第3話 ぼくらの初めて 2
「隼人くん……」
突然の声に体がビクンと跳ねる、悪いことをしているところを見つかった子供のように。手を震わせながら振り返るとそこにはパーカーを着て伊達眼鏡をかけた陽菜乃がいた。
「どうして!? あっ、これはそのっ」
悲しい顔の陽菜乃。彼女のいちばん見られたくない物を目の前の僕が観ていた。そして蔑みの目……。それまで彼女に感じていた憤りは、本人の突然の訪問に依って僕の心の中に押し隠された。
「ちょっと来て」
陽菜乃は僕の腕を取り、階下へ。短い、けれど迫力のある陽菜乃の言葉に従ってしまう。
「お母さん、こんな時間にすみません。今から隼人くんをお借りしてもいいですか?」
「構わないけど……陽菜乃ちゃんならうちに泊まっていってもいいのよ?」
「いえ、できれば私の家で」
「そう? わかったわ。隼人をお願いね」
家の前ではタクシーが待っていた。
陽菜乃は僕を後部座席に押しこむと、タクシーを走らせた。
乗っている間、二人は終始無言だった。
◇◇◇◇◇
「ちょっと待ってて……」
部屋に着くと、陽菜乃は僕をベッドに座らせた。意外にも彼女は怒っている様子はないし、声のトーンもいつものものに戻っていた。僕は部屋着のままで連れ出され、手にはスマホが握られていて、動画も途中で止まっている。
戻ってくるのが遅い陽菜乃。僕は申し訳なさで俯いたままだった。
「――お待たせ。流石にびっくりして変な顔になっちゃったから御直し」
「ごめん……」
ただ、ふと見た彼女の足には見慣れないソックス。
「ううん……いいの。いつかは隼人くんの目に入るだろうって思ってたから」
顔を上げるとそこには叶ヒナが居た。
「――どう? 餞別に貰ってきちゃったんだけど……嫌じゃない?」
「う……ん、嫌じゃない」
陽菜乃は叶ヒナの衣装を着ていた。オレンジをベースにした
アイドルなんて観なかった僕でも、ネットのPVや生配信で何度もこの衣装を着た彼女を観た。そして心なしか、その衣装を着た陽菜乃は明るく見えた。
「この衣装、管理が厳しくて普通は持ち出しできないし、
「そんな……」
彼女に、その衣装に価値がないなんて言わせたくなかった。
陽菜乃は僕の隣に座る。
「隼人くん」
「あっ……」
僕の持っていたスマホは奪い取られた。そして一時停止を解除される。
「観たんだよね?」
「…………」
「あのクリスマスの日から、私、こんなことさせられてたの」
「…………」
「大人はみんな酷いんだ。プロデューサーや作曲家の大先生なんて特に。スタッフも知ってるクセにみんな見て見ぬふりして……」
「…………」
「だからね、隼人くんは全部、ぜ~んぶ私にぶつけて。怒りも、不満も、なにもかも。私に言いたいことがあるでしょ? 溜め込まないでここで全部吐き出して! 私、前に進みたいの!」
「…………どうして」
「――どうしてあんな汚いオヤジに好きとか愛してるとか言ったんだよ……」
「言わないとね、続けられなかったの。アイドル」
「あんな…………汚いものを受け入れて!」
「うん、気持ち悪かった。思い出したくないくらい気持ち悪かった」
「気持ちいいって言ってただろ! その動画でも! なんでだよ!」
「わかんないの。半分は演技で、半分は
「気持ち悪いよ…………最低だよ…………」
「うん、思ったこと全部言って」
「なんでだよ…………警察にでも行けばいいだろ……」
「言ったってたぶん揉み消されちゃうもん、それに……」
「それに?」
「怖いんだよ? 大人がいっぱい居て、そういう雰囲気で、やらないといけない空気で……」
「そんなの……おかしい」
「うん、おかしい。おかしいけど、そんな世界だったの。知らなかったの」
「行かせるんじゃなかった……」
「ありがとう」
「触らせたくなかった……」
「嬉しい」
「キスなんて……」
「初めてを貰ってくれてありがとう」
「だって陽菜乃の初めては……」
「ううん、唇は隼人くんだよ。あっちは……自分でやった」
「自分……で?」
「うん、物凄く痛かったし血まみれになったけど、自分で。何を入れたかは秘密ね。変なグッズじゃないよ? プロデューサーには、初めては隼人くんにあげましたって言ったら滅茶苦茶怒ってたけど」
陽菜乃は……叶ヒナはあっけらかんと言った。生配信の音楽番組のインタビューのように。
「バカだ……」
「うん、でもそれくらいしか抵抗できなかったの。こんな小娘には」
「キスは……何人くらいとした?」
「キスは滅多にさせなかったから二人だけかな」
「一人もさせたくなかった」
「うん」
「……その……あっちは……」
「どうしても聞きたい?」
「…………うん」
「じゃあ」
――と、陽菜乃はベッドの傍にあった机の引き出しから錠の付いた本を取り出す。
「――少し前に大事な物だからって返してもらったの、証拠品。私の日記。嬉しかったことも、嫌だったことも、包み隠さず書いてあるから、全部」
「僕が見てもいいの?」
「いいよ。でも辛いかと思って……だけど隼人くんが読みたいなら、私も読んで欲しい」
「わかった」
「それから? 私に吐き出したいことは?」
「わからない……今は思いつかない……」
陽菜乃に吐き出した言葉は全て陽菜乃が受け止めてくれた。否定したり、嘘を吐いたり、取り繕ったりせずに答えてくれた。だからだろうか、
「じゃあ、キスの味を確かめて」――そう言って目を瞑る陽菜乃。
僕は寸前で目を瞑って陽菜乃にキスをした。叶ヒナとのキスが申し訳なかったのもあった。
「甘い…………気がする…………」
「うん。――じゃあ、隼人くんが叶ヒナを汚して。そうしたら陽菜乃が受け止めてあげる」
「だってこの衣装、大事な物なんだよね?」
「ううん、もう要らないの」
「だって、あんなに憧れてたのに」
「一番のアイドルになら、もうなったよ? だから――」
僕らはそのままベッドに倒れ込んだ。
叶ヒナを衣装の上から揉みしだき、キスした。
彼女を汚すように、衣装を
「うっ…………」
彼女の綺麗な肢体が露わになったとき、再び込み上げてくるものがあった。
ベッドに横たわる見惚れるほどもしなやかで整った身体は、あの動画を思い起こさせた。
「逃げなくていいよ、受け止めてあげる。もう離れないで」
「だって……」
「隼人くんをそんなことで嫌いにならないから」
込み上げる物を我慢しながら、陽菜乃の中に入った。それは想像を超える気持ち良さで、ただ、僕以外の男がそれを味わったことを考えると嫉妬が胃の中の物を逆流させた。
彼女の胸の上に吐き出された物は衣装も汚し、ベッドの上にも飛び散り異臭を放つ。
「――大丈夫だよ、隼人くん」
陽菜乃は僕の首に腕を絡めてきて引き寄せる。そして、あの日のようなキスを――。
「!!」
「ありがとう、隼人くん」
そうして僕は、また彼女の初めての経験を貰った。僕ではなく、彼女の。
陽菜乃は、薬を飲んでるから大丈夫だよと言う。だけどもしもの場合は――。
「――私の夢を叶えてね」
「陽菜乃の夢? アイドルじゃなくて?」
「うん、アイドルが終わった後の夢。隼人くんのお嫁さんになる夢」
「わかった」
「――大好きだよ、陽菜乃」
「私も大好き」
◇◇◇◇◇
それから僕たちは、シャワーを浴びてお風呂に入った。
ベッドの掛布団はどうするの?――と聞いたところ、羽毛布団の中まで染みてるから新しいのを買うという。僕は謝ったけれど、陽菜乃は僕との初めてを迎えられるなら安い出費だと言った。
翌朝、陽菜乃からはいっぱい謝られた。昨日は衣装を身につけての自己暗示もあって叶ヒナとして振舞ってた部分が大きく、演技に酔っていたと言い訳していた。僕としては明るい陽菜乃をまた見られたのが良かったので、ときどき衣装を着てとお願いした。
◇◇◇◇◇
「――で? ヒナちゃん、考えてくれたぁ? お金儲けの事」
またあの上級生たちが来ていた。しかも今度は男が二人増えていた。
「悪いようにはしないからさ、気持ちいいこともたくさんしてあげるから」
「そうそう。オレらに任せておきなよ、ヒナちゃん」
「最初はオレな。何てったっていちばん上手いから――」
「具体的に何をするんですか?」――と陽菜乃。
「おっ、やっぱ興味あるよねー」
「動画みたいに、ちょーっとオジサンたちの相手してくれればいいから」
「あとオレらも動画を撮ろうぜ。綺麗に撮ってやっから」
「ヤバいくらいボロ儲けって言うしな!」
「あの、すみません。邪魔だから退いてもらえますか」
僕は彼らを押しのけて陽菜乃の席へ。
「またお前か。ヒナちゃんの動画でも観たいのか?」
そう言うと、彼らはそれぞれにスマホを取り出し、彼らの
「この男は家族にも見放されて身投げしたそうです。迷惑ですよね。こっちの男は今、全身不随で独りでは小便もクソもできませんよ。この男とこの男は裁判中。この男は――」
そうやって、動画の中の陽菜乃の相手をひとりずつ説明していった。顔は見えないけど僕は知っていた。上級生たちもまさかそんなことを話されると思っていなかったのか、女二人などは顔を青くしていた。
「ああ? だから何だってんだ?」
男の一人が口を開く。
「だから――」
僕はおもむろにスマホを取り出す。スマホは既に通話中。
「――もしもし、お待たせしました。やっぱり先日相談した相手で……はい、そうです。児童ポルノを所持していて製造と売春の斡旋を
「お前っ!」
パシッ――僕に伸びてくる腕を掴む長身。
「先輩、暴力はよくないです」
琢磨は上級生の腕を捻り上げる。僕にはとても真似できない芸当。
「何だとコラ!」
「一年坊主のクセに」
「ふざけんなよ」
「ふざけてるのはあんたたちでしょ!」
「ああ?」
そこにはスマホを構えた湯原さんがいた。悟の陰に隠れるようにして。
「ぜ、ぜんぶ録画済みよ!」
ただ、動画を撮っていたのは湯原さんだけではなかったし、琢磨の後には運動部の男子たちも続いた。クラスメイトが協力してくれたのだ。最初は引き籠りになった生徒の友人たちが協力の意を示してくれた。それから琢磨たちが地道に説得した他のクラスメイトも。
上級生たちは顔を見合わせたかと思うと逃げ出した。
「バカよね! 逃げたって意味無いのに!」
「瑞樹、ビビってたのによく頑張ったよな」
「琢磨だってビビってたじゃない! 顔に出てたわよ!」
「ええ、ホントかあ? オレには全然わかんなかったぞぉ?」
「余計なコト言うなよ瑞樹。せっかく頑張ってカッコよくキメたのに」
「みんな、ありがとう。その、琢磨たちも……」
僕は警察との電話を終えたあと、クラスメイトに礼を言った。
「いや、お前が勇気出したから当てられてな」
「そうだよ、偉いよ」
「陽菜乃も怖かったでしょ。がんばったよね」
本当は半分くらいのクラスメイトが協力してくれるはずだったけれど、その場にいた全員が力になってくれた。そして何よりも、僕と陽菜乃を受け入れてくれる人が、こんなにもたくさん居ることが僕には嬉しかったんだ。
ゲロチューしたいほど君がスキ 完
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お読みいただきありがとうございました!
とりあえず、綺麗に収まってるので一旦ここで完結に変更とさせていただきました。
本作、近況ノートの方にも書きましたけど、ヒロインに対する大好きだという想いと、ヒロインを責めたくて仕方がない相反する嗜虐心との葛藤のお話です。寝取られモノを読んでのモヤモヤが生のまま詰まったような話です。
主人公がヒロインを暴言や暴力で責めるところを嘔吐で代用していますが、ヒロインにとっては言動よりも、大好きな相手に生理的に拒絶されることの方が辛いと思うんですよね。嘔吐は『僕はこんなに苦しんでるんだぞ!』というヒロインに対する暴力的な訴えなんです。
それと同時に、ヒロインを責める事を醜い事として主人公は認識しています。女の子にゲロを吐きかける=最低な自分として。
ただその暴力的な訴えをヒロインは受け入れます。それは主人公にとっては許しでもあるんですよね。
本話前半では、ただただ申し訳なさそうに謝るだけのヒロインだったわけですが、それだけでは何も変わらず前に進めません。この時点ではヒロインはどうすれば前に進めるか、わからなかったんですね。ただ、後半では主人公が自分の動画を観てしまったことを知ります。主人公が踏み込んでしまったのならと、ヒロインは覚悟を決めて前に進むことを決意します。
まあなんだかんだ言ってこの主人公、結構丈夫なんですよねw
吐くだけ吐いたらあとはスッキリ元気で、キスでもデートでも叡智でも余裕のタフガイです。
ゲロチューしたいほど君がスキ あんぜ @anze
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