またしても

 次の日、会社に出社すると思いがけずマサと会った。

 

「おはよう。大野君」

「マサ。おはよう」

 

 すると小声でマサが

 

「会社では今まで通りにして」

 

 と釘を刺してきた。大野はにやけながら「はい」と返事をしたが、マサには「本当に伝わったのかしら」と疑問を持たれたようだった。

 

 その日の大野は当然、ご機嫌で仕事をはきはきとこなしていく。人が嫌がる仕事を積極的に引き受け、返事もはきはきとしていた。周りの同僚もなにかいいことでもあったのかと勘繰るほどだった。実際いいことはあったし、それの影響であることを大野は隠そうとはしなかった。同僚の1人が尋ねる。

 

「大野さん、なにかいいことあったの?」

「はい、実は彼女ができまして」

「え、そうなの? おめでとう!」

「しかも、恥ずかしいけど初彼女なんです。相手は山本昌子さんで」

「え? うちの会社の山本さん? そんな仲良かったんだ?」

「はい、前から山本さん、俺のことを気にかけてくれていて。ようやく付き合ったって感じですね」

「ふーん、そうなんだ。とにかくおめでとう」

「ありがとうございます」

 

 そんな風に大野はマサと付き合ったことを同僚に言いふらしてしまっていた。当然マサにもその噂は広がっていく。しばらくするとマサが大野の元へやってきた。

 

「ちょっと大野君、どういうこと?」

「どういうことって、事実を話しただけで……」

「関係を言いふらされて嬉しいわけないよね? もういい。別れる」

「え? そんなことないですよね?」

「本気よ。じゃあね」

 

 そう言ってマサは去って行ってしまった。大野はあっという間に初めての彼女を失った。

 

 そこからの大野の落胆っぷりといったらなかった。先ほどまではきはきとしていたのに、随分と歯切れの悪い話し方になり、覇気というものがまったくなくなってしまった。上司からも心配されるほどで、「大野君、もう帰るか?」と声をかけられるほどだった。しかし、大野はその日をなんとか乗り切り、自宅へ帰る。自宅ではマサに振られた時のセリフを何回も思い出していた。

 

「あー、なんで俺は舞い上がっちまったんだ」

 

 大野はとにかく自分を責めた。もう立ち直れないと思うほどに。俺はせっかく彼女ができたのにすぐに失ってしまった。なんてもったいないことを。まだまだしたいことがたくさんあったのに。キスとハグと手をつなぐはできたけど、セックスしたかった。童貞喪失したかった。なんで長谷川といい、マサといい、変な女に引っかかるんだ。そうだよな。マサも変な女だったよな。そうだ、変だ。付き合ったばかりですぐ振るなんてありえないよな。しかもこんなにいい男を。まあでも長谷川みたいに金をだまし取るわけじゃないからまだまともか。だが、マサからアプローチしてきたのに振るなんてありえない。明日会ったら怒ってやる。彼氏として説教しなくちゃな。

 

 そう思って大野はその日はそのまま眠りについた。

 

 次の日、大野は会社に出社するとすぐにマサのデスクに向かった。

 

「マサ、話し合おう。俺が悪かった。仲直りしてくれ」

「大野君、何言ってるの? 私たちもう終わったでしょ?」

「終わってない。だいたいマサからアプローチしてきたんだから、そっちから降るなんてありえないでしょ。もうちょっと彼氏に気を遣った方がいいよ」

「だから、終わったんだって。もう彼氏じゃないよ。話は終わり。仕事して」

「いやだから……」

「大野さん、もう仕事の時間なんだから油売ってないでデスクに戻って」

 

 マサと大野が話していると近くの社員が止めに入る。

 

「邪魔しないでください。俺はマサと話して……」

「じゃあ、その前に俺と話そう」

 

 その社員、吉田は大野を連れて倉庫へ向かった。

 

「吉田さん、なにするんですか? 俺は彼女と話しているだけですよ。2人の邪魔しないでください」

「でも山本さん、もう別れたって言ってるよ? カップルじゃないんでしょ? 君たち」

「それはマサが勝手に言ってるだけで……」

「付き合ってるってのも大野さんが勝手に言ってるだけでしょ?」

「違います。ちゃんと告白して付き合ったんです」

「それは過去の話でしょ? もう別れたんだからもう山本さんに近づかないこと。いいね?」

「いや……」

「いいね?」

「……はい」

 

 大野は強制的に納得させられるとおとなしくなった。そして吉田と大野は仕事に戻っていった。

 

 その日の大野はマサのことが気になりすぎてやはり仕事が手につかなかった。周りの人間も大野に気を遣い、疲弊しているようだった。特にマサが大野の近くを通るときはかなり気を遣っていた。そんなこともあってとうとう大野の上司が大野に言う。

 

「大野君、もう一回会社休むか?」

「え? なんでですか?」

「なんでも糞もないだろう。君がいることで周りの人間が気を遣うんだよ。山本さんは特に優秀だからやめてもらっては困るし、君がいない方がマシなんだよ。こっちとしてはやめてほしいくらいだよ」

「それ、パワハラですよ?」

「パワハラかどうかはおいておいてこの部署の人間全員が君を迷惑に思っているんだ。なあ、みんな?」

 

 部長がそう言うと周りの人間たちが首を縦に振る。大野はその瞬間絶句する。自分がこんなに嫌われているとは信じられなかった。大野は自然と次の言葉を口にしていた。

 

「しばらく休みをもらいます」

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