支配
R.みどり
支配 川崎シリーズ第二弾
プライドとは、人が持つ実に愚かな感情である。
「それでは、1年3組の留原恵美さんの件についての本校の対応としては、理事長が提出した原案通りの内容で可決しました」
埼玉県のとある市にある私立嵯峨ノ原高等学校の理事会において、司会の理事が告げた。留原恵美の件とは、一昨日彼女が放課後に学校の屋上から転落するという事故が起こったことである。本校舎は3階に屋上がある構造であり、幸いにも転落事故が発生したときに大雨が降っていたため、大事には至らなかった。このことは、すぐにマスコミの耳に届いた。世間では、「私立高校のいじめの実態」だとか、「自殺未遂を揉み消そうとしたヤバイ私立高校」など、あることないこと書かれている。この炎は、来月まで収まりそうにない。
肝心の彼女は、未だ昏睡状態で話が聞ける状態ではなかった。家族の方に話を聞いたところ、目立ったいじめや悩みなどは無かったという。1年3組の生徒に話を聞いても事故の原因となりうる話はなかった。真面目で正義感が強く、クラスの学級委員として、みんなを引っ張っているというまさに理想の生徒像と言えるような人柄であった。このため、この件は彼女の事故という判断にした。
「では、校長先生と私で記者会見をします。日時は、資料に書いたとおり明日の午後4時で。準備や詳しい発表内容に関しては、校長先生と私で個別に打ち合わせをしますので、明日の午後2時に理事長室まで来てください」
「では、理事会はこれにて終了とさせていただきます」
司会が終了宣言をしたのと同時に私は立ち上がった。
「ハハッ、父さんは流石だな」
隣にいる川崎浩司は、学食で買ってきたラーメンを食べながら呟いた。
「誤って屋上から転落した事故だとし、再発防止に努め、当該生徒のケアを重点的に行う…と。普通だったら、批判は免れない話だけど、理事長を応援したくなるような会見だったなあ」
俺は、あの独特な雰囲気の会見を思い出しながら感想を述べる。
「お前さ…あれは、ただ単にマインドコントロールの一種だ。巧みな話術と演技に騙されてるだけだよ」
なぜか憐れみの目をしていた。
「やっぱ、理事長ってスゲえ人だな」
男子たちの誰かが言った。
そう、川崎の父、川崎篤志は、一流教師と呼んでも語弊はないような人である。webサイト「hitopage」によると、彼は国語、数学、理科、社会、英語の主要5教科だけでなく、音楽や書道、美術、体育、家庭科などほぼすべての教科の高校教員免許を持っているらしい。さらに、救急救命士や栄養士など国家試験も幅広く取得しているという。まさに、完璧な人間だ。さらに、彼の有名な話がある。7年前──彼がまだ嵯峨ノ原高校の1教師だったころ──40人の生徒がいるクラスで授業をした際に、全員の能力を把握し、次の授業までに前回の授業の確認テストを1人ひとり個別に作ったという。その中間考査では、学年平均点が40点のテストに対し、そのクラスの最低点が90点だった。そのため、自分に自信を失くした教師や対立してしまう教師、崇拝する教師が現れたらしい。まあ、この話がどこまで本当かはわからないが…。
「まあ、父さんのおかげで留原の件は片付いたから一安心だな」
あの留原の件は、上手く事故として処理され、我々が疑われることはない。警察という不安要素は消えたのだった。まあ、最初からあの計画は、このようになっていると自信満々に川崎が言っていたのだが…
「前から聞こうと思ってたんだけど、理事長と川崎って、仲良いの?」
男子たちの誰かが言った。
「いや、実を言うと…あまり良くない。…ってかあまり会わない。一ヶ月に一度会えたら良いほうだ」
川崎は、なんともいえない表情を浮かべていた。
「…なんかごめん…」
「いや、いいんだ…」
少し静かになった。
「…あの、次のターゲットは?」
男子たちの誰かが小声で、川崎に聞いた。
「…有働善」
「ほう。数学のあのおじさん先生か。うちのクラスに関わってないから、あんまりわからないが、なんで有働先生なんだ?」
俺が問うた。
「ある話を聞いた」
川崎は声をわざと小さくした。この場にいる全員が川崎に顔を近づけた。
「有働先生が担当するクラスでは、昔から必ず1人以上、不登校の生徒がでるらしい。精神的な病で」
「不登校の生徒か…たまたまじゃね?」
男子たちの誰かが言った。
「そう思って、該当するクラスの子に話を聞いたんだ。そしたら、その子は何も言えないと言った」
「…それは怪しいな」
俺が言った。
「うん。確定的な証拠はまだ不十分なんだ。だから、これから審査をする」
「どうやって?」
男子たちの誰かが聞いた。
「うちの数学の寄居先生がこれから産休に入るだろ。そこで、代理で授業をするのが…」
「有働ってわけか…」
「ああ」
川崎は静かに告げた。
数学の時間、クラスに現れたのは、有働善だった。有働は、髪を長く伸ばした中年のおじさんだった。至極普通。多少暗い感じであるのが第一印象だった。
「皆さん、初めまして。寄居先生が産休に入ったということで、私有働善がこのクラスを代理で担当することになりました。よろしく。では、早速授業を始めるぞ」
クラスに、不満の声が漏れる。
新しい先生が最初に行う授業は、まず自己紹介から始めるのが慣例だ。生徒たちは、その自己紹介をできるだけ長引かせ、勉強から逃避したいと考えている。そのため、質問攻めをしたい。しかし、今回はその作戦を見抜いたのかはわからないが、質問タイムを取らなかった。その不満が表に現れている状況なのだ。
さて、この反応にどう対応するのか…。俺は、固唾を飲んで見守る。
「んー。…とにかく、進めなきゃ終わらないが…しょうがない、少し遊ぼうか」
クラスに喜びの嵐が巻き起こった。
「…さて、本題に移るぞ。では、一番前の君、y=6x^2+x-12のグラフとx軸の共有点の個数を判別式Dを用いて解いてみなさい。さ、黒板を使って途中式も書いて」
一番前の生徒が呼び出された。遊びという質問タイムが終了し、本格的な授業に入った。
「…よって、2個です」
「素晴らしい。みんな拍手」
有働は、笑顔で絶賛した。クラス全員が拍手をし、一番前の生徒は少し照れていた。
「いやあ、この問題が出来ればもうこの単元は全てできるぞ。自分に自信を持ちなさい」
大袈裟すぎる賞賛に例の生徒は、顔を赤くしていた。
その後も何もなく、授業は進んだ。わかったことは、有働は生徒を過剰に褒め、自信をつけさせるという手法をとる教師であり、フレンドリーな性格であるということだった。なんだ、良い教師じゃないか。川崎が言った不登校の生徒が出るということとは全く関係がないことだな。あの証言の意味はわからないが…。
「…では、そこの君、x^2-x-6≧0をこっちに来て解いてみなさい。寄居先生が教えてくださった内容だ。簡単に解けるだろう」
有働はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
指名された生徒は…このクラスで数学が最もできない藤沢かや子だった。ここで、ふと違和感を覚えた。藤沢は、一番後ろの角の座席に座っていた。わざわざ、一番後ろの生徒を選んだのは、意図的なのか、それとも単なる偶然なのか…。
「はい…」
藤沢が、前に行き、チョークで解き始めた。
その答えは、間違っていた。
「ハハ、この問題もできないのか。中学校からやり直したまえ。席に戻っていいぞ。ハハ」
有働が藤沢にわざとらしく大声で言い、嘲笑した。
クラスも有働のムードに乗せられているため、教室が笑いに包まれていた。その後も何問か生徒に問題を解かせ、間違えたらみんなで嘲笑うことを行った。
「…先生…なんでそんなに笑えるんですか?」
一番前の席にいる生徒が聞いた。有働が笑いを終え、次の問題に移ろうとしているところだった。教室の中は静まり返った。
「ん?」
有働が疑問を浮かべた顔をしながら、思いっきり例の生徒の机を蹴り倒した。その衝撃で中身が、床に散乱していた。
「おい、お前。何水をさしてんだよ!!何様のつもりだ?最初に一問正解できたからって、調子に乗んなよ。お前は、俺に首を垂らして教えられる立場だろ。場をわきまえろ!場を。…で、なんで床に物を落としてんだよ!!はやく拾えよ」
怒涛の攻撃で、生徒たちの顔が強張った。沈黙の中、その生徒は顔から水を落としながら、教科書などを拾おうとした。
「お前さ、話さないとわからないのか?授業中は勝手に立っちゃいけないんだよ。そうしたいときは何を言うんだっけ?」
有働は怒りに身を任せた声をしながら、また諭すような声をしながら言った。
「…」
例の生徒は、恐怖のあまり言葉を発せなくなっていた。
「そんなこともできないのか。ハハハ。これは、小学生からやり直しルートだな。一回指導が必要だ。さあ、立て」
有働は、いつになく嬉しそうな表情だった。狂気。まさにこの言葉が当てはまる表情であった。そして、有働は彼の胸ぐらを掴んで、右手で思いっきり左頬を平手打ちした。パチンと大きな音が教室に響いた。彼は、その衝撃で勢いよく椅子に座った。彼の目には涙が溜まっていた。
「おいどうした?誰が座っていいと言った?」
有働の声に怒りが滲んでいた。有働は彼の胸ぐらをまた掴んで、今度は左手で思いっきり右頬を平手打ちした。今度は椅子に倒れなかった。そのまま、お腹を一発殴った。
俺は流石に見ていられず立ち上がろうとしたが、川崎に阻止された。
「待て日野、今はお前の出番じゃない」
「なんでだ?あの腐った肉の塊を掃除したくないのか!?」
「ボクの指示なしに動くな!今回はお前の出番はない」
「…」
川崎に何か考えがあるのだろうか。その顔は、喜んでいるような怒っているような哀れんでいるような楽しんでいるような表情をしていた。この男もまた狂気だ。本能が察した。この表情は、策を思いついたとき、もしくは、策を実行するときにする表情だ。その時、足音が薄く聞こえた。
「さて、今俺がやったことは体罰じゃなくて、指導だ。くれぐれも勘違いするなよ。さて。続きをやろうか」
有働の一人称がいつの間にか「俺」に変わっていた。有働は平然と授業を再開しようとした。例の生徒は、椅子にはかろうじて座ってはいるものの頭と机がくっついていた。頬には、内出血が見られる。
「理事会に報告しますよ」
川崎が力強い口調で言った。
「フンッ。言いたいやつは好きに言え。上に言ってもいつ動いてくれるか分からないぞ。ハハ、あと誰が報告したかは俺でも特定できる」
つまり、上が動く前に報告したやつを特定してボコボコにするという意味。これまでこうやって、脅迫をして口封じをしたのか…。
「こうやって、口封じをしているんですね。いやあ流石ですね。三流の教師さん」
川崎は立ち上がった。同時に、嘲笑した。そして、有働のほうに歩きだした。有働のほうを見ると、案の定、怒り心頭であった。何がしたいんだ彼は!
「お前、良い度胸だな!」
有働も拳を握りながら近づいた。血管が湧き出ている。
「体罰は良くないということを伝えただけですよ。有働先生」
川崎が言い終わらないうちに、有働が彼の左頬を強く殴った。彼は、右にあった机に吹き飛ばされながら、倒れた。口から血が出ている。俺も勢いよく立ち上がった。
「やめろ有働!」
川崎に近づく有働に俺は駆け寄り、腕を取り押さえようとした。が、しかし、有働の力は、俺では太刀打ちできなかった。俺は、机を巻き込みながら後ろに倒れた。大きな音が響き渡り、生徒たちは恐怖で声も出せなかった。
「そこまでです有働先生」
30代くらいの若い男と後ろに50代くらいの男が教室に入ってきた。誰だろうか…。
「なん…で…理事長が…」
有働が現実を理解できていないのか、若い男に問いかける。
「今の体罰は、しっかりと記録させてもらいました。別室にて、お話を伺いますので、ご同行を」
若いほうの男は、丁寧な口調で言った。この男こそこの学校の支配者である川崎篤志であった。
「違うんです理事長。これは、体罰ではなく、教育指導です!信じてください」
「それがあなたのプライドですか?」
「この…」
有働が拳を振り上げ、理事長に殴りかかろうとした。理事長の顔に拳が当たりそうになるとき、彼は有働の手首を左手で掴み、動きを止めた。
「くそっ!」
有働は、右手を掴まれたまま、膝をついた。
「二流の教師は、言葉で場を支配する。三流の教師は、力で場を支配する。そして、一流の教師というのは、自然に場を支配するのです。一流は、理性と力の両方を適切に使っているのです。そして、三流であるあなたは私に力で負けた。よって、三流以下の教師です」
チャイムが有働の時間に終わりを告げた。
一週間後。騒動があった日のその後は特になんともなかった。その日のHRの時間に理事長がこの教室に来て、一連の騒動は口外しないでほしいと伝えただけだった。何人かは、精神科に通院するようになったが、不登校になった生徒はいなかった。理事長は、精神科に通院するようになった生徒には、通院費を全額学校が負担するとしたうえで、この3年間学費の5割免除をすると約束した。有働は、一身上の理由として、自主的に退職した。今は何をしているかは不明。
「なあ、川崎。理事長登場は策だったのか?」
隣にいる川崎に聞いた。
「まあ、予防策としてね。有働先生の授業で体罰が行われている可能性があるから視察をしてほしいという旨のメールを送ったんだ。実際に来てくれるとは思わなかったけどね。父さんは忙しいから」
「…なるほど。じゃあ、いつ気づいていたんだ?理事長が来たってことを」
「ボクと君で会話をしてたときに、足音が聞こえたじゃないか」
確かに、小さな足音が聞こえた。そのときは、有働の歩く音かと思っていた。
「でも、なんで有働は、体罰をするようになったんだ?」
男子たちの誰かが聞いた。
「この土曜に父さんに会って、聞いてみたところ…有働は、7年前に父さんと一緒の学年を担当していた。そこで、ある事件が起こったんだ」
「7年前…7年前…あっ、あの伝説のクラス平均90点以上か!」
俺は、思わず大声を出した。
「その伝説は、数学科目だった。それで、自分に才能がないと思った有働が、自分に期待をしなくなり、病んで次第に生徒たちに矛先が向かったことから今回の事件に発展してしまったんだ」
「八つ当たりからか…」
「いつもは、怪我を負わせるまで『指導』をしないらしいが、今回はついカッとなってしまったと言っている」
「まあ、何はともあれ今回は理事長に救われたな」
男子たちの誰かが言った。確かに、理事長が来なかったら、何もできずに傍観しているしかなかったかもしれない。
「ああ、なんともカッコの悪い計画だった…。それに、有働には自分の手でひどい罰を与えたかったのにな…」
「まあ、確かに辞職だけで終わって、世間には何も言わなかったからなあ。理事長は穏便に事を運びたいんだよ、きっと」
留原のこともあり、立て続けに騒動が起きたと報じられたら、理事長の席も危うくなってしまう可能性がある。そう考えると、穏便にするしかなかったのだろう。ん? さっき川崎は、『自分の手でひどい罰を与えたかった』と言ったか。その意味はつまり、他の誰かによって、ひどい罰が与えられたという意味なのではないのか。
「なあ、川崎。有働って…」
「…腐敗した肉の塊は、生ゴミにして処理するだろ」
川崎は、当たり前のように恐ろしいことを言った。
終
支配 R.みどり @midorikunn
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