タナベとワタナベ ~Angel Angle~

高巻 渦

タナベとワタナベ ~Angel Angle~

 人間の頭上、右上、斜め四十二度。あいつはそんなことを言っていた。




 大学で作る友人なんて、人生で一番薄っぺらな人間関係だと思っていた。

 友達、という聞こえの良い言葉で隠れたその奥には、間違いなく「単位を落とさないための共存」が潜んでいる。この講義は楽だったとか、あの講義はレポートが多かったとか、そういった情報をシェアし、お互いがお互いを利用し合う関係に無理やり「友達」と名前をつけて、卒業までの単位をもぎ取るために躍起になっている、そんな奴らの声が、今日もそこかしこから聴こえていた。


「友達から聞いたんだけど、環境経済学の出欠確認かなり甘いらしいよ」


 俺はそんな考えを口に出すわけもなく、同じ学部というだけで互いの趣味も知らない「友達」と今期のセメスターで取った方が良い講義の情報交換を行い、講堂を後にした。


 大学二年目の春。

 大学で作る友人なんて、人生で一番薄っぺらな人間関係だと思っていた。




 一番自由でラクそうだからという理由でなんとなく籍を置いているサークルの部室内で漫画を読んでいると、部室のドアが勢いよく開いた。途端に流れ込んできた陽光がカビ臭い室内を激しく照らし、風圧で舞い上がった埃がキラキラ輝いていた。

 目を細めながら扉の方を見ると、逆光で影を帯びた見知らぬ女が立っていた。この場に似つかわしくない金髪のロングヘアは、頭のてっぺんだけが黒くなっている。そのプリンのような頭を揺らして、部室に足を一歩踏み入れた女は言った。


「わたし、渡辺って言います。暗いっすね、ここ」

「軽音の部室なら向こうだぞ」

「失礼な、人を見かけで判断しないでください。で、何部なんすかここは」

「都市伝説研究部」

「じゃあここに入部します、あなたは部長すか?」

「俺は部長じゃない、自由でラクだから居るだけ」

「へー、なんでこのサークルが自由でラクだってわかるんすか」

「俺は在籍二年目だからだ。お前は都市伝説が好きなのか?」

「いえ、わたしも先輩と同じ入部理由っすね」


 そう言って渡辺は、畳まれたパイプ椅子を部屋の隅から持ってきて俺の隣に乱暴に座り、カバンからサンドイッチを取り出して食べ始めた。自分の左肩越しに見え隠れするプリン頭が視界の端に映って漫画に集中出来ない。


「暗いっすね」

「我慢してくれ、電球買い替える部費と引き換えに自由を手に入れたんだここは」

「いや、部室じゃなくて先輩が」

「なんだお前」

「古今東西しましょう」

「唐突だな」

「先輩からで良いすよ、古今東西、逃げる時の言い回し。パンパン」

「一目散に」

「パンパン、尻尾を巻いて」

「蜘蛛の子を散らしたように」

「パンパン、すたこらさっさ」

「脱兎の如く」

「パンパン……わたしの負けです。やっぱり色んな事から逃げてきた人は強いっすね」

「喧嘩売ってんのか」

「売ってないですし、わたしも暗い人間だからわかるんすよ。高校卒業してから髪色だけは明るくなりましたけどね」


 金色に染まった髪を揺らしてだらしなく笑ってから、渡辺は言った。


「また古今東西やりましょね。お題は自分の過去の暗いエピソードで」

「絶妙にラリーが続きそうなお題で自分が嫌になる」

「次わたしと会った時が開戦の合図っすよ。休み時間ずっと寝たふりしてたとか、二人一組で余ったとか、そんな安いのは要らないっすからね。思い出しておいてくださいね、珠玉の暗黒エピソード」

「わかったわかった。ところでお前、一年ならどの講義が楽か教えてやろうか?」


 俺がそう言うが早いか、渡辺は床を指さした、そこには渡辺が先ほど食べていたサンドイッチからこぼれ落ちたであろうレタスの欠片があった。渡辺ははっきりとこう言った。


「そんな話題、これと同程度の価値しかないっすね」


 パイプ椅子から立ち上がり歩き出した渡辺は、その一歩目で床のレタスをグシャリと踏み潰し、ドアの前で綺麗なターンを決め、念を押すように俺に宣戦布告した。


「古今東西、負けないっすからね」


 俺は、大学で作る友人なんて、人生で一番薄っぺらな人間関係だと思っていた。

 しかし、もしかすると、その考えを改めさせられるような相手が現れるのを待っていたのかもしれなかった。そして今日がその日だったのかもしれなかった。


 これは、うだつの上がらない俺と渡辺の、ただの会話の記録。




 ~春 十一号館一階の食堂~


「パンパン、わたし高校の修学旅行サボりました」


 突然背後から聴こえてきた声にギョッとして、のどに詰まりかけたパンを無理やり嚥下してから振り返ると、そこには数週間前に見たプリン頭があった。


「どうしたんすか先輩、盆と正月が一緒に来た直後に親死んだみたいな顔して」

「そんな複雑な顔はしてない、まさかお前から先手を打ってくると思わなかっただけだ」

「前回の古今東西、わたしで終わってたんで」

「それにしても、暗い話にしては意外とオーソドックスだな、修学旅行休んだなんて」

「いやいや、驚くのはここからっすよ……なんと……」


 渡辺は最新のオモチャを自慢する子供のような表情で言った。


「修学旅行以外の授業は無遅刻無欠席の皆勤賞でした、どうすか?」

「すげぇ、一気に暗くなった。」

「でしょう? 皆勤賞、という言葉がこれほどまでにマイナスに作用するエピソード他にないっすよね」

「休んでる間は何してたんだ?」

「0.0009%に賭けてました」

「は?」

「飛行機が墜落事故に遭遇する確率っす。自宅で小説読みながら、クラスメイト達を乗せた飛行機が、山岳かどっかにどーんと突き刺さってくれればと切に願ってました。叶いませんでしたが」

「自分で言ってて悲しくならんのか」

「ならんっすね。わたしが修学旅行を休んだのは、いわば教師を含めたクラスの奴ら全員に対する復讐だったんすよ。クソつまんねぇテメーらと一緒にワイワイ楽しく旅行なんか行ってられっかっていう、せめてもの抵抗だったんすよね。その意図を理解してたクラスメイトは一人もいなかったでしょうけど」

「なんでそう言い切れる?」

「修学旅行が終わった次の日に学校行ったら、皆から『なんで修学旅行来なかったの?』って聞かれたからっすよ。風邪引いてたって答えました。はい、先輩のターンです」

「うーん……」

「どうしたんすか? 奇襲かけられたうえに一発目からパンチの効いたエピソード持ってこられて困ってる、みたいな顔して」


 渡辺は勝ち誇ったような表情で、ニヤニヤしながら俺を見ている。

 自分の暗い過去を他人に話すことは勇気が要る。そんな至極当然の事に今更気づいた。何故こいつはあんな暗い話を、ロクに素性も知らない俺に話せるのか。今、俺の頭の中にある数枚のカードはどれも、誰にも話した事のない、出来ればこのまま墓場まで持って行きたいものばかりだ。しかし渡辺は俺に、それ以上のカードを躊躇なく切ってきた。俺も一枚は曝け出さないとフェアじゃない。これは俺自身の勇気と、渡辺に対する信頼の証明だ。俺は頭の中に並べられたカードの一枚を手に取り、吐き出した。


「……俺は高校の頃、吹奏楽部でサックスを吹いてた」

「へぇ、意外っすね。チームプレイとか死ぬほど苦手そうなのに」

「それを克服するために入部したんだ。毎年全国大会とか行ってる強豪校でさ、練習も毎日、外が真っ暗になるまでやってた……三年の時、ここで金賞取った高校が全国大会に行けるってコンクールで……俺がミスって金賞逃した」


 思い出すと、未だに声が震える。


「誰がどう聴いてもマヌケな音が出て……やべえやっちまったって思って、そっからパニックになってどんどんミスして……」

「それで、どうなったんすか」

「ライバル校が金賞貰って抱き合って喜んでる隣で、俺は部長の女に泣きながら言われた」

「『私なら自殺してる』って……やばい、吐きそうになってきた」

「最高っすね! 良い話をありがとうございました。そういえば先輩の名前は?」

「……田辺」

「地獄行きっすね。わたしは天国行きっす」

「死人に鞭打つようなこと言うな、なんでお前が天国行けて俺が地獄行きなんだ」

「頭にワがついてるからっすよ。そんじゃまたどこかで」


 跳ねるような歩き方で去っていく渡辺の後ろ姿を見送った後、俺はトイレに駆け込んで今しがた食べた焼きそばパンを全部吐いた。便器の中に飛び散った茶褐色の半固形物体と、胃液が逆流した喉の苦みに不快感を覚えながら、それでもどこか清々しい気分だった。

 授業を終えて帰宅してから、ようやく「頭にワ」の意味が分かった。少なくとも渡辺の元クラスメイト達よりは、彼女の事を理解出来たような気がして、少し安心した。




 ~夏 大学付近の喫茶店~


「パンパン、中学の頃趣味で書いてた小説の中で嫌いな奴殺してました」


 驚いてズボンにこぼしたコーヒーを紙ナプキンで拭きながら振り返ると、アイスココアを持った渡辺がいた。


「先輩、いい加減慣れて下さいよ」


 そう言って笑いながら当たり前のように俺の正面に座る。


「後ろから急に話しかけられたら誰でもびっくりするだろ、話の内容も最悪だし」

「詳しく聞きたいっすか? 嫌いな奴が10トントラックの左折で巻き込まれて頭を捻り潰されるシーンの描写が読み応え抜群で……」

「コーヒーが不味くなるからもういい。お前、中学の時も友達いなかったのか?」

「失礼な、一人いましたよ。高校別々になるけど絶対また遊ぼうねって誓った親友が」

「そいつとはどうなったんだ?」

「その子は地元で有名な進学校、わたしは地元で有名なクソアホ高校に進学したんすけど、たまに会って遊んでたんすよ。ある日その子が校長室に呼び出されて『底辺高校に通ってる渡辺とかいうバカと付き合うのはやめろ』って指導されて、それっきりっす」

「なんか……すまん」

「良いんすよ、意図せず二つも話しちゃいましたけど。はい先輩のターン、ぱんぱん」


 ストローでアイスココアをカラカラとかき混ぜながら渡辺が促す。俺は俯き、飲みかけのコーヒーが入ったカップを見る。ドス黒く濁ったそれは、俺の心中を表しているようで、すぐに目をそらした。


「丁度、俺も友達の話をしようとしてた。今日見た夢に、むかし縁を切った友達が出てきて腹が立ってたんだ」

「ふーん、よっぽどその元友人に恨みがあるんすね」

「違う、ムカついてるのは、何年も前に縁を切った奴の夢を未だに見ちまう俺自身にだ」

「なるほど……どんな形で絶縁したんすか? ってか先輩にもいたんすね、友達」

「お前と同じで中学の時、唯一の友達がいた。小林って奴だった。小林とは親友と呼んで差し支えない仲だったし、恐らくあいつも俺の事を親友だと思ってた、と思う」

「どっちが裏切ったんすか」

「……俺だ」


 渡辺の刺すような視線に耐え切れず俯くと、相変わらずカップ半分ほど残った俺の心が真っ黒く渦巻いている。今度は目をそらせない。


「小林はサッカー部だった。俺は別の部活だったけど、趣味が合って毎日話をしてた。でもある日、小林が部活内で孤立しているという噂を耳にした。リーダー格の奴に目をつけられたらしかった。確かに今思えばあの時、小林は俺と話すことが多くなってた。多分、リーダー格が手回しして、サッカー部員全員が小林を無視していたんだろうな」

「嫌っすねー、そういう体育会系特有の派閥争いみたいなの。それで、どうなったんすか」

「俺は変わらず小林と仲良くやってた。サッカー部の事情なんて関係なかったから。小林も、とやかく詮索しない俺と一緒なら気が楽だったんだと思う。あの時確かに、小林の拠り所は俺だけだった……あの日が来るまでは」

「……何があったんすか」

「ある日、俺はリーダー格の奴に呼び出された。小林が楽しそうにしてるのが嫌だったんだろうな。単刀直入に、小林と話すなって言われた。俺はリーダー格が怖くて、従っちまったんだ……それから卒業するまで、小林とは一度も口を利かなかった。リーダー格が俺に手回ししてきた数ヶ月後に、いつの間にかサッカー部員たちと和解した小林が仲良く談笑してるところを目にしても、俺は小林と話さなかった。話す資格なんてないと思った。結局孤立したのは俺だけだったけど、それは当然の報いだ。あいつが一番苦しかった時期に裏切ったんだからな。でも、俺は小林とずっと仲良くやっていきたかった」

「後悔してんすか?」

「今でも夢に見るくらいはな」

「……仲直りしようとは思わなかったんすか?」

「出来る事なら仲直りしたかったさ、でも出来なかった。もし許してもらえなかったらとか、仮に許してもらった後、今まで通り接することが出来るかとか考えちまって、怖かったんだ」

「それでこそ先輩っす、良い話をありがとうございました。わたしのことは裏切らないでくださいね」


 そう言って渡辺は喫茶店を出て行った。苦みの増したコーヒーを飲み干してから、俺は渡辺が去り際に言った言葉を反芻していた。

 私のことは裏切らないでくださいね。

 俺と渡辺の関係は少なくとも、単位を取るために利用し合うだけの関係ではない、それははっきりと断言出来た。渡辺の言う「裏切り」とはつまり、この古今東西を途中で放棄することだろう。小林との絶縁を通して味わった後悔が嘘でないことを証明するために、俺は渡辺の気が済むまでこのゲームに付き合おうと思った。あいつのことを親友と呼ぶ事はまだ出来ないが。




 ~秋 都市伝説研究部・部室~


 換気のために開けた窓から冷気を帯びた風が部室内に流れ込み、舞い上がった埃が石油ストーブに吸い込まれじりじりと焼かれる。ほのかに焦げ臭い部室内に、渡辺が読んでいる漫画のページをめくる音だけが妙に響いて聴こえている。


「部長さんたちは今日も出払ってるんすか」

「今日は近所の山にツチノコ探しに行くって言ってた」

「内容はさておき、熱意がある人たちは良いっすね、まぶしくて」

「そうだな、お前にも何か打ち込んだ事とか、夢中になってた事はあるのか?」

「もちろんありますとも」

「藁人形に釘を打ち込んでた、とかじゃないよな」

「…………そんなわけないじゃないすか」

「今のは絶対やったことある間だろ」

「さあどうすかね。それはさておき、わたし高校のとき修学旅行以外は皆勤賞だったって言いましたよね。友達いなかったわたしが学校で何に打ち込んでたかと言うと……ぱんぱん、歌詞の写経をしてました。好きな曲の歌詞を一心不乱に書くことで自分だけがクラスに溶け込めない不安や劣等感やその他諸々の邪念を消し去ってたんすよ。こうして形成されたのが今のわたしという人格なんす」

「暗いな……その時の状況を教師とか家族に相談しなかったのか」

「良いすか先輩、これはわたしの持論であり美学っすけど、自覚のある日陰者は弱音吐いたらそれで終わりなんすよ。そういう先輩は過去誰かに自分の境遇を吐露した経験があるんすか?」

「……そう言われてみれば誰にも言ったことないな、でもそれは相談するのが恥ずかしかったからだ」

「わたしの見込み通りすね。でも相談しないことは恥ではないんすよ、誰にも泣きつかない事をカッコ良いと思えるようになれば、先輩も一皮剥けた日陰者になれますよ。はい先輩のターン、ぱんぱん」

「そうだな、俺も過去に打ち込んでたものの話をしようか」

「また吹奏楽の話すか?」

「いや、吹奏楽部に入部する前の話だ。俺はパソコンのキーボードを打ち込んでた」

「藁人形に釘とかパソコンのキーボードとか、さっきから打ち込むの意味履き違えてんすよ」

「まあ聞けよ。中学二年の時、俺には好きな人がいた、同じクラスで、目つきが悪くて、声が低めの魅力的な女だった」

「色恋の暗い話大好きっす! でもそれとキーボードと、何の関係が?」

「当時の俺はインターネットにハマっててな、教室よりもネット内の方が居心地が良かったんだ。それで、その好きな女がネットに上げている情報を片っ端から調べた」

「暗い通り越して気持ち悪いっすね先輩。成人が同じことしてたら逮捕っすよ」

「誓って今はやってない。とにかくその片想いの女がやってるSNSのアカウントもブログも全て把握してた。下校後や休日中の彼女の行動が手に取るようにわかって、毎晩チェックしてた」

「もはやケダモノっすね」

「なんとでも言え……PCのブックマーク欄の大半が彼女関連のページで埋まった頃、思わぬ展開が起きた。二学期の席替えで、俺と彼女が隣同士になったんだ」

「ウヒョ~! 早く続きを!」

「…………」

「どうしたんすか、早く続きを」

「席替え当日の夜、彼女のSNSにはこう投稿されていた」

『席替えで陰キャが隣になってさいあく(´;ω;`)』

「ダンサーインザダークとかミストも真っ青の胸糞悪さっすね……」

「その日の深夜、俺は良くないサイトからダウンロードした良くないツールで、彼女の開設していたブログを爆撃した。翌朝登校すると、怯えた表情の彼女が友達の女子に『私のブログのアクセス数が180万になってる!』と泣きついていた。俺は素知らぬ顔で彼女の隣の席に座った」

「失恋の仕方が破天荒すぎますね」

「結局、次の席替えまで俺と彼女が言葉を交わす事は一度もなかった。それから現在まで俺が異性を好きになったことはない」

「今回も良い話をありがとうございました。せめてわたしから先輩へ愛を贈らせてください」

「要らねえよ。日陰者同士で馴れ合うくらいなら孤独を選ぶのが俺の日陰者としての美学だ。またな」

「先輩ならそう言ってくれると思ってました。それではまた」


 その後も俺と渡辺は最低でも月に一回は邂逅し、常人なら話すも涙、聴くも涙の壮絶なラリーを繰り広げ続けた。認めたくないが、俺にとってこのロクに素性も知らない神出鬼没で怪しげな女こそが、大学内で唯一腹を割って話せる相手だった。これを親友と呼ばずに何と呼ぶのか。しかし親友と呼ぶには相手の趣味や趣向を知らないし、別段知りたいとも思わなかった。そんな矛盾を孕んだ感情を抱え、弄んでるうちに一年経ち、二年経ち、中小企業への内定と大学の卒業が決まった。




 ~冬 大学入口横のベンチ~


「先輩、卒業と内定おめでとうございます」

「ありがとな」

「先輩がいなくなると寂しいっすよ」

「そうか、俺もお前とのゲームが終わるのは名残惜しいわ、少しな」

「そう思ってくれてるなら嬉しいっす」

「なあ、ずっと訊きたかった事があるんだが」

「なんすか?」

「例の古今東西、先攻を取るのはいつもお前だったよな。言うなれば、いつでもお前の都合の良いタイミングでゲームを仕掛けられるわけだ。つまり、適当な嘘をでっち上げる時間は充分にあったってことだ。自分は作り話を語って、俺の過去を暴いた、その理由が知りたい」

「何言ってんすか? わたしの話は全部真実っすよ」

「この間お前の高校の時の同級生に偶然会ってな、お前のことを聞いた」

「嘘っすね。そんなカマかけてまで自分の疑念を晴らしたいんすか?」

「なんで嘘って言い切れる?」

「第一に、先輩が自分から異性に話しかけられるとは思えません。わたしが毎回先手を取ってたのは先輩のそういう性格に対する配慮っす。第二に、同級生は全員わたしのことを覚えてるはずがありません、なぜならわたしは正真正銘の日陰者なので。どうすか?」

「……言い返せない……すまん、同級生に会ったってのは嘘だ」

「良いっすよ、古今東西も先輩の勝ちで良いです。二年間話し続けてた相手のことをまだ信頼出来ないっていうのは立派な暗黒エピソードですからね、わたしはもうネタ切れです」

「勝ったのに素直に喜べないな」

「最後にわたしから都市伝説研究部らしく、都市伝説っぽい話をしましょか」

「どんな話だ?」

「先輩は、コティングリー妖精事件、ってご存じっすか?」

「いや、知らないな」

「名前だけじゃピンと来ないかもしれないっすけど、画像を見れば多分わかりますよ」


 渡辺に促されてスマホを開く。検索欄に事件名を打ち込むと、花冠を頭にした少女の周りに、童話で見るような妖精が数体飛び回っている白黒写真が表示された。


「ああ、確かにこの写真は知ってる。この事件がどうかしたのか?」

「この写真の真相は、少女二人が絵本から模写した妖精の絵を切り抜いて、ピンで固定しただけの、所謂まがい物だったんす。でもこれを信じた人は沢山いたんすよ。例えばシャーロックホームズの生みの親であるコナンドイルも彼女たちを支持したんす」

「へぇ、結構大きい事件だったんだな」

「撮影された妖精の写真は五枚で、そのうち四枚は捏造でした。しかし最後の一枚だけは、二人とも死ぬまで本物だと言い張ったそうなんすよ。実際、最後の一枚の真偽は未だに解明されてないんす」

「なるほどな、つまりお前が『今まで話してきたエピソードは全部嘘でした』と言わない限りは嘘と証明出来ないってわけだ」

「そういうことっすね。もっと言うと、真偽がつかない物事を嘘と決めつけるより、信じた方が面白いって考え方もあるんじゃないかってことっす。わたしは先輩の話を信じてます、なので先輩もコナンドイルになりましょう」

「そこまで言うなら、信じる」

「それは良かったっす。もう一つオカルトチックな話があるんすけど、結構前にわたしが天国行きで先輩は地獄行き、みたいな話をしたことがあったじゃないすか」

「ああ、あったな……」

「天国のイメージって、住人全員が遊んで暮らせる幸せの花園、みたいなイメージだと思うんすけど、そうじゃないんすよね。だって働くことが生きがい、みたいな人もたまにいるわけじゃないすか、そういう人は天国に行った後も神様に仕える天使になって働いてるんじゃないかって思うんすよ。天界の仕事は意外と厳しくて、例えば下界に下りて人間にアドバイスする時も、その角度が定められてるんすよ。人間の頭上、右上、斜め四十二度以外から言葉を吹き込むことを禁ずる、みたいな感じで」

「妄想にしては随分具体的だな……」

「先輩は地獄行きっすから関係ない話でしたね。一緒に天国で妖精を拝められないのが残念っす」

「うるせえ」

「それじゃ、わたしはこれで。改めて卒業おめでとうございます、先輩」

「待て、連絡先とか交換しないのか?」

「日陰者同士で馴れ合わないのが先輩の美学って、言ってたじゃないすか」


 ベンチから立ち上がり、俺に背を向けて歩き出した渡辺は、そう言って雑踏の中へ消えて行った。それっきり、俺と渡辺は二度と会うことはなかった。




 内定した中小企業に勤め始めて三年が経った。

 一日中誰とも会話せずに帰宅していた学生時代の日々が、今となっては遥か遠い過去のように感じる。そんな俺の過去を知れば間違いなく驚愕するであろう上司や部下と言葉を交わし、退勤する。帰りの電車内で思い出すのは、決まって大学時代の、渡辺との古今東西の事だった。


 都市伝説研究部の部室で初めて渡辺と会った数日後、俺は部長から、今年の新入部員はゼロだということを伝えられていた。俺の記憶の中には鮮明に残っている渡辺という人間が、今となってはもはや、実在していたのかさえわからない。

 帰宅すると、いつものように妻が出迎えてくれた。二年前に知り合って、最近結婚した相手だ。エプロンを着けた妻が今日の夕飯の献立を告げる。

 妻を抱きしめる瞬間、俺の頭上、右上、斜め四十二度の方向から


「何をいっちょまえに明るい生活送ってんすか、先輩」


 と声が聴こえた気がした。

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