第4話
武芸の、《ぶ》の字すら知らないような女性に、あっさりと避けられてしまった。
この事実に、達人であればあるほどにひどく驚愕するだろう。
たかが小娘ごときにこうもあっさり避けられるなどありえない、と。
蒼依はその点、至って冷静だった。
まるで最初からこうなるであろうと予測していたかのように。表情と呼吸に乱れは微塵たりともなく。
静かに呼吸をする傍らで太刀を構え直す彼に、女性はくすりと笑った。
「――、やっぱり違うなぁ」
「……何がですか?」
「だって、あなた“マサキ”じゃないでしょう?」
「……………」
「無言は肯定だって捉えるよ? でも、うん……やっぱりそっかぁ」
女性の口ぶりはどこか残念そうであるが、表情を見やればそのようにはまるで視えない。
むしろ蒼依の瞳には、嬉々としているようにさえ映っていた。
肝心の生贄は、すでにこの世には存在しない。それを知って尚、何故こうも彼女が落ち着いているのか。
嫌な予感がする。蒼依はごくり、と生唾を飲んだ。
「……まぁいっか。むしろこっちの方がアタシ的にはすっごく好みだし」
「それは、どういう意味でしょうか……?」
「ん~正直に言うとね。アタシは確かに富と名声、そして子に恵まれることを祈願されたから契約をした。だけど生まれてくるその子供にはそんなに期待はしてなかったんだぁ」
「……言っている意味がわかりませんが」
「早い話が、生まれていた子供は最初から長生きできないってわかってたのよ。だから最初はアタシも諦めていたってわけ。あぁ、せっかく契約したのにもったいないことしたなぁ。でも死んじゃったからしょうがないかって――でも、これって虫の知らせって言うのかな。なんとなく、ふらっとヤマシロに足を運んでみたの」
「そこで、私の存在を知った……と」
「せいかい」
にこりと嬉しそうに女性が笑った。
(なんともまぁ、間が悪いというかなんというか……)
ついていない、とこういうべきなのだろう。
蒼依は盛大に溜息を吐いた。
「……そこでしばらくの間、アタシはずっとあなたのことを観察していた。観察して、心にすごく来たから、契約を再開することにした――生贄は確かにもうこの世にはいなくなった、けどこちらから契約終了は一切伝えていない。対象となる人物が消えたのだから契約も自然消滅したって言うのはそっちの勝手な思い込み。だから……文句ないでしょ?」
「……私としては、かなり困るので遠慮したいのですけどね」
「そこは……うん、犬に噛まれたとでも思って諦めてくれれば」
「それで納得できるほど、寛大な性格ではありませんので……」
蒼依は再び地を蹴った。
今度は、流れるような剣戟を女性へと浴びせる。
縦横無尽に走る白刃は中空にその美しい白銀の軌跡を幾重と残し、逃げ場を失った敵手は無慈悲にも斬殺される運命を受け入れる。
彼が得意とする技の一つであり、これまでに相対した敵手もたった一人を除けば等しく、蒼依の刃の前にその命を散らした。
しかし、女性は
これにはさしもの蒼依も驚愕せざるを得ず、咄嗟に後方へと大きく飛んで間合いを取った。
だが、女性を見据える彼の顔色はお世辞にも良好であるとは言い難い。ありえない、と瞳はそう語り頬には一筋の脂汗がじんわりと滲んでは顎先へと伝い、やがて地面へとぽたり、と落ちた。
「……本当に化け物ですね、あなたってヒトは」
「化け物っていうのは、ちょっと心外かなぁ」
「…………」
蒼依は静かに呼気をして、太刀を上段に構えた。
(さっきまで手加減していたつもりはまったくないのだけど……)
これより蒼依が繰り出す技は、彼の中でも最強に部類される――いわば奥の手である。
しばしのにらみ合いが続いた後、やがて女性はくるりと蒼依に背を向けた。
何かの策だろうか、と蒼依が警戒するのを他所に彼女はというとそのまますたすたと歩いてしまう。
もとより戦う意志が女性にはまるでなく、完全に無防備な背を晒す今も殺気などが皆無であった。
いつでも好きな時に斬ってきても構わない――あたかも、こう挑発するかのような女性のこの行動には、蒼依もひどく困惑する。
これが何かの策であればまだ納得もいこうが、制止せねば本当にそのまま行ってしまう雰囲気さえかもし出す。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なにかしら?」
「……どこへ行くつもりですか?」
「一旦お家に帰るんだけど」
「……私のことは、いいんですか?」
「うん、それなら全然問題なしだよ」
あっけらかんとそう答えた女性に、蒼依の表情はますます怪訝さを増していく。
彼女の言葉の意味が全然わからない。問題ない、とは果たしてなにを意味しているのか。
そんな訝し気な視線を送る彼に、女性はくすりと小さく笑った。
「――、あなたはもうアタシのモノなの。だから今すぐここで連れて行かなくても、あなたは自分からアタシのところにきてくれる。アタシってば、追いかけるよりも追いかけられる方が好きなのよね」
「……どうして、私があなたを追いかけると?」
「ふふっ……それはアタシが言わなくてもすぐにわかるわ――それじゃあね“マサキ”くん。待ってるから」
それだけを言い残して、今度こそ女性は立ち去っていった。
再び訪れた静寂の中で、一人ぽつんと残された蒼依はやがて静かに息を吐くと共に納刀する。
結局、女性がなにを言わんとしたのかがさっぱりわからなかった。だが、ロクでもないことだけは確かであろう。
とにもかくにも、油断ならない相手だった。
細心の注意を払わねば――そう思った、次の瞬間。
「ぐっ……!」
苦悶の表情を浮かべて蒼依はその場で両膝をがくり、と折った。
そして、右手首を強く握りしめて激しくもだえ始める。
「な、なんだ……これは……!?」
蒼依の視線の先――右手の甲には、紋章がくっきりと浮かんでいた。
形だけで言えば、どこか梵字のように見えなくもない。
だが、いずれにせよ赤々とそれが点滅する度に蒼依はその端正な顔を苦痛によってひどく歪ませる。
全身からは大量の脂汗がどっと、滝のように流れ落ち呼吸にも大きな乱れが生じ始める。
あまりにも突然すぎる痛みとしばし格闘すること数分――蒼衣は、小さく息を吐くとゆっくりと立ち上がった。
未だ彼の表情は疲弊してはいるものの、苦痛の色はもうどこにもない。
(なんだったんだ、今の痛みは? それに、この紋章は……)
忌々しそうに己の手の甲に視線を落とす蒼依。
むろん、これがなんであるかを知る術は現時点において彼はなにも持たない。
ただ、一つだけ確信を持って言えること――女性が原因であると見て、間違いあるまい。
「いったいいつ、こんな紋章を刻まれたんだ……?」
攻撃された、という自覚が蒼依には微塵にもない。
万が一、直撃したのであれば否が応でもそれ相応の反応を示す。
それがないということは、蒼依には攻撃されたという認識がこれっぽっちもなかった。
(……どうやら本当に、とんでもないバケモノと契約を交わしたみたいだな。あの人は……)
ひとまず、蒼依はその場を急ぎ離れることにした。
色々と疑問こそ残ってこそいるが、それは自問して満足のいく回答が得られるほど簡単なものではない。
女性の正体について、右手の甲に浮かぶ紋章について――少しでも今は情報がほしい。
「……とりあえず、一度戻りますか。義父さんも心配してるだろうし」
蒼依はふらふらとした足取りで、遅れて廃堂を後にした。
異世界神妖奇譚~超美形男子パーティーと思ってたら全員女の子で、知った途端めちゃくちゃアピールしてくるんだが!?~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123
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