キラキラと輝くもの
会社から帰り、家に着くと大野は布団に倒れこんだ。
「なんだよあいつら、糞糞糞。ありえねー、この俺があんなに嫌われているなんて。もう俺の居場所はないのか。彼女も友達も仕事も失っちまった。どうしたらいいんだよ、この先。転職するしかないのか。せっかく正社員になれたばかりなのに。もう転職か。辛いな、人生は辛い。もう嫌だ」
そんなことを喚き散らしながら部屋で暴れる大野。隣人から壁ドンされるがそれも気にせず、暴れ、壁を叩き返す大野。するとふいに家のチャイムが鳴った。なんだよこんなときに誰なんだよ。そう思い、ドアを開けるとなかなかの美人が立っていた。
「あのー、隣の部屋の者ですが大丈夫ですか?」
大野はふいをくらった上に、相手が美人だったのもあってどぎまぎしてしまった。
「あ……いや、大丈夫です」
しどろもどろになりながらそう答えると、美人が続ける。
「さっきからバタバタしてて、何かあったんですよね? どうしたんですか?」
「いや、実は嫌なことが立て続けに起こりまして……」
「そうなんですか。でも、迷惑なので暴れるのはやめてくださいね。では、失礼します」
「ちょっと待ってください」
美人が振り返り尋ねる。
「なんですか?」
「話を聞いてくれませんか?」
「あー、まあじゃあ30分くらいなら」
美人の了承を得ると大野は内心狂喜乱舞した。こんな美人をひっかけることができた。まだまだ俺も捨てたもんじゃないな。よし、このまま話して仲良くなって彼女にしてやろう。そんな魂胆を持ちながら美人にこれまでの詐欺に引っかかった話や、1日で別れてしまったマサの話をする。最後まで聞いた美人の答えはシンプルだった。
「そうなんですね。詐欺に引っかかったのは同情しますけど、1日で別れたのはあなたの自業自得ですね」
「え、ああ、はい」
大野はマサと別れたのは自分のせいだとは思っていなかったので、その答えには面食らってしまった。いや、俺は悪くないよな? なんだこいつ、何を言っているんだ? 美人が続ける。
「会社で嫌われているのも話を聞いてすごく納得したし、あなた人としてクズですよ。その性格を直さないとどうにもならないですよ? じゃあそろそろ30分経つんで失礼しますね。さようなら」
「おい、ちょっと待てよ」
「なんですか」
「俺がクズなわけないだろ。周りの人間が全部悪いんだから、俺は悪くないんだ!」
「いや、あなたが悪いです。さようなら」
そう言ってドアをばたんと閉め、去っていく美人。残された大野はまたしても暴れだすのだった。なんであんな初対面の人間に言われなくちゃならないんだ。俺なにも悪くないのに。ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! バタバタと周りの物をたたき出す。壊れてしまいそうな勢いで。あー、糞。酒でも飲むか。そう言ってウイスキーを瓶のまま飲みだす大野。辛くて飲めたものじゃなかったが、無理やり飲む。身体に危険性があるのはわかっていたが、やめることができない。頭がクラクラしだす。ばたんと布団に倒れこむ。30分ほど眠っていただろうか。チャイムとドアをノックされる音で目が覚める。ドアを開けると警察官が立っていた。
「大丈夫か? お兄さん」
大野が暴れだし、近所迷惑になっていたばかりに近所の人間が警察を呼んだらしい。大野は酔いながらも理解する。
「ああ、はい。大丈夫です」
「随分お酒飲んでるね。あんまり暴れて周りの人たちに迷惑かかってるから静かにしてね」
「はい、すみません」
「じゃあもう帰るから。今日はもう寝なさいね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
大野は一気に冷静になった。自分の部屋は随分と荒れていた。自分でやったこととはいえ、信じられなかった。あまりに部屋が散乱としていた。ああ、俺はバカだなと思いながらゴミ袋を取り出し、ゴミを片付けていく。高かったお酒も瓶が割れて飲めない状態になっていた。ああ、高かったし、まだほとんど飲んでないのに。大野はひたすら悲しい気持ちになり、明日からどうしようか悩んでいた。仕事もまた謹慎になったし、また時間ができてしまった。しかも借金してて、お金ないし、どうしたらいいんだ。また、バイクでツーリングでも行こうかな。でも、また詐欺師に引っかかるかもな。第一、バイクに乗りたい気分でもないな。マジで何をしたらいいんだ。孤独な30歳の友達なし、彼女なし、仕事なしの男は何をしたらいいんだ。とりあえず今日は寝て、明日はハロワでも行って仕事を探すか。そう言って大野は汚い汚れてしまった布団で眠りについた。
目が覚めるともう昼を過ぎており、外は雨だった。雨だと出かけるの面倒くさいし、今日はもう何もしないことにしよう。そう思って、スマホを布団で転がりながらいじりだす。いつものように各種SNSをチェックしていくが、真新しい情報はないし、面白い投稿もなかった。「あー、つまんねー」そう言いながら、スマホを頭の横に置く。俺はマジですべてを失ったな。なんの気持ちも湧いてこない。ある意味悟りの境地に達してるかもしれないな。そうだな。仕事も友達も恋人もお金も空虚で意味のないものだな。そう思うとなぜか心が少し軽くなった気がする。悟りを開いた大野は、座禅を組みだす。その格好の方がなんとなく落ち着くんじゃないかと思ったためだ。座禅を組みながら今まであったことを思い出していく。会社でミスをして謹慎となったこと、バイクで北海道ツーリングに行ったが詐欺にあってしまったこと、山上に縁を切られたこと、マサと恋人になれたのにすぐに振られたことなど様々なことを思い出すが、なんの感情も湧いてこなかった。これが悟りを開くことかと大野は思った。
大野はそのまま今まで生まれてきてからの様々なことを思い出していく。小学校のとき山上と仲良くなり、よく遊んでいたこと。中学校のとき平山という担任が嫌いだったこと。高校のとき友達が誰一人できなかったこと。大学のときネットを駆使してネットの友達を増やしたこと。社会人になっていろいろな仕事を経験したこと。それらすべてもやはり空虚で何も感慨が湧いてこない。空虚になった大野は今ならなんでもできると思い始めた。それこそ今なら楽に死ぬことができると少し思ったがそれは思いとどまることができた。死ぬのは最後の手段で人生をがむしゃらに泥臭く生きていこうというむしろ前向きな気持ちが湧いてきた。
まずは仕事を探そう、そう思うと大野のその足はハローワークに向かっていた。ハローワークまでは雨もあって徒歩で向かっていた。悟りを開いた大野には雨音や車の走行音、虫の奏でる音色が心地よく思えてくる。心が豊かになったのか、自然と表情も柔らかくなり、愛想がよくなった気がする。30分ほどかけてハローワークに到着すると、受付に向かった。
「すみません。求職者登録をしたいのですが」
「はい、そうしましたらこちらの用紙を記入くださいね」
大野は言われた通りに用紙を記入していく。ハローワークに訪れたのも久しぶりだった。前回の転職をした以来なので3年ぶりだろうか。前とは別のハローワークにはなるので懐かしいという感情は当然湧いてこないが、ハローワークの持つ独特のひっ迫感は共通していた。なんとなく息苦しさを感じるが、悟りを開いた大野にはあまり関係なかったようだ。用紙の記入が終わり、提出すると相談員との面談となった。
「よろしくお願いします」
「はいどうも、よろしく。えーっとね、大野さん? 今は無職ってことでいいのかな?」
「いえ、一応会社に所属していますが、ほぼクビみたいな状況です」
「あーそうなんだ。状況はよくわからないけど、辞めることにはなりそうってことね。今はどういったお仕事をなさってるの?」
「SEというか顧客の要望に合わせてシステムをカスタマイズする仕事です」
「なるほどね。同じような仕事をしたいの?」
「いえ、もともと人事系の仕事をしていたので人事系の仕事をしたいです」
「はい、そうなのね。まあ、人事系というか事務は人気だからあんまり求人ないんだよね」
「そうなんですね」
「うん、別な仕事はどう?」
「いえ、人事系で探します」
「あらそう。まあ求人検索でもして今日は帰ったら?」
「はい、そうします」
「ってかお兄さん、淡々としてるね。まるでお坊さんみたいな雰囲気もあるね。そういう修行か何かした?」
「毎日が修行です。今日のこの日まで苦痛を味わってきました。それが報われて悟りを開いたんです」
「意味は分からないけど、まあ頑張ってね」
「はい」
大野はハローワークで人事系の求人をいくつかピックアップし、その日は家に帰った。
その後、ハローワーク経由でいい仕事が見つかり、新しい会社で大野は淡々と働いている。長谷川、山上、マサと3人もの大切な人を一気に失ってしまったが、大野の心はどこまでも晴れやかだった。大野は思うところがある。それは一瞬でも美人といい思いができてよかったということだ。自分は一生付き合ったりできないと考えていた。しかし、短い間とは言え、彼女のような相手ができとてもうれしく思う。その思いは大野の残りの人生にとって、深い意味合いがありそうであった。
「ああ、ここまで生きてきてよかった。本当に長谷川といい、マサといい付き合うことができて良かった。その2人と山上という友達は失ったけど、なんだか充実してるな。これからは他人を受け入れて生きていこう。俺の人生は素晴らしい」
そう思った大野は新しい会社で働き続けた。上司、同僚との関係も前の会社と比べ大野の物腰が柔らかくなったおかげで良くなったし、借金も少しずつ返し始めている。これから特に大きなライフイベントは起こりそうもない。しかし、ひと時の経験が大野の人生にキラキラとした輝きを与えたのは紛れもない事実なのであった。
鈍く輝くもの 石島時生 @ishijima_tokio
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます