小悪党日和
大隅 スミヲ
【三題噺 #39】「モデル」「タクシー」「アリバイ」
簡単なお仕事です。即金で30万円支払います。
突然、SNSに届いたDMに書かれた文句。
どうせ、ヤバい仕事なんだろう。そう思いながらも、俺の心は即金で30万という金額に揺れ動いていた。
どうしても、金が必要だった。一週間以内に20万を返せなければ、奴らがこの部屋に怒鳴り込んでくる。俺だって、好きで金を借りたわけじゃない。どうしても金が必要だったから借りたんだ。最初は1万円。次は3万円と融資してもらう金額は増えていって、気がついた時には借金は20万に膨らんでいた。
もし、もしもだよ、この30万の仕事を引き受けたら、借金の20万円を返しても10万円のお釣りが来る。10万あれば、焼き肉にも行けるし、キャバクラにも行ける。
でも、即金で30万ってどんな仕事なんだろうか。やっぱり、ヤバい仕事なんだろうか。
別に聞いてみるだけなら大丈夫だよな。
俺はそう考えて、そのDMに返事を書いてみた。
返事はすぐに来た。
『別に非合法な仕事をさせようというわけではありません。普通の仕事です』
疑う俺の背中を押すように、DMの相手は回答をしてくれる。
『もし、仕事に興味があるようでしたら、電話で説明することも可能ですが』
DMの相手は、とても親切な人に思えた。
だから、俺は話を聞くだけでもと思って、相手のDMに書かれていた電話番号に連絡を入れてみた。
「――もしもし」
電話に出たのは、予想外に若い女だった。
ヤバい仕事だとしたら、若い女が電話に出るわけがない。ヤバい仕事を依頼してくるのは大抵は
「あの……DMを見て連絡をしたのですが」
「ああ。お仕事の件ですね。連絡ありがとうございます」
「あの、どんな仕事内容なのか教えてもらえないですか」
「大丈夫ですよ。えーと、30万円のやつでしたっけ」
まるで他にも色々と仕事があるような口ぶりで、女は言う。
「ええ、そうです」
「うちの事務所のモデルさんを仕事場へ送るだけの簡単なお仕事です。ドライバーですね。運転免許は持っていますか?」
「ええ、持っていますけれど。それで30万も貰えるんですか? 一回で?」
「そうですけれど?」
どうして驚いているのだろう。そんな感じの口調で電話の女は言う。
「やります。その仕事、やらせてください」
「わかりました。では、お名前と年齢、住所を教えていただけますか」
俺は言われた通りに、電話口で自分の名前と年齢、住所を伝えた。
この時は、頭の中に30万がもらえるという事だけしか考えていなかった。
しばらくの間、沈黙があった。電話の向こう側でパソコンのキーボードを打つような音が聞こえている。きっと、俺が伝えた情報を入力しているのだろう。
「――――あ、ごめんなさい」
「え? どうかしましたか?」
女の突然の言葉に、俺は不安を覚えた。
「さっき言った30万円のお仕事、別の人に決まっちゃったみたいで」
「え……」
「ごめんなさいね。あ、でも50万円の仕事なら、まだ空いているけれど。でも30万の方で応募してきたから……」
「ご、50万のもあるんですか?」
「あるわよ。どうする? 早い者勝ちだけど」
いつの間にか、女はタメ口になっていたが、俺はそんなことを気にしている余裕もなかった。
「やります。やらせてください。ぜひ」
俺はその案件に飛びついた。どうしても金が必要なのだ。
「そう。じゃあ、あなたにやってもらうわね。名前と年齢、住所は聞いたから、あとは……」
そこまで言われた時になって、俺は急に不安を覚えた。本当に大丈夫なのだろうか、この仕事は。すでに、自分の名前も年齢も住所も伝えてしまっている。知らず知らずのうちに、俺は後に引けない状態になっていた。
仕事当日、俺は駅前の喫茶店に呼び出された。
喫茶店では、黒いスーツを着た、いかにもという感じのサングラスの男と金髪で派手な化粧をした若い女が待っていた。
「安心して、簡単な仕事だから。あなたは、この住所の家に行って家の人から封筒を受け取って来るだけ。その家の人には話をしてあるから、大丈夫。あなたは封筒を受け取って来るだけなの。わかった」
目の前で説明をする金髪の女は、あの電話の女だった。
「何を聞かれても、頷くだけでいい。余計なことは答えないようにな。しっかりと、封筒を受け取って、この喫茶店に戻ってくる。そうしたら、約束の金を支払う」
今度は男の方が言った。男はテーブルの上に銀行のマークの入った封筒を置いて見せた。きっと、これが俺の報酬の50万円なのだろう。
俺はその封筒を見て、生唾を飲み込んだ。
「じゃあ、このスーツに着替えて行ってきてくれ。頼んだぞ」
デパートの紙袋を俺に手渡した男は、俺の肩を平手で強く叩いた。
スーツを着るのなんて数年ぶりのことだった。最後に着たのは、親父の葬式の時の喪服かもしれない。
若干大きくサイズの合わないスーツだったが、ズボンは裾を折り、ウエストはベルトをきつく締めてなんとかした。
喫茶店のトイレで着替えた俺は脱いだ服を紙袋の中に入れて、男たちに預けた。
どうせ、封筒を受け取ったら戻ってくるのだ。問題ない。
俺は男たちが呼んでくれたタクシーに乗ると、指定された住所まで向かった。
その家は立派な一軒家であった。表札の脇には、大手警備会社のロゴの入ったシールが貼られている。
インターフォンを押して、女から教えられた台詞を口にする。
「先ほどお電話した、××産業の田中です。封筒を受け取りに参りました」
俺は田中でもなければ、××産業なんて会社も知らない。だが、そう伝えれば封筒を渡してくれると女から言われていたので、そのままの台詞を口にした。
「はいはい、ご苦労様です」
そう言って玄関に姿を現したのは、カーディガンを羽織った小柄な老婆だった。
「すいませんね、ご迷惑をおかけして」
俺は老婆の言葉に、ただ頷く。余計な言葉は交わすな。そう男から言われているのだ。
「まさか、こんなことになるとはねえ……。本当にご迷惑をおかけしますね」
老婆は話しはじめ、なかなか封筒を出してくれない。
「すいません、封筒を」
痺れを切らした俺は老婆に催促の言葉を告げた。
「あら、ごめんなさいね。えーと、封筒よね。それじゃあ、くれぐれもお願いしますね」
老婆はそう言って、分厚い封筒を俺に手渡してきた。
俺はその封筒を受け取ると、家の前で待たせておいたタクシーに乗り込もうとする。
「動くなっ!」
突然、大声で怒鳴られた。
次の瞬間、俺は大勢の大人に取り囲まれて、その場で地面にねじ伏せられた。
何がなんだかわからなかった。
「新宿中央署だ。特殊詐欺の現行犯で逮捕する」
訳が分からなかった。いや、そんなことは無い。わかっていた。これは、特殊詐欺なんだなとわかっていた。俺はわかっていて、仕事を引き受けたのだ。50万という金額は、危険な橋を渡ってでも欲しい金額だった。
「俺にはアリバイがあるっ!」
「馬鹿言うな。現行犯逮捕にアリバイもクソもあるか」
そう言った警察官は、俺の腕を少しだけ強く捻り上げた。
小悪党日和 大隅 スミヲ @smee
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