榊原順一郎の場合5 ~未来ある若者たちとの日常~

 食堂に吹き込む風は日増しに涼しくなってきた。うだるような暑さは過ぎ去りもうすぐ紅葉の美しい季節がやってくる。

 いつものように珈琲を飲みながら新聞を手に取っていると

「あいつ頭おかしいんちゃうか」

 河野の声が聞こえてきた。

「あいつって誰です?」

 尋ねるのは一ノ瀬介護士である。

「最近できたダチや。身辺に気を付けろってメールを頻回に送ってくんねん。本当に俺のこと殺す気やないやろな」

「物騒なこと言わないでください」

「それはそうと、お前、吉川さんと何を共有してんねんな」

「え?」

 会話の流れが気になって視線をやると河野が『赤い鳥』の単行本を手にしている。

「河野さんも読んだんですか」

「読んだもなにも」

 明らかに苛ついている様子だ。

「何で機嫌悪いんですか」

「何でって。……ほぼエロ本やん」

 榊原はここまで聞いて飲んでいた珈琲を吹き出した。それを見て一ノ瀬介護士が慌てて駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか、榊原さん!」

「あ、うん、ありがとう」

 河野はまだ怒りが収まらないと見えて

「他の男と、よりにもよって何で吉川さんとエロ本共有すんねん」

 本人は声を落としているつもりだろうが、聞き耳を立てている榊原にはすっかり聞こえてしまっている。

 心配する一ノ瀬介護士を尻目に榊原は笑いを噛み殺した。

「一ノ瀬さんも大変だね」

「?何がですか」

 どうやら先ほどの台詞は彼女には聞こえていなかったらしい。

 榊原はこの愉快な若者たちに囲まれて今日ものんびり珈琲をすすりながら花壇を愛でている。


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