7.3 一緒に行こう

 魔法少女としての経験が浅い巫女は、相棒ほど力の制御に長けているわけではない。

 不意に身体に回った魔力で体がし、足元がふらついてたたらを踏む。直後に彼女を見舞うのは、頭の血が全部下に落ちてゆく冷たい感触と、ぐるりと回る視界だ。

 耐えきれずに膝をついてしまった巫女の銀髪の先と、白袴の裾に、艶のない黒がちらつき始める。


「紗夜!」


 遠のきかけた彼女の意識の向こうから、声がする。

 魔法少女としての名ではなく、真の名で、少女を呼ぶ声だ。


 ――は、そこにいる。


 確かめなくたってわかる声の主に導かれるように、巫女は淑女を制して立ち上がった。


「元の平穏と安らぎを!」


 愛しい人の方に視線を向けたのは、ほんの一瞬だけ。

 高らかに声を上げて、巫女は自分をこの場に繋ぎ止める。背筋に間断なく悪寒が走り、銀髪と袴には明らかに艶のない黒が混じるが、彼女はもう止まらない。


「【救済】」


 振るわれたぬさの先、紙垂しで3のこすれる乾いた音とともに、純白の輝きが世界を包み、瘴気を消し飛ばす。

 息つく間もなく世界が宵闇を取り戻したときにはもう、目を凝らしても耳を澄ましても、不穏な気配は感じ取れない。


「終わっ……た……?」


 しばらくは警戒の色を隠さなかった巫女だが、【転調】の幕が引かれ、夜が色を取り戻してようやく、その表情からこわばりを解いた。

 僅かな光すら跳ね返す銀髪も、元の白さを取り戻した魔法少女装束ドレスも、どこかくたびれているように見える。


「【救済】完了しました。あとをお願いします、桃香さん」

[ご苦労さま。体は大丈夫かい、?]

「……大丈夫、です」

[承知した。引き続き周囲を警戒していてくれ。ただ、あまり無茶はしてくれるなよ]


 報告を終えた魔法少女・ジュリエッタ――藤乃井紗夜は、即応部隊の事後処理が差し支えぬよう、少し離れたところであたりに気を配る。鋭い感覚に、この世のものならざる気配は引っかからない。


「ご苦労さま、紗夜ちゃん。初めてにしては上出来じゃないかしら?」

「まだまだです。もっとうまく力を制御しないと……。もう少しでに飲まれるところでした。修練が足りません」


 初仕事を終えたばかりの紗夜は、浮かない顔のままだ。終始そばに控えていた魔法少女グロリア――花泉紫音の講評に返すのも、いたって謙虚な返事である。

 駆け出しゆえに技術はまだまだ稚拙でも、生真面目で向上心の強い後進に、グロリアしおんは目を細める。


「これからもよろしくご指導ください、グロリア先生」

「私もあっさり追い抜かれないように頑張るわ」


 折り目正しく一礼し、顔を上げた紗夜の眼差しは、教えを受ける者としてはいささか挑戦的にも見える。

 それなのに、グロリアしおんの心は静かに沸き立つ。可能性に満ちた少女に好敵手ライバルとみてもらえていると思うと、年甲斐もなく喜びを覚えてしまうのだ。


「それじゃ、私は向こうで現場検証に付き合ってくるから、引き続き警戒をお願いね」


 二人の視線が交錯して散った火花は、夏の夜の風に押し流され、静かに消えゆく。

 先を行くグロリアしおんとは違い、紗夜の足取りは重く、おぼつかない。渋々近場のベンチに腰を下ろして漏らす吐息も、先程の気迫が嘘のような弱々しさだ。緊張が生んだ想像以上の負担と、それを突っぱねられないもどかしさにうつむいた巫女は、そっと唇を噛む。


「お疲れ」


 落ち込みかけていた紗夜に、ねぎらいの言葉とタオルを渡したのは、観察役を務めていた少年だった。

 神社での一件が片付き、グロリアが仮初めのを果たしても、彼の――花泉蒼一の生活は変わっていない。瘴気の反応があれば魔法少女に帯同し、事態の最中はカメラ片手に記録映像の確保に走り、【救済】が終われば疲労困憊の魔法少女をフォローする。仕事に慣れたということもあるが、ここのところ仕事ぶりがすこし変わったようだ。


「大丈夫か、紗夜?」

「ありがと。ちょっと休めば平気」


 そういいながらも、紗夜は差し出されたタオルに顔を埋めきらず、グロリアしおんを目で追っていた。

 魔物を討つのではなく、【救済】する立場となってから、いかに先達が優れた魔法少女であるか実感させられた。紗夜はまだ、大立ち回りのあとに平然と残務をこなす域にまで達していない。共に魔を祓う同志にして、指導を受ける師匠は、魔法少女として遥か前を進む存在だ。


 ――近そうに見えて、すごく遠い。


 その上――魔法少女となった今の姿からは想像しにくいが――紫音は彼女からすれば恋人の母親である。意識しているかどうかはともかく、蒼一の女性観に何らかの影響を与えていることは疑いようもない。


「蒼一くん」

「お、どうした?」

「わたし、早くを追いこせるように、頑張るから」


 あえて悲恋のヒロインと同じ名を冠し、自らを奮い立たせてを超える。

 決意を抱いて使命に挑む新人が、憧れの先輩に向ける敬意と憧憬の中には、明確に対抗心が散りばめられていた。


「意気込むのはいいけど、ほら、前みたいなことにはなってくれんなよ?」

「わかってる。もし何かあったら、さっきみたいにわたしの名前を呼んで」

「ああ、呼ぶよ、何度でも」


 紗夜は額の汗とともに、心の澱と、恋人の戸惑いをまとめて拭い落とす。背筋を伸ばして立ち上がったときにはもう、いつもの春風にた微笑みを取り戻していた。

 蒼一は待ってましたとばかりに、そんな巫女の手を取る。


「あんたが俺にしてくれるように、俺はこれからもあんたを支えてくからさ。一緒に行こう」


 覚悟の決まった大和撫子は、大いなる目標を超えるために。

 見た目と裏腹に「黙って俺についてこい」といえない不器用な少年は、少女を支えるために。

 瘴気が去ってなお少し不確かな夜の世界へと、二人は歩きだす。互いに呼吸を図れる距離のままで。

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魔法少女のために僕ができること 白猫亭なぽり @Napoli_SNT

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