第65話 ワレイザ砦解放③
ベアトリクスは、エイクと別れた場所でそのまま身を隠していた。何も変事は起こっていなかったが、それでも心細そうに蹲っている。
当然だろう。家族や友と呼べるほどの家臣などを殺され、自分も命を狙われている状況だ。その上、夜闇の奥から危険な獣が現れるかも知れない。そう思えば恐怖を感じずにはいられない。
ベアトリクスは、恐怖に押しつぶされるほど脆くはなかったが、恐怖を振り払う事も出来なかった。
そんなベアトリクスに、近くまで戻ってきたエイクが声をかけた。
「俺だ。今戻った」
「エ…、ルキセイクか?」
ベアトリクスは、エイクの名を呼びかけて、偽名に言い直した。そして、声がした方を向く。
「ああ、待たせて悪かった」
エイクはそう告げた。
黒ずくめの怪しい姿だが、その声は確かにエイクのものだ。その事を理解したベアトリクスは安堵して言葉を返す。
「砦は、どんな様子だった?」
「敵の数は思ったよりも少なかった。そいつらは粗方倒した。予想通り女たちも捕らえられていたが、その人たちは助けている」
エイクは、ベアトリクスの近くまで歩みを進めながら告げた。
「もう、砦を落としたというのか?」
ベアトリクスは驚いてそう返した。
彼女は軍事に詳しくはなかったが、仮にも一つの砦をたった一人の人間がこの程度の時間で陥落させるとは信じられなかった。
「まあ、敵が少なかったからな」
エイクはもう一度そう言った。
しかし、この程度の時間で砦を落とすことが出来たのは、オドの感知能力で的確に敵がいる場所を確認して迅速に行動できたからだ。
普通ならこれほどの短時間で砦を落とすのは無理だっただろう。
自分の能力について説明するつもりがないエイクは、さっさと話しを進めた。
「砦内の安全をしっかりと確認したわけではないが、少なくともここにいるよりはましだと思う。砦に向かおう」
「わかった」
ベアトリクスにも異存はない。直ぐにそう答えると立ち上がりワレイザ砦の方に向かおうとする。
しかし、ベアトリクスが身を隠していたのは窪地になっているので歩き難そうだった。
その間にエイクは、さりげなく身を屈めて小型スライムを回収した。しかし、回収し終えても、ベアトリクスは窪地から抜け出せていない。
その様子を見てエイクはもどかしく感じた。さっさと移動したいと思ったからだ。
エイクも相手に歩調を合わせる程度の配慮は出来る。しかし、実のところエイクはゆっくり歩くという行為が好きではなかった。どうしても、時間を無駄にしているように思えてしまうのである。
速足で歩けばその分早く目的地に着くし、多少なりとも足腰を鍛える事にもなる。それがエイクの考えだ。
なので、ベアトリクスに提案した。
「悪いが、抱きかかえて運ばせてくれ。その方が早く着く」
そして、両腕を広げる。
ベアトリクスは、エイクの言葉が自分を抱き上げて運ぶという事だと気づいて慌てた。
「ふ、不要だ。そんな必要はない。私は一人で歩ける」
「貴女の事を考えて言っている訳じゃあない。時間を節約したいだけだ。
それに、俺はとりあえず砦を一つ落として拠点を確保した。それなりに成果を上げたわけだ。その程度の“前払い”は貰ってもいいんじゃあないか?」
そう言われては断りにくい。
「……承知した」
ベアトリクスはエイクの申し出を了承する事にした。
許しを得たエイクは、直ぐにベアトリクスを横抱きに抱き上げると、足早にワレイザ砦へと向かった。
砦の主城の入り口に着いたエイクは、ベアトリクスを下ろすと奥へ向かって大きな声を上げた。
「ベアトリクス様をお連れしました。異常はありませんか?」
助けた女たちのオドが、入口から左側に曲がった先の一か所にまとまっている事は分かっていた。しかし、いきなりその場所に向かうのは不自然なので、あえて問いかけたのである。
エイクの声は、女たちがいる場所まで届き、直ぐに返答があった。アメリアの声だ。
「問題はない。直ぐにお迎えにあがる。しばしお待ちいただきたい」
そして実際、一つのオドがこちらに向かって動き始める。
ベアトリクスがエイクに告げた。
「敬語は不要と言ったはずだ」
ベアトリクスはエイクが敬語を使って問いかけた事が不満だった。
自分が対等な立場で語り合う事を許しているのだから、アメリアらに対してもそうするのが当然だと思ったからである。
エイクが答える。
「気持ちは嬉しいが、顔を隠した素性も分からない冒険者がいきなりため口をきいてくれば不快感や不信感を与えるだけだ。そんなことで不要な波風は立てたくない。
貴女と話す時も、少なくとも他の者がいる時は敬語を使わせてもらう。その方が面倒が少なくなる」
アメリアと思われる者のオドが近くまで来たため、エイクはそこで声を抑え、ベアトリクスの耳元に口を近づけて続きを伝えた。
「そういうのは、二人きりの時だけにしよう」
「ッ!」
ベアトリクスが言葉を失っている内に、その場にアメリアが現れた。
アメリアは、ベアトリクスの姿を認めると一瞬だけ動きを止めたが、直ぐに片膝をついてかしこまった。
そして、謝罪の言葉を述べる。
「申し訳ございません。不甲斐なくもお預かりしたこの砦を守る事能わず、申し開きのしようもございません」
ベアトリクスは、アメリアに駆け寄ると自身も膝をついて言葉を返す。
「いいえ、これは全て辺境伯家の過ちです。ラモーシャズ家などという極悪人を自ら招き入れ、挙句に謀反を起こされこのような事になってしまいました。
私こそ、何の対処も出来なかった無策を皆に詫びなければなりません。
今は、貴方が生き残ってくれたことが、せめてもの救いです……」
「勿体ないお言葉です」
ベアトリクスは少し躊躇ったが、言葉を続けた。彼女にはアメリアに伝えなければならい事があった。
「フランコとマルセルですが……。2人は、私たちの為に身命を投げうって戦ってくれました。私を逃がすために、踏みとどまってくれたのです。
私は、そのおかげで逃げ延びることが出来ました。彼らにはどれほど感謝しても足りません」
フランコとマルセルというのはアメリアの2人の息子だ。
彼らは領都トゥーランで軍務に就いていた。そして、今回の反乱に際してベアトリクスを守るために戦い、重傷を負った挙句に敵を足止めするために後に残った。とても、生き残れるとは思えない状況だった。
アメリカもそのことを察した。
「……。過分なお言葉をありがとうございます。……あの者達が、少しでもお役に立てたならこれに勝る喜びはありません。
ともかく、中へお入りください。差し支えなければ、詳しい状況を教えていただければ幸いです」
アメリアは感情を押し殺してそう告げた。
「分かりました」
ベアトリクスはそう告げて立ち上がる。
そこでエイクが発言した。
「それでは、私は砦内をざっと見回っておきます。合流するにはどの部屋に向かえば良いか教えてください。
それから、特に注意して確認すべき場所はどこかありますか?」
アメリアが答える。
「分かった。私たちは今集まっている部屋は、あちら側の……」
アメリアの説明を聞いたエイクは、それも踏まえて早速砦の中を見回った。
その上で、指定された部屋にやって来た。
女たちは全員服を着て最低限身なりを整えていた。傷も全て治っている。ワレイザ砦にはそれなりの量の回復薬が備蓄されており、それを使用したのである。
(手足を切断されるとか、回復薬だけでは治らない傷を負った者がいなかったのは幸いだった。きっと、直ぐには死なれないようにするためだろう。犯すのに飽きて来たら、この女たちも寸刻みにされて殺されていたはずだ)
エイクは女たちの様子を見てそんなことを思った。
“雷獣の牙”がそのような事をする者達だと知ったからだ。
「砦の様子はどうだった?」
アメリアがそう問いかける。
エイクは直ぐに答えた。
「敵はもういないはずです。それから、他に生き残っている人もいませんでした」
「そうか……」
アメリアはそう告げると目を閉じた。
ベアトリクスも沈痛な表情を見せ視線を下に向ける。
予想されていた事ではあるが、他に生存者なしという報告はやはり辛いものだった。
(この様子では、詳しいことまで言うべきではないな)
エイクはそう考えた。砦内を見て回る間に普通の戦死体だけではなく、酷い拷問の末に殺された死体を幾つか見つけていたからだ。
“雷獣の牙”は、女たちは意図的に生け捕りにしたのだろうが、男の中にも生け捕られた者がいたようだ。或いは降伏したのかも知れない。
いずれにしても、その男たちは酷い拷問を受けて責め殺されていた。
よほどの恨みがある相手なら、苦しめてから殺すという発想になってもおかしくはない。しかし、この砦の兵士達と“雷獣の牙”の間にそんな因縁があるとは思えない。“雷獣の牙”の者達は、ただ楽しむために兵士を拷問したのだと思われる。
エイクには全く理解できない異常なおこないだった。
エイクはかつて父ガイゼイクから、“雷獣の牙”は女を犯して殺すだけではなく、男も酷い拷問にかけてから殺したと聞かされていたのだが、その傾向は5年後の今も変わっていないようだ。
いずれにしても、そんな死に方をした者がいたと知れば、ベアトリクスやアメリアの悲しみや苦悩は一層深まるだろう。
そう考えたエイクは、余計なことは口にせず次の行動について告げた。
「これから、捕虜にした敵を尋問してきます。それで得られた情報を踏まえて、今後の行動について相談しましょう」
「分かりました。よろしく頼みます」
ベアトリクスのそんな返答を聞きながら、エイクは相当の敵意と殺意を持って、捕らえた傭兵たちの元へと向かった。
剣魔神の記 ギルマン @giruman
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