恋人

 朝になり、マサに起こされる大野。

 

「ねえ、大野君。どういう状況?」

 

 大野も目をこすりながら、昨日飲んでマサに連れていかれるがままにホテルに入ったこと、しかしマサが眠ってしまい性行為を行うことはなかったと説明した。

 

「あ、そうなんだ。よかった。私酔うと結構エロい気持ちになっちゃうの。何もなかったならよかった」

「はい、でも俺は正直やってみたかったです」

「正直だね。でもそういうのは付き合ってからね」

「はい」

 

 大野はあからさまにがっかりしながら、寝込みを襲っておけばよかったと後悔する。しかし、大野はそう思いながらもやっぱり童貞喪失はちゃんとしたシチュエーションがいいなと思った。

 

 次の日、会社でマサと会っても変な空気にはならなかったので安心する大野。いつも通り挨拶を交わすし、マサからも雑談を振ってくれる。

 

「バイクは最近も乗ってるの?」

「北海道以来乗ってないですね」

「そうなんだ。もったいないね。またどこか行ったら教えてね」

 

 まるで昨日何もなかったみたいだと思う大野。マサはそのようにしたいと思っているが、大野は昨日のことを鮮明に覚えており、なかったことにはしたくなかった。そう初めて童貞喪失のチャンスだったのだ。童貞の大野にはとてももったいない機会だった。大野はまたマサを誘おうと思うが、そういう空気を出すと見事にマサに避けられる。どうしたもんかと考える大野。やっぱりマサはあきらめるしかないのかとも思う。しかし、マサはキモイ大野に普通に接してくれる数少ない可愛いらしい人だったし、捨てがたかった。大野はまずはランチに誘うことを考え付いた。夜だと前のようなことを警戒されるし、ランチならそんなことは起きないはずだとわかっていた。早速マサを誘うと意外にもOKしてくれた。近くの中華料理屋に2人で向かう。

 

「マサさん、ランチ来てくれてありがとうございます」

「いいよ、ランチくらい。夜じゃないしね」

「本当はディナーが良かったんですが」

「それはごめんけど無理」

「ですよねー」

 

 中華料理屋に入ると、お互いランチメニューを注文する。ランチは700円代が平均でリーズナブルだった。

 

「ここ安くて良く来るんだよね。大野君はいつもコンビニだっけ?」

「そうなんですよ。あまり外食ってしないんですよね」

「そうなんだ。安上がりでいいね」

「マサさんのこと俺諦めてないですからね」

「なに突然。でももう無理だよ。あんなことしようとしちゃったし。正直、大野君のこと警戒してるし」

「その警戒何とかなりませんか?」

「何とかしてよ」

 

 意外にもセンシティブな話題ながら笑いながら話す2人。大野から見てもマサは押せばいけそうだった。ランチが届き、熱いスープをすすったり、チャーハンをかきこみながら大野は語る。

 

「マサさんはこんなとりえのない俺にも優しくしてくれて、しかも美人で、可愛くて、本当に理想の人なんです」

「ありがとう。なかなか大野君も押してくるね」

「だって押せばいけそうなので」

「失礼ね。でも悪い印象は正直持ってないよ」

「やっぱりそうですよね。だからマサさん。付き合ってください」

「ここで告白する? 普通。ちゃんとデートして告白して」

「じゃあデートしてください」

「いいよ」

 

 大野はとうとう非営利の初デートをこぎつけることができたのである。


 デートの服装を大野は迷ったが、原宿の古着屋で教えてもらったポロシャツのコーデで行くことにした。なんのオリジナリティも出さず、そのままの格好だ。マサにサイズ感を指摘されたことを覚えていて、その失敗がないであろうプロのコーデに頼った。これがマサの好評を博すことになる。

 

「お待たせー。って大野君おしゃれだね」

「ありがとうございます。頑張りました」

「うん、前より断然かっこいいよ。サイズ感がいいね。自分で選んだの?」

「実は原宿の古着屋で全身コーディネートしてもらいました」

「なるほどね。その路線がいいと思うよ」

「やっぱりそうか。しばらくはプロに頼ります」

「で、今日はどこに連れて行ってくれるの?」

「映画を見ましょう」

 

 そう言って、映画館に向かう2人。観る映画は大野が実は好きでない恋愛系の映画だった。マサが好きだろうなと踏んでのチョイスだった。ポップコーンと飲み物を買って、並んで席に座る。大野はいいシーンになったら手を握ってしまおうかなどと企んでいた。しかし、マサはそれを察していたのか手すりに手を乗せることはなかった。

 

 映画が終わり、席を立つ2人。大野がマサに尋ねる。

 

「手を握られるの警戒してましたよね?」

「いやー? なんのこと?」

 

 マサにとぼけられる大野。「わかってるくせに」とぼそっと大野は言ったが、マサはそれを無視した。

 

「でも映画面白かったね」

「そうですね。恋愛系の映画はあまり見ないんですが、これは面白かったです」

「だろうね。大野君、恋愛の映画嫌いそうだもんね」

「はい、はっきり言えばそうです」

「やっぱり。後半はホラーテイストだったけど前半は完全に恋愛系だったね」

「後半が最高でした」

「だろうね。知っててチョイスした?」

「はい、少し知ってました」

「面白かったからいいけど、そんなんじゃモテないよ」

「マサさんにモテればいいので」

「そ」

 

 そう言ったマサはまんざらでもない表情だった。

 

 2人でカフェに入り、冷たいアイスコーヒーを飲みながら言葉を交わす。

 

「大野君、本当に会社でも明るくなったよね。最初はただの真面目なつまんない人だと思ってた」

「人見知りなので。でもようやく慣れてきました」

「3年は長かったね」

「はい、マサさんみたいに話しやすい人ができたのもあります」

「大野君、積極的だね。いいと思うよ。そういうの」

「はい、マサさんを落とすつもりなので」

「頑張って」

 

 マサは照れながらも嬉しそうである。

 

「マサさんこの後はプラネタリウム行きましょう」

 

 2人はプラネタリウムに向かった。

 

 そのプラネタリウムはビルの上階にあり、窓からの景色もいい格好の告白スポットだった。マサはここで告白されるんだなと察したが、何も言わなかった。プラネタリウムが始まる。寝そべって観られる席を予約していたので、2人は寝そべりながらプラネタリウムを鑑賞した。説明も面白く、単純にきれいだった。プラネタリウムが終わり大野が言う。

 

「マサさん、最上階に行きましょう」

「うん」

 

 2人はエレベーターで最上階の展望台に向かった。

 

 夜もすっかり更けて、地上の建物たちのライトがきれいに映えていた。大野が改まって言う。

 

「マサさん、好きです。付き合ってください」

 

 きれいな告白だった。マサもそれを感じ取る。窓から眺める景色より、告白がきれいな言葉として映る。マサが応える。

 

「よろしくお願いします」

 

 大野に初めての彼女ができた。

 2人でエレベーターで地上に降りながら、会話はなかった。ただし、2人は手をつなぎ雰囲気に酔いしれていた。どちらからということもなく、自然に手をつないでいた。地上に着くと、マサが「まだ帰りたくない」というので、近くの公園に寄った。周りもカップルだらけで、なんとなく落ち着かない。空いているベンチに2人で腰を掛ける。周りのカップルはキスしたりハグしたりイチャイチャとしている。大野たちもなんとなくそういう雰囲気になっていた。マサが顔を近づける。大野もそれに合わせて目を閉じながら顔を近づける。2人はキスをした。触れるだけのキスだった。なんども唇を重ね、唇の感触を確かめる。マサが腕を大野の後ろに回す。大野も同じように腕をマサの後ろに回す。2人はハグをして互いの体温を感じ取る。暑い季節ではあったが暖かかった。マサが言う。

 

「初めての彼女とこういうことできてうれしい?」

「はい……」

「もう恋人なんだから敬語はやめて。友樹」

「うん、マサ」

 

 マサが思わず吹き出す。

 

「呼び方はマサなのね。まあそれでもいいよ」

「昌子って呼ぼうか?」

「好きに呼んで」

「じゃあ、マサマサで」

「そうじゃないでしょ。今まで通りマサって呼んで。友樹は呼んでもらいたい名前ある?」

「じゃあ、ゆう君で」

「わかった。ゆう君大好き」

「俺も好きだよ、マサ」

 

 夜も更けていき、帰りの電車に乗り込む。電車の中でも2人は固く手をつないでいた。お互い手を絡ませながら、目を見つめ合う。はたから見ればバカップルだった。近くの中年男性から咳払いされたり、目線を感じるが2人は気にしない。

 

「帰りたくないよ、ゆう君」

「俺もだよ、マサ。どこかで休む?」

「それは流石に早いよ。ゆう君」

「そうだよね」

 

 大野は以前のことがあり、すぐに性行為ができると思っている節があった。大野はセックスがしたくてたまらなかった。

 

「じゃあ、また今度誘わせて」

「その言い方キモいよ。ゆう君」

「あ、ごめん……」

 

 マサから軽く拒絶され、ショックを受ける大野。電車がマサの最寄り駅に到着し2人は別れる。

 

「またね。ゆう君」

「うん。また、マサ」

 

 電車のドアが閉まり、2人は完全にその場を別れる。大野は先ほどのキスを思い出し。想像の中で反芻していた。手を握った感触も。はたから見れば大野はキモすぎる男だった。近くの大学生から若干の距離を開けられるが大野は気にしない。心の中で「キス気持ちよかったな。手を握った感触もよかったな」そんなことばかり考える。いつの間にか自宅の最寄り駅に到着していた。最寄り駅で電車を降り、家路を歩く。マサからLINEが届いた。

 

「今日は楽しかったよ。これからよろしくね」

 

 大野は声にならない絶叫を上げると速攻で返信をする。

 

「こちらこそありがとう。これからいろいろ一緒にしようね。こちらこそよろしく」

 

 意外にも冷静な返信ができた大野。そんなことをしているとあっという間に自宅に着いた。自宅でやはり今日のことを反芻し始める大野。「今日はキスもハグも手をつなぐこともできたな。人生で一番いい日だった。でもこれからこれ以上のことが待っているんだな。ワクワクするな!」大野は上りったテンションでなかなか眠りにつくことができなかった。

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