第1話

 本日の天候は雲一つない快晴。


 さんさんと輝く太陽は眩しくも暖かく、その下では小鳥達が優雅に泳いでいる。


 時折頬をそっと優しく撫でていく微風には、まだ冬の名残があったが彼――伊藤蒼依いとうあおいにはそれが逆に心地良かった。


 今日のような天候は、絶好のお出かけ日和であると言えよう。


 かくいう蒼衣も、そうした陽気な天気に釣られて外出した次第である。


 もっとも、周囲がわいわいと陽気に満ちた活気を挙げる中で蒼依だけはその口からため息ばかりをもらす。加えて彼の周囲には、薄墨をぶちまけたか如く、どんよりとしてどこか重苦しささえもあった。



「はぁ……結局、これと言ってネタがなにもなかったなぁ」



 蒼依の本業は作家である。


 デビューを果たしたのはつい最近で、その知名度はまだまだ低い。


 売れ行きについても芳しくなく、結局最初に出版してから新作を世に出せずにいた。


 そして作家にとってなによりも恐れるのは、ネタが尽きること。


 ネタとは作家にとって命よりもずっと重たい。


 このネタが尽きた時、それは作家としての命が尽きた時だろう。


 少々過激な表現とは蒼依も思う所ではあったが、あながち間違いでもないのでまるで書けずにいる現状にこうして焦燥感を募らせる次第であった。


 ネタを探すために第二・・の故郷――ヤマシロを飛び出してわずか三か月と少し。


 西の都と称されるここ、ヤマシロへ蒼依が戻ってきたのは家からの突然の呼び出しがあった――至急、大事な話があるのでどうか戻ってきてほしい、と。


 そう簡潔に記された文を受けて、蒼依はこうしてヤマシロへ帰ってきた次第である。


 まさかこんなに早くに戻る羽目になるとは、と蒼依は自嘲気味に小さく笑った。


 当初の予定では、全国を周るはずだった。


 全国をくまなく旅するとなれば、当然それは容易なことではない。


 資金も時間も、莫大に費やすことは幼子でさえも容易に想像が付くだろう。



「懐かしい、と言えば懐かしいのかもしれないけど……でも、たった三カ月程度じゃあ、その懐かしさも半減だなぁ」


 帰ってきたヤマシロに、なんら変化はない。


 優雅がある街並みから、華のヤマシロとこう呼ぶ者も少なくはない。


 わざわざ遠方より観光にやってくる者も多いので、ヤマシロは年がら年中、さながら祭の如き活気で賑わっている。


 今日も相変わらず人の多さに眩暈を憶えながら、蒼依は実家への帰路を急いだ。


 文の内容から察するに、只事ではないとは容易に想像がつく。



「――、ただいま戻りました」



 ヤマシロの郊外にある大きな屋敷の門を、蒼依はくぐった。


 程なくして、ぞろぞろと中から出てきた。


 彼らは屋敷に勤める従者だ。蒼依の姿を見るや否や、一斉に頭を下げた。



「おかえりなさいませ!」



 帰宅を出迎える一同に蒼依は頬の筋肉をひくり、と釣りあげた。


(相変わらず、この空気にはどうも慣れないんだよなぁ……)


 蒼依の心情を他所に、屋敷に住まう従者はさめざめと涙する。



「え、えぇ。どうも……それでなんですけど――」


「はい、当主様はすでに中でお待ちです。ささ、早くこちらへ」


「わ、わかりました! わかりましたからそう急かさないでくださいってば……!」



 従者に急かされながらも、蒼依は屋敷の中へと入った。


 長い廊下をしばし渡り、案内された屋敷の奥にて一人の男がいた。


 男は、齢50代ぐらいだろう。白髪が徐々に混ざった頭髪はひどくぼさぼさで、身なりについてもどこかみすぼらしささえある。


 しかし着崩れた着物より覗かせた肉体は、まるで鎧のよう。鍛え抜かれた肉体は正に、剛の者と呼ぶに相応しい。


 男が、ゆっくりと顔をあげた。そして蒼依を見るなり、その瞳に大粒の涙を浮かばせる。



「おぉ……おぉ……! よく戻ってきてくれたな“マサキ”!」


「……どうも、ご無沙汰しております義父さん」



 そう口にした蒼依の笑みに、明るさは皆無である。



「……それで、今日はいったいどうしたんです? 急いで戻ってこいなんて手紙まで寄越してきて」


「……すまない“マサキ”。実はお前には謝らねばならぬことがあるのだ」


「謝らないといけないこと?」



 ますます意味が解らない、として蒼依はその顔を疑問でしかめた。


 彼が怪訝な眼差しを向ける中で、ヒデヤスの顔色はたちまち青ざめていく。

 冷や汗も滝のように流れ、ぶるぶると身体を打ち震わす様など、これから死刑に処される罪人のような雰囲気さえもあった。



「……“マサキ”、お前はワシの大切な息子だ。だからこそ、今になってワシは過去に犯した罪を、欲に眩んだあの頃のワシが心底憎くて仕方がない」


「……どういうことか、まずは説明してくれませんか?」


「そ、それは――」


「――、失礼するね」


「……どちら様ですか?」



 突如、奥の間にひょっこりと現れたその女性を見やる蒼依の視線はひどく鋭い。


 冷たくぎらりとしたその眼光は葦太刀のごとく、女を睨んで離さない。


 短い悲鳴をあげたヒデヤスの様子から、蒼依はこの女性を敵であると瞬時に判断した。


 女性は、齢20代前後ととても若々しい。雪のように白い柔肌に端正な面立ちは、誰しもが彼女のその美貌に魅了されよう。


 三つ編みにした薄桃色の長髪が印象的である彼女だが、蒼依はこの時、得体の知れない不気味さを憶えていた。



(なんなんだ、この人は……いや、そもそもヒト・・なのか?)



 ジッと彼を見つめる金色の瞳はぐるぐると渦の模様をそこに描いている。


 極めて稀有なその瞳に、蒼依はまるで吸い込まれそうな錯覚に陥った。


 あれを直視してはならない、と咄嗟に目線を外す蒼依に女性がくすりと笑う。


 その頬はほんのりと赤らんでいて、恋する乙女のような表情と言っても過言ではあるまい。



「……ふ~ん。なるほど」


「……どちら様ですか、と聞いたんですが」


「それは……そうね。そこにいるあなたのお父さんが教えてくれるわよ」



 女がそう言うと、ヒデヤスはびくりと身体を激しく震わせた。


 まるで親に怒られるのを恐怖する子供のような義父の姿に蒼依はひどく困惑する。


 彼をこうも恐怖させる女性は果たして何者なのか?


 警戒心を強める蒼依に、その女性は依然と妖艶な笑みを浮かべたままだった。



「……“マサキ”。ワシはずっと昔、ある罪を犯した。地位も名もない、ただの農民でしかなかったワシはとにもかくにも、のし上がることだけをただひたすらに夢を見た。そしてワシはついにその念願の夢を叶えることができた――あるモノとの契約によって、だ……」


「契約?」


「……富と名声を与え、我が結城家を栄えさせてほしい。その見返りとして求められたのは……“マサキ”、お前だ」


「それは、つまり……?」


「……よ、齢20を迎えた時。お前をそのモノへの貢物として捧げる。愚かにもかつてのワシは、何も考えていなかった。だが、お前が生まれ子を持つ親になってはじめて、自身がとんでもない過ちを犯したことに気付いた……! す、すまない“マサキ”……!」



 ぼろぼろと大粒の涙をこぼし、必死に懺悔するヒデヤスの姿を目前に、蒼依はそのことに関して特になんの感慨もなかった。


 強いて言うのであれば、創作という名の意欲が胸中にてふつふつと湧いていた。


 彼はこともあろうか、己が置かれたこの状況をおもしろいネタになるやもしれぬ、とそう捉えたのであった。


(まさか、ここにきておもしろいネタに巡り合えるなんて……!)


 内心でそうほくそ笑む蒼依は、女性の方をちらりと見やる。



「――、で? その契約をしたというのがあなたですか?」


「大正解。さすがだね」


「……結局のところ、あなたは何者ですか?」


「それは、後でゆっくりと教えてあげるわ」


「……じゃあ話を変えましょうか。どうして私を対価として?」


「それもここじゃあちょっと、ね」


「……話になりませんね」



 ため息を一つして、蒼依は静かに腰をあげた。


 それに伴ってヒデヤスが顔をばっとあげる。



「あ、“マサキ”……!」


「義父さん。ちょっとこの人と外で話してきます。心配いりませんよ、すぐに戻ってきますから」



 そう一言だけ言って、蒼依は奥の間を先に出た。


 女が大人しくついてくる保証はどこにもなかった。


 しかし、あれはきっとついてくるだろう。そんな確信にも似た何かが蒼依にはあった。


 案の定、彼の思惑通り女性は三歩離れて追いかけてくる。


(さて……鬼が出るか蛇が出るか。どちらにせよ、無事では済まないだろうなぁ)


 蒼依はふっと、不敵な笑みを小さく浮かべた。

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