2.彼
いくつか集落を超えてたどり着いたのは、川沿いの平地に建てられたログハウスのような小屋だった。バイクを降りる前から、苦みのある木材の匂いが鼻を突く。小屋の前は広場になっていて、そこに山ほど木材が積んであった。
小屋の入り口には「㈲小幡組」とか書かれた木札がかかっている。小幡さんの所有する、林業会社の事務所だ。
小幡さん曰く、猟師、といっても、彼と猟をするのはこの会社の社員なのだそうだ。普段は林業を営み、時期になると狩りに出たり、役場と連携して害獣駆除を行うらしい。
事務所の入り口を開けると、中の男たちが一斉に俺を見た。男は四人。それぞれ事務作業をしていたようだ。皆、小幡さんと同じ褪せた藍色の作業着を着ている。
俺はその中のひとりから、何故か猛烈に睨まれていた。
あいつだ、と思った。
「おお!コウちゃん。その兄ちゃんがあれか?今朝話しとった、大森なんとか……」
別の猟師が小幡さんに声をかける。小幡さんは、社員にコウちゃんと呼ばれているようだ。
「おう!つれてきたよォ!大森礼司くんだ」
紹介を受けて、男たちが次々と笑顔で立ち上がる。もちろん、睨みをきかせた彼を除いて。
彼らの年はバラバラで、小幡さんと同じくらいの男が一人いたが、あとは四十代から下という感じだった。思っていたよりもみんな若い。
「レージくん、よく来たなぁ!いらっしゃい!」
三人と握手を交わしながら、俺はチラッとあの彼の方を見た。彼はずっと座ってこっちを睨んでいる。
――陰気な男だ。
薄く髭を生やしているせいで大人っぽくみえたが、それがなければ年相応、29の顔をしている。彼だけあまり日に焼けていない上、周りより小綺麗にしていた。それが実に若者らしく、ここではかえって異質だった。
長めに整えてある前髪から覗く目は鋭い。見つめられているだけで、ヒリヒリする。
そういうわけで、彼の第一印象はなかなかに悪かった。
「タカぁ、お前も挨拶ぐらいしなよぉ、」
猟師のひとりが彼に呼び掛けた。やはりあれが、山田さんの言うタカちゃんなのだ。ちゃん付けするような可愛さは微塵もない。
「……、」
呼ばれた彼は、座ったまま黙って俺に一礼した。
「ったく。悪いなぁ、あいつ、初対面のやつにはいッつもああなんだよ。あれ、睨んでるんじゃねえのよ。ああいう顔なの。」
小幡さんがそういうと、男たちはドッと笑った。
「そぉそぉ。目つきが悪くってなぁ。これでも鉄砲は腕ききだし、けっこう可愛いとこもあるんだけどなぁ、」
「中身は可愛いんだよ、中身は。こないだのリョウくんの離婚騒ぎの時も、くだ巻きまくるリョウくんの話に最後まで付き合ってやっててなぁ、」
「それにほら、マリーが異様に懐くしよぉ」
彼の可愛いエピソードには枚挙にいとまがないという感じで次々と出てくる。その笑い声に包まれながら、彼はプイッと向こうを向いてしまった。どうやら可愛がられてはいるようだ。
「ま、代わりに挨拶しとくよ。あいつは
その後「ちょっと」と言って、猟師の一人が小幡さんに向かって何かを話始めた。「そらぁマズいなぁ」という声が聞こえる。
「レージくん、悪いけど少し待てるぅ?ちょっと野暮用だぁ」
すると、別の猟師がそれならよ、と言って鷹之の方を向いた。
「タカ、今日の仕事、そんなにないだろ。お前レージくんに、この辺案内してやってよ。せっかくこんな遠くまで来てくれたんだし。」
鷹之はあからさまに面倒くさそうな顔をした。
「……やだよ、」
その時俺ははじめて彼の声を聞いた。低くてザラザラしていて、いかにも彼らしかった。
「それに、この辺の何を見るんだよ」
「ほれ、役所の周りの旧家とか鳶公園とか……あれはどうだ、駒滝は。なんとか百選だろ」
「そんなの見たって、楽しくない」
「あー俺、滝とか好きっすよ。マイナスイオンって感じ」
それは別に、鷹之とどこかに出かけたいというつもりで言ったことではなかった。どちらかというと、案内してやれと言って突っぱねられてしまった猟師に気をつかったのだ。
鷹之は面食らった顔をして、しばらく黙った。それから、
「……表に車があるから、乗ってけ。」
そう言って事務所を出ていった。俺は慌てて 一同に礼をすると、意外と小柄な彼を追って外に出た。
鷹之のグレーのワゴン車は、最近見なくなったマニュアル車だった。俺自身、車はオートマしか乗ったことがなかったので、彼が器用にシフトチェンジする姿に少し感心した。車が古いのか、操作のたびにガチガチいう音が車中に響き渡った。
道は進むほどに高度を上げ、気づくとその下は断崖絶壁となっていた。遥か下方に川が見える。それほど大胆な地形に、この古いワゴンと申し訳程度に添えられたガードレールは、なんだかオモチャのように思えて怖かった。
予想はしていたが、車中彼はだんまりだった。俺は俺で、別に彼と仲良くなりたいと思っていたわけではなかった。窓の外を見ながら、なんとなく気になったことだけをポツポツと聞いた。
山の話、町の話、小幡さんの話。やがて入ったトンネルの中で、ふと、
「山に住んでるのに鳴海って名字、変わってるな。『鳴る』に『海』で鳴海だろ?」
そう聞いた。聞いた、というよりは、感想だった。この深い山の中で、なぜ彼は海の名を冠しているのか不思議だった。
「……、親がここの出身じゃない。」
終了。これでもう話題は尽きた。と思った直後、
「――でも、親の実家にも海はないって」
珍しく彼が言葉を続けた。海を見たことがあるか聞いてみたら、ない、と言った。俺はその返事に少し笑った。
「海に縁がないのに鳴海?」
「お前だって都会育ちなのに森だろう。しかも、大森」
「はは。べつに、東京にもでっかい森はあるもんね」
なんだよそれ、そういいながら彼が少し口の端を上げた。どうやら笑っているようだった。よく見ていなければ気づかないくらい、ささやかな笑顔だった。トンネルを抜けていく。
「ご両親は?」
鳴海姓の話がもう少し聞きたい。が、
「いない」
余計な質問だった。空気が出発時点に戻った。
「ついたぞ、」
幸い、すぐに車が滝近くの駐車場に到着した。
駐車場、といっても、ラインも車止めもない。ただの道路脇の空地だ。彼は適当に端に停めると、その空地から延びた遊歩道を進んでいく。通いなれているのか、迷いのない足取りだった。俺も小走りでその後ろをついていく。すぐそこで水のほとばしるような音が聞こえた。
しばらく歩くと、滝の手前で行き止まりになった。道は鎖で厳重に塞がれている。どうやら崖になっているようだ。
目の前に現れた滝は、想像していたよりも遥かに幅があった。大きな一枚岩の岩肌いっぱいに、水が流れている。岩の起伏の具合で水は踊り、10メートルほど下の滝壺へ落下していった。滝壺もまたゴツゴツとした巨大な岩だ。もっと細くて長い滝を予想していたので、この勇壮な姿には目をみはった。見ているだけで清々する。
「すげー。めちゃでかいじゃん?」
「そうか?」
鷹之は隣でポケットに手を突っ込んで、つれない返事をよこした。
「……お前、あっちゃんに気を遣ったんだろ。来たくもないところに連れてきて悪かったな。」
あっちゃん、というのは、鷹之に案内を頼んだ猟師のことだろう。俺は彼が思いの外空気を読んでいることに驚いた。彼のことはただの人嫌いだと思っていたのだが、そうでもなさそうだ。
「どうだったかな。滝見たら忘れちゃったわ」
と答えたものの、彼からの返事はなかった。
しかし、野暮用とはいつ頃終わるのだろうか。この滝で一時間ほど潰せばよいか。柵にもたれながら鷹之に今の時間を聞くと、あれからまだ三十分と経っていなかった。
「あと三十分は潰さないとな」
「じゃあお前、なにか面白い話しろよ」
鷹之が雑な話の振り方をした。
「面白い話ってなんだよ、」
「適当なネタでいいだろ、
――好きな食べ物とか」
想像の斜め上の返しだ。
「何そのお題。小学生の自己紹介か」
だがそれがふたりとも軽くツボにはまったので、俺たちはしばらく、滝の前で子供じみた自己紹介を楽しんだ。
好きな食べ物、好きな科目、好きなテレビ。
誕生日、血液型、将来の夢。
――俺たちには全くと言っていいほど共通点がなかった。
「鷹之は子供の頃から猟師になりたかったわけ?」
「別に。コウちゃんにずっと世話になってて、気づいたら同じ猟師になってた。
礼司は?ずっと料理人を目指してたのか?」
「俺も別に。高三で進路決めるときにそうしようと思ったぐらいだな。それまでは、流行りの職業につきたがってたよ。サッカーが流行ればサッカー選手、刑事ドラマが流行れば刑事、あとはあれだな、バンドマン」
「バンドマン……」
「流行ってたんだよ。兄ちゃんにギター借りてさ。ま、俺はぜんぜん駄目だったね。Fが押さえられなかった。見たことある?Fの抑え方。鬼だよ」
俺はぐにっと指を曲げてFコードの形を作った。鷹之は全然伝わらない、といいながら笑っていた。
くだらない話だ。だが、仕事のことを忘れるのは久しぶりだった。息を継ぐたびに、辺りに生える針葉樹の葉の匂いがして清々しい。
冷えてきたから車に戻ろう、そう言う手前で、ふと、キッという音がして上を向いた。
小さな鳥が一羽、枯れ木に止まっていた。腹がオレンジ色をしている。
「ジョウビタキだ。」
それを見て鷹之が呟くように言った。
「お前、コウちゃんから鳥の話は聞いたか」
「鳥の話?」
「山に住む鳥を殺すな、って話」
清洲が言っていた話だろうか。
「知らない、」
「なら知っておくといい。
ここの山には神様がいて、鳥に姿を変えて人間を見張ってるんだ」
その瞬間、彼の横顔に神聖な空気が舞い降りた気がした。
「だから、この山の人間は絶対に鳥を殺さない。俺たち猟師ですら、鳥は一羽も獲らない。もし殺したら、神様に呪われて、山から出られなくなるんだ、」
薄い唇から紡がれるその物語に、現実味のない美しい響きを感じる。
一方で彼の口ぶりはどこか自嘲的だった。その意味は、後々わかることだった。
事務所に戻ると、小幡さんの野暮用とやらはすっかり片付いたようで、早速彼の家にお邪魔することになった。
今日はこのままこの家に泊めてもらう予定だ。俺は奥さんに案内され、二階の空き部屋に荷物を置いた。ベッドの下に何故かもう一揃え布団が据えられていたので不思議に思ったが、聞くほどもなかったので、そのまま大人しくリビングへ向かった。奥さんのピンクの割烹着には、熊のアップリケが付いていた。
小幡さんの家は壁も床も綺麗で広く、とても田舎の一軒家には見えなかった。十年前に建て替えたらしい。暖房がしっかり効いていて、冷えた鼻先がジンジンした。
奥さんは貯蔵庫から肉を出して焼いてくれた。鹿肉の味は想像していたよりも獣臭さがなく、草や土を思わせる風味がした。他にも猪や熊の肉もあった。この辺りでは佃煮でも食べるのよ、と、いくつかの料理法を紹介してくれる。
「佃煮なんてぇ野暮ったい、かあちゃん。洒落てなきゃ東京じゃ出せねぇよ」
「あ、いえ、すごく参考になるっす。色んな料理ができそうですね」
「……だって!お父さん。気に入ってもらえてよかったわぁ!」
小幡さんも奥さんも、期待のこもった笑みを浮かべていた。
俺はすぐに、肉の供給についてしっかりした契約を願い出た。
気づくと外は暗くなっていた。奥さんはそろそろ夕飯ね、と言って立ち上がった。
準備を手伝おうとキッチンに向かった時だった。外で車の音がした。
家のチャイムが鳴る。
「おじーちゃーん!」
「来たかぁ」
バタバタとう足音ともに、小学生くらいの子供二人と、俺と同じ年頃の夫婦が現れた。
「レージくん、こっちは末の息子の明だ。それから嫁さんの美沙子さん、あと凛奈と颯人」
一気に増える名前を俺は心のなかで必死に復唱する。こんな大所帯になるなんて、聞いていない。
「いやぁ、本当はそんな予定なかったんだがな、明たちが急に来たいって言ってなぁ。ちょいと準備が大変だったんだ。」
……ひょっとして、昼の野暮用とはこれだったのでは。
さらに続いてチャイムが鳴った。今度は誰だ。
「タカちゃん来たわよ〜」
奥さんに通され、鷹之が飲み物の入ったビニール袋を手に提げて部屋に入ってくる。
――なんで鷹之が。
「タカ!元気にしてたか」
明さんが顔をぱっと明るくした。
そうこうしている内に食事作りが始まったので、俺も慌てて参加した。
奥さんは最初はお客様だから、と俺の申し出を断ったが、小幡さんが「プロの料理が食いたいよぉ」と叫んだので、キッチンに入れてくれることになった。
少し散らかったキッチンで、俺は野菜を切ったり煮物を手伝ったりした。包丁がよく手入れされていたのでそれを褒めると、
「やだぁ。男前に褒められちゃったぁ」
と奥さんが両頬に手を当てながら照れた。
「かあちゃんは上背があるとみーんな男前って言うからなぁ!」
「やぁね、お父さんたら妬いてるのよぉ」
部屋じゅうで笑いが起こった。
すき焼き用のしらたきを切っていると、隣で揚げ物をしている奥さんがこの家のことを教えてくれた。
「タカちゃんは色々とあって、小さいときから私達と一緒に暮らしてたのよ。
うちの子供の中ではアキちゃんが一番年が近くてね、兄弟みたいに育ったの。仲良かったのよ、二人で遊びに行ったり、宿題を見てあげたり。
二十歳でタカちゃんは一人暮らしを始めたんだけど、今もこうしてよく顔を見せてくれるの。」
鷹之は両親がいないと言っていたが、小幡さん一家が里親のような感じだったのだろう。
彼の方をちらっと見ると、明さんと懐かしそうに何かの話をしていた。その顔が見たこともないくらいに穏やかだったので、俺はほんの少し寂しかった。
それはもう随分長く会っていない兄のことを思い出したせいかもしれないし、多少は打ち解けたと思っていた鷹之が自分の知らない顔をしているせいなのかもしれなかった。きっと前者だろうと思いながら、奥さんの揚げたかぼちゃの天ぷらを盛った。
宴会のような夕食はまたたく間に過ぎた。
結局大した手伝いができなかったのだが、小幡さんは「プロが作ると違うな〜」などと言って満足げだった。
「タカちゃんも泊まっていくわよね?お部屋、きれいにしておいたから。布団も二つ敷いておいたし」
布団も二つ?
「礼司くんもタカちゃんの部屋でお願いねぇ。部屋がいっぱいだから」
そんな馬鹿な、という顔をしたのは俺も彼も一緒だった。
一通りの身繕いを済ませたあと、俺は鷹之の部屋の学習机を借りて、ノートになぐり書きをした。今日食べた肉を、どう調理して、どうメニューに落とし込むべきか。ああでもない、こうでもないと、ノートの罫線を無視して書きなぐる。かねてのスランプはまだ脱せなかった。だが、糸口は見つかったような気がした。
あらかたアイデアを出し尽くしたところで、風呂から上がった鷹之が部屋に入ってきた。
グレーの厚手のスエットに、適当に乾かした髪。そのリラックスした雰囲気に、また昼間とは違った印象を受けた。
「狭っ」
入るなりそう言った。
6畳ほどの部屋に、学習机、本棚、ベッド。その隙間に布団が敷き詰められていて、足の踏み場もない。
彼はそのまま布団の上に座ってスマホをいじりだした。俺にベッドの方を使えということだろうか。隣の部屋からは明さんの子供の声が聞こえる。まだ寝るような時間ではなかった。
俺は少し考えて、
「海の写真見る?」
と声をかけた。
「こないだツレと海釣りに行ったんだよね」
鷹之は何も言わずに俺をじっと見返したので、俺はそれを、見たい、という返事だと解釈することにした。椅子を降りて、彼の隣に座る。少しだけ寄って、スマホを彼の前に出した。
画面を覗こうとする鷹之の肩が、俺の腕に触れる。同じ風呂に入ったので当たり前なのだが、彼からは俺と同じ石鹸の香りがした。それが俺には妙にこそばゆかった。
俺はそのまま画面に触れ、いくつかの写真を彼に見せた。船からとった海の写真。釣った魚とのツーショット。夕焼けの浜辺で、魚を焼いているところ。彼は興味深そうに画面を見ている。
「礼司は釣りが好きなのか」
「ま、誘われたら行くね。鷹之は?」
「たまに川釣りにいく」
何枚かめくると、今度は俺の店の写真が出てきた。開店当初のものだ。
「これ俺の店。これが入り口、これがカウンター、こっちは厨房……これはうちの仲間」
「……これ、お前?」
彼は訝しむようにその写真を指さす。それはスタッフたちと肩を組んで撮った写真だった。俺は板前用の白い調理服を着て笑っている。
「その顔で和食なのか?」
「お、言うねえ。鷹之は顔で何料理かわかんの?」
「べ、別に……ジビエとかなんだとか言うから、なんか、イタリアかどっかの料理じゃないかと思っただけ……」
「ジビエはフランス語ですぅ〜」
意地悪を言ってみた。彼はムッとして、俺の肩をぴしゃっと叩いた。俺は笑った。
「俺もともと専門は和食なんだよね。六、七年料亭で修業したあと、少しフレンチも勉強した。今は和食をベースにした創作の店をやってる。」
「変わってんな」
「最近割と多いよ、こういうの」
そう言って、次の写真に移った。
もう海とも店とも関係のない写真が続いている。伊豆でとった野良猫の写真、去年の六本木のイルミネーション。それから、
「おっと、」
まずい写真が出た。思わずスマホを持った腕を後ろに回す。と同時に指を動かし、写真を変えた。その間コンマ何秒。
「……今なんか見た?」
「別に。お前と、知らない男が、二人で映ってただけ」
セーフ。
「キスしながら」
アウトだった。
恋人とクラブイベントに行って、飲みながら撮った一枚だった。あの一瞬で見抜くとは、さすが猟師……。
彼は表情の読めない目で微動だにせず俺を見ている。
「いや、……その、……。」
「……。」
「悪い。俺……そっちなんだよね〜……」
「……。」
「あっでもお前を襲う気とかは全っ然ないから!小幡組の皆さんにはくれぐれも……」
「……言うかよ。」
それからしばらく沈黙が流れた。嫌な時間だ。鷹之は急に立ちあがって無言で電気を消すと、一人で布団に潜った。
やってしまった。明らかに、知らなくていいことを知られてしまった。痛恨の思いで俺もベッドに潜った。暖房の効いた部屋の中で、寝具は冷え冷えとしている。被った布団の冷たさに耐える時間が必要だった。
ようやく布団が自分の体温で温まってきた頃、闇夜の中で思いがけず彼が尋ねてきた。
「……写真のやつは今、どうしてんの?」
「え?……さあ……元気にやってんじゃない?」
「さあって……恋人だろ。寂しくないのか」
意外な質問だった。
「あれは元、恋人。別に寂しくないよ。じきに忘れるでしょ。俺、自慢じゃないけど、結構あっさり忘れちゃうんだよねぇ」
「へぇ、」
「お前は?彼女とかいんの?」
陰気な男だが、案外見所のあるやつだ。ちょっと年上の、面倒見のいい女性が似合いそうだと思った。
彼はしばらく返事をしなかった。
「……俺はそういうのはいい」
地雷だったろうか。
「呪われてるんだ。だから、そういうことをしても、意味がない」
「何それ。呪いって、」
「鳥を殺して、この山に、閉じ込められてる。こんなやつ、誰も好きにならない」
どういうこと、と聞いたが、それ以降彼からは返事が返ってこなかった。
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