


「……皇子みこよ! このような者達と!」


 イリヤが叱責するが、皇子みこ様はどこ吹く風といった様子だ。


「じいはいつも小うるさ過ぎる!

 さあ、キシル。はよ、用意だ!」


「はい!」


 皇子みこの指示に、キシルが漆黒の甲冑の鞍房あんぼうへと這い上がる。


 ……むぅ。まあ自分で動かせなくても、この綺麗な甲冑が動くのを見られるのは悪くないのか?


 キシルは鞍に座ると、左右の筒に手足を突っ込む。


 ――だが。


 甲冑はうんともすんとも言わん。


「――ええい、キシルよ! なにをしておる!

 それでもミヤモリベの――このワシの孫かっ!」


 イリヤが鞍房あんぼうで魔道を振り絞るキシルを叱責する。


「……なあ、グノリ。ミヤモリベって?」


 すぐ隣で漆黒の甲冑を見上げるグノリの袖を引いて頭を下げさせると、ワシはそっと訊ねた。


「ウチと同じくらい古い氏族で、四公のひとつ――みかどや皇族を守る役目の家だ。

 イリヤ殿はコノエノミコト――ミヤモリベ氏の長だな」


 地に生きる神を除けば、人の世ではみかどが最も偉いのだという話は、昨日、社殿見物をした時に教えてもらったから覚えておる。


「つまりイリヤの孫ってことは、キシルもまたミヤモリベって事か。

 もうひとつ。オオクマリノ皇子みこ様は、みかどの子供なのか?」


「いや、ご令孫だな。五王の四位――クマハヤセ王の御子だ」


「……ホンット、ややこしいな!?

 まあみかどの孫だから、護衛も孫がついてるってのはわかった」


 そんな事を話している間も、キシルは顔を脂汗に濡らして魔道を振り絞っておった。


「キシル! 気合いを入れろぉ!」


「――うおおおぉぉぉぉぉ!」


 イリヤに叱責されて、キシルが咆哮する。


 それに応えるようにキシルの胸で、魔道の核たる士魂が赤い輝きを放つ。


 それはすぐに明滅を始め、周囲に不快な金属音を打ち鳴らした。


「――バカ! やめさせろっ!」


 叫んだ時にはもう遅かった。


 立ち込める死臭と、それを隠すかのような強い香の香り。


 粘り気を帯びた黒霧が立ち込める。


「――瘴気だと!? どこからっ!?」


 グノリもすぐにそれに気づいて、オオクマリノ皇子みこ様を庇うように立つ。


「あそこだ!」


 天井近くに、漆黒の球が浮かんでいた。


「具現しない魔道が行き場を失って、侵災を起こしたんだ!」


 ワシも魔道を覚えたての頃は、よく起こしとった。


 本来の魔道は、世の常を書き換え、地に流れる霊脈に還ってまた士魂に巡る。


 だが、今のように具現されないまま、霊脈に還ることもなくその場に多くが留まった場合、それを餌とする異界の化け物を呼び寄せる事になるのだ。


 ――つまり、侵災だ。


 漆黒の球から生木を裂くような音が響き、それはゆっくりと、染み出すように姿を現す。


 鉛色をした甲殻を持った、巨大な蜘蛛。


 その脚は人のそれを歪に大きくしたようで、でたらめに並んだ紅い眼は、人の眼球のようでばらばらにまばたきさえしている。


 乱杭歯が並んだデカい口の両端からは、太く長い人の腕がまるで牙のように生え伸びていた。


 ――魔物だ。


 この世の生き物を冒涜するような見た目と性質。


 ヤツらはあらゆる生き物を殺戮する事に悦びを見出す、この世すべての敵なのだと、ワシは師匠から教わった。


 すなわち巡り合ったなら容赦なく潰せ、と!


「――し、侵災だとっ!? これが!?

 ク、クソ! カナデタケル! 皇子みこを守れ!

 ワシは武士共を呼んでくる!」


 言うが早いか、蔵の出口へ駆け出すイリヤ。


「――あっ! コノエノミコト殿っ!

 ……ちくしょう! あの爺、逃げやがった!

 皇子みこ様、オレの後へ!

 ガライ殿はキシル殿を!」


「わ、わかった!」


 グノリの指示に、ガライは漆黒の甲冑に駆け出す。


 見れば、鞍房の中でキシルは意識を失って倒れ込んでいた。


「ど、どうしたら……どうしたら……」


 皇子みこ様も顔を真っ青にしてブルブルと震えている。


 轟音を立てて、魔物が地面に落ちる。


 ギシギシと不快な音は、ヤツの歯ぎしりの音だ。


「でけえな、オイッ!

 こっちは丸腰だっていうのに!」


 グノリが毒づく。


「……ふむ。ならばワシが時間を稼ごう」


 と、ワシはグノリの隣に立って、そう請け負った。


「その間に、グノリは甲冑を着れば良いだろう?

 師匠が言うとったぞ。いかに異界の生き物とはいえ、こちらに出てしまえば、この世の取り決めに従うのだと」


 士魂を狂わせる瘴気を放つ以外は、異形の化け物――化生と変わらん性質になると言うことだ。


 ワシは師匠の教えをそのまま声に乗せる!


「つまり、物理こそ力! 圧倒的破壊力の前には、魔物でさえもひとたまりもないっ!

 甲冑なら、それができるだろう?」


「だが、シノ!」


「だがもクソもあるか!

 そもそもワシは師匠の――土地神アカメの弟子にして眷属だぞ!

 侵災や魔物を前にして退けるものか!」


 土地神は収める土地の霊脈の整調を役目としておる。


 当然、その乱れによって生ずる侵災や魔物の調伏もまた、お役目のひとつなのだ。


「――シ、シノっ! そなたは童女わらわめではないか!

 無理をする事はない!」


 皇子みこ様がワシに叫ぶが、ワシは首を振って笑みを浮かべる。


「心配いらん! 魔物の相手はこれが初めてじゃないからの!

 さあ、グノリ! 動け動けっ!」


「――クッ! 無茶はすんなよ!

 皇子みこ様、失礼します!」


 グノリは皇子みこ様を抱えて、近くに跪く甲冑へ駆け出した。


 そうして残されたワシは、半身に構えて魔物のツラを見据えた。


 腹に力を込めて、師匠から教わった魔物調伏の口上を放つ。


「――アマツナガレリュウこと、土地神アカメが一番弟子シノっ!

 まろび出でたそなたに恨みはないが、世の理を保つ為、其の尽くことごとくを調伏仕るつかまつるっ!」

 

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