7.2 思い切ってやりなさい

 良きにつけ悪きにつけ、どんな一日でも、必ず日の入りは訪れる。

 それは、跳梁ちょうりょう跋扈ばっこする魔の時間帯――。


 昼間は親子連れの声が響いていたはずの公園が、宵闇に覆われて数刻。整備の行き届いていない電灯が明滅を繰り返すそこは、陽の光を忌み嫌う異形が生まれるにはおあつらえ向きの場所だ。

 今宵もまた、一匹の魔物が堂々と闊歩している。

 背丈は一見それほどでもないが、それは極端な猫背のせいだ。細長い体の折れ曲がり方はの字よりもの字に近く、きちんと伸ばせばあたりの民家など優に追い越すだろう。一方、頭と思しき球体は大人数人がかりでようやく抱え込めるような大きさで、胴の細さと釣り合いが取れていない。その表面は大小無数の眼球がうごめき、あたりに警戒の網をめぐらせている。緑青をまぶしたように鈍く光を跳ね返す体表、細い手足を引きずりながら歩く様は、生物の枠に加えるにはふさわしくない。

 その眼前に、巫女と淑女が躍り出る。

 巫女の装いは、明かりのない闇夜でもぼんやり浮かび上がってみえるほどに、白い。背中にかかる銀髪をまとめた水引に始まり、千早も白衣びゃくえも袴も、果ては肌や手足に至るまで、まるで新雪のような清らかさだ。その細い腰に履くのは、白木拵の刀一振ひとふり。柄に手をかけたまま半身に構え、瘴気に魅入られた存在を凛々しく睨みつける気迫からは、昼間の空港で恋人の手を取って微笑む姿など見いだせない。

 一方、淑女は巫女から一歩退いたところにたちながらも、余裕を持って異形へと圧をかける。薄紫色のホルターネックの装束ドレスに身を包み、柔和な笑みをたたえて立つ彼女は、張り詰めた弓のような相棒とは対象的だ。

 

「こんなに早く正確に魔物の位置をつかめるとはね。私たちが出し抜かれたのも納得だわ」

「これくらい、どうってことありません」


 褒められた巫女は眉一つ動かさない。さっさと決着をつけたくて気が急くのか、いつでも鯉口を切れるよう構えている。


「もう少し肩の力をお抜きなさいな。動きが固くなってしまっては、できることもできなくなるわよ?」


 前掛かりな相棒が早まった行動を取らないよう制した淑女が指を鳴らせば、風景から色がすぽりと抜け落ちる。現世げんじつのそばにありながら明確に切り離された常世せかいで色彩を帯びているのは、魔物と、巫女と、淑女。加えて、少し離れて状況を伺うだけだ。


「援護、お願いします」

「まかせて」


 異形を一刀のもとにねじ伏せんとする巫女の殺気は、一呼吸ごとに純度と密度を加速度的に増してゆく。淑女もただ微笑みながらそこにいるだけなのに、どういうわけか付け入る隙が見当たらない。

 二人の魔法少女が迸らせる無言の圧力に屈したか、先に動いたのは魔物だった。音もなく伸ばされた前足は、大気を一直線に切り裂き、巫女の形良い額を砕かんと迫る。

 受ける側も落ち着いたもので、全て見えているとばかりに身をかがめ、最小限の動きで最大の効果を得た――はずだった。


 背後みえないところから飛んできた死の気配に、少女は目を見開く。


 冷静かつ迅速に、残り三本の手足の在り処を捉えた瞬間にはもう、二人の魔法少女は動き出していた。

 生物には無理のある鋭角を描いて折返し、巫女を仕留めようとした緑青色の凶器は、魔物の巨大な頭を支えていた残りの手足もろとも、淑女が織りなす四本の【鎖】で絡め取られる。

 動きを封じられるのを恐れたか、異形は即座に手足を伸ばして逃れようとするが、もう遅い。


「逃がさない」


 すでにその先へ飛んでいた巫女は、二、三度、青白い流線を煌めかせると、羽毛めいた静かさで地に降り立つ。

 その背後にぽとり、ぽとりと落ちたは、程なくして狂ったように跳ね回り始めた。それは細切れになった緑青色の肉塊。傷口から流れ出た瑪瑙色の粘液は、大気に触れるそばから黒く染まり、やがて塵と化して虚空へ還る。

 支えを失った球体が倒れ伏し、地を揺らしたときにはもう、巫女は血振るいから納刀に至る一連の所作を終えていた。


「お見事。素晴らしい太刀筋ね」


 外に漏れ出ぬ叫び声とうめき声を頭部の中で反響させ、臓腑と結晶質の外骨格を目に見えて震わせる魔物を、淑女が十重とえ二十重はたえに張り巡らした【鎖】で縛り上げる。

 この後に控えるのは、魔法少女が成し遂げるべき最後の仕上げ。

 対峙した魔物を一刀のもとにねじ伏せる技量を持つ巫女にとって、初めての【救済】とあって、緊張は刻一刻と深まる。


「不安よね」

「……はい」

「私も、初めてのときはそうだったわ」

「どうやって、乗り越えたんですか」

「自分のやってきたことを信じなさい。挫けそうになったら、あなたを支えてくれる人のことを考えるの。何かあっても私がいる。思い切ってやりなさい」


 そっと寄り添った淑女の言葉に頷いた巫女は、じり、と両足を踏ん張って構える。

 拘束されているとはいえ、相手はヒトならざるもの、想像の斜め上をゆく動きをしても不思議ではない。巫女は左手を白鞘に添えたまま、空いた手で懐に差した御幣ごへいを抜き、儀式を始める。


「瘴気に魅入られし哀れな者に――っ!」


 だが、朗々とした詠唱は突如止まり、小さな体がおこりのようにぶるりと震える。

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