しっぺえ太郎をなかせるな

夜叉←やしゃ

第1話 しっぺえ太郎をなかせるな

 ミンミンゼミがけたたましく鳴いている。ばあちゃんが亡くなったと聞いた時は驚いたが、久しぶりに帰った里にはいつもと変わらないのどかな風景が広がっていた。ばあちゃんは田舎の小さな集落で一人暮らしていて、たまに顔を出すと菓子パンやジュースで歓迎してくれた。たった一人の孫だからか、ずいぶんと可愛がってもらったものだ。最近は軽い認知症を患って、同じ部屋にいると、何度も何度も何か食べる?と言ってきて少しやるせなくも暖かい気持ちになったものだが、そのやりとりももうできないわけである。


 この集落はN県のかなりの山奥にあり、俺も高校生になってからは忙しくて会える頻度もめっきり減っていたがもっと孝行するべきだったかもしれない。ここは十数世帯の民家が点在している典型的な限界集落で、俺みたいにたまに里帰りする者以外、若者は見たことがなかった。それぞれの家が田んぼや畑、山を所持していて、各々ができるかぎりでそれらの管理をし、ささやかな恵みを享受しながら隠居生活を営んでいる者がほとんどだ。伝統的な風習も多く残っていて、毎年小さな神社では神様に感謝を伝えるお祭りや、豊作を祝うお祭り、餅つき大会や宴会なども定期的に行われており、そういった古臭い文化が残っているということに俺は好感を抱いていた。誰かが亡くなった時も、棺桶を竹の柵で囲んで、数週間安置させるというしきたりがあった。安置させている間、各民家で1日置きに数珠を手渡していく、という奇妙なルールも存在する。聞くところによるとこれは、遺体を神様(?)に奪われないようにするためのおまじないのようなものらしい。明るい雰囲気の集落だが、ここには様々な神様がいるみたいで、暗い言い伝えもいくつか聞いたことがある。そこまで詳しくない俺でさえいくつか知っているのだから、実際はもっと多くの言い伝えがあるのだろう。ばあちゃんは、認知症になってからよく"しっぺえ太郎”をなかせるな、と言っていた。でもしっぺえ太郎なるものが何なのか、ばあちゃんですらよくわかっていないのではないかという反応だった。何をきいても「危ないんよ」とか「ないたら良くないことが起こるんや」とかの応えばかりで要領をえなかった。


 「凛太朗!もうあっち行っといて。」


 「ん?手伝うよ。」


 「ばあちゃんの荷物整理、あんたできんやろ。」


 そんなことない、と反論しかけたが確かにばあちゃんの荷物を取捨選択するのは俺には荷が重い気もする。



 母の言葉に素直に従ったが、家の主要な部分の掃除を終えると手持ち無沙汰になってしまった。ウチは昔、地主だった家であるためそれなりに広い。が、普段人が入らない部分、蔵や倉庫、屋根裏や井戸などは軽い気持ちで掃除できるような場所ではないため、集落を散策することにした。ここの集落は小川にそって形成されており、山の頂上の部分は墓地になっている。川ではごくまれに猟師が猪を解体しているらしい。俺は一度も見たことがないが。お墓参りをすませ、川の下流に向かっていく途中、畑で作業しているおじいさんが目に入った。腰はへの字に曲がっているというのに、桑を振る手は力がみなぎっている様にみえる。ご近所さんだろうから挨拶しておいた方が良いだろう。

 

 「こんにちは。Y家の者です。お疲れ様です。」


 「……」


 「……」

 

 「……」

 

 無視、ということでいいのだろうか。聞こえていないのかもしれないが、俺はそれ以上声をかけるのはやめておいた。


 川の下流に行くにつれ田んぼが増えていき、山から平原に変わる部分には神社がある。小さな神社だから、管理はここら辺の住人が交代で行なっている様だ。ちょうど今も清掃しているおばあさんがいた。


 「こんにちは。お疲れ様です。」

 

 「……あぁ。Yさんとこのお孫さんか。凛太朗君やったか。……気をつけてなあ。」


 「え、気をつけるって何をですか?」


 「……」


 「……そりゃあんた、溺が来るかもしれんからねえ。」


 「溺?」


 「……あんた、溺を知らんのかい。溺はねぇ、神様ということになっちゃいるが怖いんよ。誰かが亡くなったらねぇ、いつの間にか体を持っていきよるんよ。でもねぇ亡くなった人と間違えてかわからんけどたまに生きてる人まで持っていかれるんよ。気ぃつけなあね。」

 

 「そ、そうなんですか。ありがとうございます。」


 「……とにかく、誰もいない場所に行ったりしなければだあいじょうぶよ。」

 

 「はあ。そうなんですか。」

 

 少し不気味だが、こんな話を真に受けるような年齢ではない。しかし興味深い迷信だ。いったいどこからそんな話が生まれるのであろうか。この手の話は、昔の人の理解が及ばないことが起こった時に生まれることが多いが、それ以外にも考えられる。例えば、人が故意に作り話をする場合とか。有名な雑学だが、神隠しなどは、誰かにとって不都合な人を殺す場合や、口減らしのための隠れ蓑とされる。昔の日本では、貧困な家庭では子供や年寄りを養えないこともあった。その時、一人でも家族が少なければ自分たちが助かるとしたらどうだろう。重荷となる人々を切り捨てるとき、神隠しだと言い張って周囲の目を誤魔化していたのか、周囲の大人たちは黙認していただけなのか、今となっては知る由もない。


 「あ、そういえば、しっぺえ太郎については何か知っていますか?」


 「……うん?なんだって?」


 「しっぺえ太郎です。祖母がしっぺえ太郎をなかせるなってよく言っていたんですけど、なんのことかわかりますか?」


 「……うんにゃあ聞いたことないねぇ。」


 「そうですか。……ではそろそろ僕は帰らないといけないんでお参りだけしてきますね。」


 「……おぉん。気をつけてなあ。」


 小さな二匹の狛犬に挟まれて、手短にお参りを済ますと、いつの間にか入り口にいたおばあさんはいなくなっていた。


 「……あっちから帰るか。」


 来た道とは別の小道へと進んでいく。奇妙な話を聴いた後だからであろうか、時折姿を見せる案山子にドキッとしながら歩を進めた。こちらのルートは少し遠回りで、虫も多い。だがそれも、住人が柵の中で飼っている子供の猪、ウリボーを見ることができると思うと大して気にはならなかった。


 やはり田舎は良い。少し疲れた体に吹き込む自然の風はとても爽快だ。思わず、携帯で写真を撮る。田畑と民家と小川しかない広大な空間。写真の出来栄えに満足して、小さな笑みが漏れる。この集落の人口は年々減少しているのだ。この古き良き日本の景色がいつまでも維持されることはないことに寂しさを覚えた。


 ウリボーがいる柵に着いたのは少し日が傾き始めた頃だった。が、肝心のウリボーは不在の様だ。以前は数匹のウリボーが泥の中で戯れていて、なんとも言えない獣臭を放っていたのだが。もしかすると成長した猪は危険だから、食べられてしまったのかもしれない。飼っていると聞いていたものだから、今でもいると勘違いしていた。今ではわずかに獣臭が残るばかりだ。心底残念だが仕方がない。


 「……はあ。」


 どこからか、おそらくはかなり遠くから犬の遠吠えが聞こえた。遠吠えは細く、長く続いた後、また別の箇所から共鳴して別の遠吠えが続いた。


 

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