なな


「どうしてこんなことになったんです?」


 三輪みわは重く溜め息をついた。


 そんな三輪の目の前には、畳に直接正座させられたミケがいる。小さくなってプルプル震えているミケは、心なしか髪までシュンと縮まり返っているように見えた。


「戸締りはいかなる理由があれどもしっかり行ってください、とは確かに伝えました。ですが、もしも背が足りなくて届かない場合は、無理をせずに足台を使うか、私に電話をしてくださいとも言ったはずです。だというのにどうしてこんなことになっているんですか」


 ミケと三輪の間には、無残に曲がった鍵が置かれている。ミケが普段持ち歩いている、店の裏口の鍵だ。


 この店の裏口の鍵は、店仕舞いをする三輪と、店開けをするミケが一本ずつ持っている。その鍵がなぜか、ぐにゃりと、ほぼ直角に近い角度で折れ曲がっていた。


 ──だから言ったのに……


 先日、三輪はミケに請われてその日の遅番と翌日の早番を交代した。『恐らく今晩辺りに来客があると思うので』という話だったのだが、そうなると困るのは店の戸締まりだ。


 九十九つくもどうの早番担当として裏口の鍵を預かっているミケだが、実際の所その鍵を使ってドアを開けているのは一緒に出勤するコダマ達であるらしい。


 店の裏口の扉には、ドアノブの部分に元から設置してある鍵とは別に、扉の高い部分に後づけでもうひとつ鍵がつけられている。以前、野生の猿か烏かのイタズラで開けられてしまったからだという話なのだが、背丈が小さいミケはこの後づけの鍵に手が届かない。


 だから鍵開けや鍵閉めの時、ミケは他の誰かに同行してもらわなければならないのだが、あの日のミケはかたくなに『オレ一人で残ります』と言い張った。『先方はきっと、オレ一人の時じゃないと来てくれないと思うので』というのが理由だったから三輪も渋々折れたのだが、無事に戸締まりができたのかとずっと気を揉んでいたのだ。


 ──最近どうにも挙動がおかしいと思っていたら、案の定ですか……


 三輪は思わず溜め息をこぼした。そんな三輪の一挙手一投足にミケがビクゥッ! と震える。


 ──まぁ、隠し事がこの程度で良かったというか、何というか……


 ミケがあの晩、店で何をしていたのか、誰と会っていたのか、三輪は知らないし、教えられてもいない。三輪から問うこともしていない。


 ただなんとなく、誰に会っていたのかは予想がついている。三輪としてはそれくらいの把握で十分だ。


 だがその翌日からミケの挙動がわずかにおかしくなったことは心配していたし、店の裏口の扉の調子がよろしくなくなったことには首を傾げていた。


 だから先程、あの晩ミケと店に何かあったのかとカマをかけてみたのだが、そこに転がり出てきたのがこの歪んでしまった裏口の鍵だった。どうやらミケはあの晩、足りない身長で無理をして裏口の鍵を閉めるという暴挙をやらかし、鍵を変な風にひねって扉ごと壊してしまったらしい。


 ミケの挙動不審はこのことを隠すためのものであって、ミケと店に何かがあったわけではない。


 それが分かった三輪はほっと安堵しながらも、その内心を押し隠して絶対零度の視線をミケに据えていた。大神おおみわ蛇神族へびがみぞくの血を引く三輪に睨みつけられたミケの状態は、まさしく蛇に睨まれたカエルそのものである。


 ──まぁ、所長の正体は、決して蛙なんていう可愛らしいものではないのですがね。


「そもそも、壊してしまったら、素直に『ごめんなさい』でしょう? こんな歪んだ鍵で、店開けの時はどうしていたんですか?」

「こう、雪ちゃんからもらったヘアピンで、チョチョッとしたり、歪んだ鍵を無理やり突っ込んでみたり……雷牙らいが大牙たいがが、結構器用にやってくれてまして……」

「それ、自分の店のドアじゃなかったら、犯罪ですからね」

「あぅ」


 店の主はミケだが、店の経理を任されているのは三輪だ。備品管理や保守メンテナンス、金銭の管理は三輪の管轄である。そういうことに疎いミケは、この分野では三輪に逆らうことができない。


 結果、ミケが何かを壊すたびに、ミケは三輪に睨みつけられて正座したままガタガタプルプルと震えるハメになる。ちなみに雷牙や大牙も、一緒に震えていることが多い。


「ドアと鍵の補修費は、所長のお給料から引いておきますからね」

「そ、そんなぁ!」


 ミケが情けない声を上げながらガバリと顔を上げる。だが容赦ない三輪の絶対零度の瞳に打ち据えられ、ミケはそのまま『よよよよよ……』と泣き崩れた。シクシクシクと分かりやすく泣き真似をしているが、三輪はそれには付き合わずにサッと立ち上がる。


「ミケさん、いるっ!?」


 その時、元気な声とともに人影が飛び込んできた。


 反射的に三輪は上がりかまちへ足を踏み出し、声の方を見遣る。


「おや、勇希ゆうきじゃないですか。いらっしゃ……あれ? そちらのお客さんは……」

「ミケさんに教えてもらった通りにしたら、会えたんだ!」


 勇希は、一人ではなった。勇希の後ろから、勇希よりも小柄な少年が顔をのぞかせる。のっぺりとした顔は印象に残りにくいが、水かきが目立つ小さな手が印象的な少年だ。


 ミケの代わりに対応に立った三輪は、その少年を見て息をのむ。対する少年は少しだけ申し訳なさそうな微笑みを浮かべると、小学生らしくない丁寧な礼を見せた。


「ミケさんが『今日の勇希のラッキースポットは、若葉公園の大杉の下ですから、行ってみるといいですよ』って教えてくれたから、俺、ここでお皿を受け取ってすぐ、行ってみたんだ! そしたら……っ!! そしたらこいつも、そこにいて……っ!!」


 興奮で顔を真っ赤に染めた勇希が、さらに目を潤ませる。


 そんな勇希に、三輪は瞳を細めた。だが三輪が口を開くよりも、三輪の足元から声が上がる方が早い。


「仲直り、できたんですね。良かったですねぇ」


 いつの間に上がり框まで出てきていたのか、ミケは座布団に座るといつものようにほわっと笑った。その言葉に勇希は何度も何度も頷く。


 そんな勇希を見つめて笑みを深めたミケは、次いで少年へ視線を流した。


「そちらの子も。もう大切なモノを傷つけなくてもいいように、きちんと気をつけるんですよ」


 ミケが言葉を向けると、少年は小さく頷いて上がり框へ駆け寄った。


「ありがとうございました。気持ちも、皿も、しっかりと受け取りました」


 荒川の水が流れるような、静かな優しい声で言葉を紡いだ少年は、ミケの手に小さな玉を乗せた。


 一見しただけでは、ただのビー玉にも見える。だがその玉が帯びる波動を感じた三輪は、わずかに目をみはった。


「お金の持ち合わせがないので、これを」


 その言葉にミケも、手の中のものに視線を落とす。


 しばらく玉を注視したミケは、小さな手のひらで柔らかく玉を包み込んだ。ミケの口元に、穏やかな笑みが広がっていく。


「お代、確かに、受け取りました」

「あー! 俺達が壊して、勝手に依頼したから、お金は払わなくていいって言ったのにっ!」


 二人のやり取りを後ろで聞いていた勇希が非難の声を上げる。それに振り返った少年の顔には、外見相応の無邪気な笑顔しかなかった。


「渡したのは、お金じゃないよ?」

「でも『お代』って、つまりお金ってことだろ?」

「違うよ。ありがとうって気持ちを伝えるために渡しただけで……」

「あ! 勇希と荒川、みっけ!」


 じゃれるように言い合う二人の元へ、新たな声が飛び込んでくる。声の主は、智也ともや直人なおとを筆頭にした野球少年達だった。手に野球道具を携えた少年達はワッと二人を取り囲む。


「良かったな、荒川。お皿、直ったんだって?」

「勇希が毎日、ベソかきながら、お前のこと探して回ってたんだぜ?」

「なっ、泣いてなんか……っ!」

「荒川、今日遊べるんだろ? 勇希もさ。みんなで野球しようぜっ!」

「ミケさん、三輪さん、また今度ねー!」


 二人を取り込んだ一行は騒々しいまま店から走り出ていった。一行に混じった勇希と少年は、弾けるような笑顔を浮かべている。そこにわだかまりの跡は欠片かけらも見えない。


「一件落着、ですね」


 ミケは満足そうに頷くと、神棚を戴くタンスの引き出しを開け、中から小さな巾着袋を取り出した。その中にそっと、少年から受け取った玉を落としこむ。


「荒川の老翁がまさか、ストレートに『荒川』と名乗っていたとは驚きですが」

「所長、その丸薬がんやくって……」


 ミケは巾着袋の口をキュッとしめると、巾着袋を元のように箪笥の引出しの中にしまう。天板に水色の霊布がしかれた神棚を戴くタンスは、神棚からにじみ出す霊気とともにゆっくりと玉が放つ力を包み込んでいった。


「河童の丸薬は、効果絶大ですよ。いやはや、皿を継いだだけなのに、凄いものをもらってしまいました」


 ビー玉のようにしか見えなかったが、あれは決してそんな可愛らしい物ではない。


『河童の丸薬』と呼ばれる霊薬だ。


「本来ならばおつりを出さなきゃいけないくらいなんでしょうが……。それくらいの物を対価にと思うくらいに、老翁が感謝してくれているということでしょうからね」


 河童が作り出す丸薬は、古来から万病に絶大な力を発揮すると伝えられてきた。それが事実であると、三輪は知っている。荒川に住む河童を統べ、荒川を守る責務を担う老河童が作り出したものならば、そこに込められた力は計り知れない。時代が時代ならば、あの丸薬ひとつで屋敷がひとつ建てられる。


「『ありがとう、嬉しかったよ』という気持ちにおつりを返そうなんて、無粋以外の何物でもありませんからね」


 そんな宝珠と呼んでも差し支えない代物を受け取っていながら、それでもミケは変わることなく柔らかく笑っていた。物そのものではなく、そこに宿る気持ちが嬉しいのだと言わんばかりの表情で。


 三輪が見つめる先で、ミケはタンスの引き出しをぽん、と優しく叩くと、上がり框の上に据えた座布団に座り直した。ニコニコと微笑みながら外を見つめるミケは、まるで大きな招き猫のようだ。


 ふと、そんなことを思った。そんな思いつきにクスッと笑いながら、三輪は奥へ続くのれんを腕で払う。


「所長、お茶を淹れましょうか?」

「そうですね、三輪の淹れるお茶は、美味しいですからね。いただきましょう。そのついでに、仕事の打ち合わせもしましょうか」

「ひとまずは、鍵と扉の修理を自分達でやるか、専門業者に依頼するかの打ち合わせから始めましょうね」

「ギョックンッ!!」


 ミケの頭に三角耳が飛び出る。


 いつの間にか店に入り込んでいた子供達が、ミケの言葉尻から事態を察してからかいの言葉を投げてきた。それに応戦するミケの声で、店の中はあっと言う間に騒がしくなる。


 その騒々しさに目を細めながら、三輪は給湯室に入った。ついでに子供達用に冷えた麦茶も持っていこうと冷蔵庫を開き、ずっしりと重いガラスのお茶入れを取り出す。


 その瞬間、体重がかかった右足首にズキッと痛みが走った。


「っ……」


 痛みをやりすごし、三輪はスッと目をすがめる。その瞬間、瞳孔が縦に裂けたのが、鏡を見なくても分かった。


 右足首には、濁流に呑まれた時についたアザがいまだに残っている。神主には『流木に足を取られた』と説明したが、流木ではあんな形のアザにならないことも、そもそもあれが流木などではないことも、三輪は理解している。


 半神半人である三輪の体は、大抵のケガを一晩で癒す。このアザが今なお消えないのは、このアザをつけた当人がそこに悪意を込めていったからだ。


 いわば、呪詛に近い。


 ──半分であろうとも水神の血を引く私に、これほどの呪いを残していけるなんて……


 このアザのことは、ミケにも報告してある。あまりに長引くようならば、荻野山おぎのやま神社か三輪明神に修祓を依頼する必要があるとミケには言われていた。三輪自身も、あまりにも治りが遅かったら素直にお願いしようと思っている。


「……これで終わりに、なりますかね?」


 三輪は小さく呟くと、一度まぶたを閉じた。


 細く息を吐いて、気をしずめる。次に目を開いた時には、三輪の瞳は人間のものに戻っていた。


「終わってくれると、いいんですけどねぇ……」


 独白を宙に溶かし、小ぶりなヤカンに水を張ってコンロに掛ける。


 ユラユラと揺れるガスの青い炎はまるで、三輪の心配を表しているかのようだった。

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