1.内津山

 その山は、深い山岳地帯にあった。

 夏は清冽な水と緑が。冬は輝く雪原と温泉、そして狩猟による獣肉が、人々を潤すのだという。

 清洲きよすによると、そこには少し「変わった」信仰があるらしい。古くから続く山岳信仰の一種。山の神にまつわる迷信のようなものだ。


「母ちゃんが言ってたんだけど、『鳥さえ殺さなければ』良いところなんだって」


 鳥?俺は思わず目の前の焼き鳥を見た。青い陶製の皿の上で、濃いめのタレがテカテカと光っている。今日は仕事が休みなので、濃い味付けも食べたい放題だ。

 清洲が続ける。

「俺もよくわかんないけどね〜、駄目らしいよ。まあ母ちゃんも小学生でその山出ちゃったし、そんな話があったのよ、って感じ」

 彼が食べ終わった焼き鳥の串をつまんで振った。

「んで、ジビエね。産業としてはまだないね。ないんだけど母ちゃんの知り合いにめっちゃ腕のいい猟師がいるのよ。その人ね、小幡さんって言うんだけど。

 今度連絡先聞いとくからさ、話だけでも聞いてみなよ。店で使えるかもよ」

「おう。助かるわ」


 清洲は調理専門学校時代の同期生だった。

 昔から飄々として掴みどころのないやつだが、何に関しても前向きなので話していて楽だ。互いに仕事が忙しく、伸ばしに伸ばして半年ぶりに再開した。

 串のうまい飲み屋で、二人で近況や悩み事なんかを話していたところだった。俺が自分の店でジビエを出してみたい、とこぼしたところ、まさかのまさかで彼の母親が猟師と知り合いだったのだ。

 縁というのはどこに転がっているのかわからない。清洲に感謝しつつハイボールを飲む。

「――だからさ、礼司、元気だしなよ〜。新しい食材に出会ったら、スランプなんてすぐになくなるよ〜」

 スランプ。その言葉に俺は深くため息をついた。


 俺が一年前に開いた料亭はそこそこに繁盛していた。順調であることは良いのだが、それがかえって自身へのプレッシャーになっていたようで、このところ味覚は鈍るしアイディアは枯渇するしで、俺はかなり追い詰められていた。

 冬に出すメニューを、早く決めなければならなかった。失敗したくない。案を考えては捨て、また考えては捨て、を繰り返すうちに、気づけばもう11月だ。ジビエだって思いつきに過ぎない。これがいいアイディアにつながるのか、今のところ検討もつかない。


「礼司はさぁ、本当に才能があると思うよ。だから体も舌も労っとけよ〜。」

 他人が言うと嫌味だが、清洲が言う言葉は素直に受け取れる。

「わかったわかった」

 そうあしらいながら、またいくつかどうでもいい話をして、解散した。


 後々思い返してみれば、これがすべての始まりだった。



 清洲の紹介してくれた小幡さんは、快活な人柄の猟師だった。電話をするとすぐ、いい話だから役場で詳しく聞かせてくれ、と持ちかけてきた。彼と、この山の産業に知見があるという役場職員の山田さんが、ジビエの提供に関する相談を受けてくれるという。


 翌週、俺はその山――内津山うつつやまに赴いた。


 町役場の「観光商業農林課」窓口が待ち合わせ場所だった。観光と商業と農林が一緒の課ということに違和感はあるが、話の内容としてはこの課で間違いなさそうだ。

 窓口に赴くと、すでに二人がその前に立って談笑していた。彼らはすぐに俺に気づいて手を振った。おそらく初老の男性が小幡さん、メガネの女性が山田さんだろう。


「兄ちゃんが連絡くれた礼司くん?東京で料理人やってるっていう、」


 小幡さんが手を差し出したので、軽く握手をする。年の割に力のある手だ。

「はい、大森礼司です」

「おう!俺ぁ小幡だ。こっちは山田さん。よろしくなぁ」

 笑った口から金の差し歯がみえた。


 二人は挨拶と同時に俺を見上げた。

 俺は普段どおり長めの金髪を一つにくくっていただけなのだが、それが気になるようだった。

 山田さんは俺の顔を見つつ、

「……まぁ〜こんなにお若い方だとは!」

 と言って濁した。

「東京にお店を持ってるんでしょう?立派だわぁ。おいくつなの?」

「今年で31っすね」

「あらぁ、31って、タカちゃんと同じくらいかしら」

 親戚の話だろうか。

「タカよりもうちょい上だね、アレぁ29だ」

「まぁ、そうなのね。さ、立ち話もあれですから。お部屋へどうぞ」

 廊下を先導して歩いていく山田さんのあとを、俺と小幡さんが追った。タカちゃんとやらが誰なのか、結局わからないままだった。


「遠いところからよく来てくれたなぁ。」

 横を歩く小幡さんの声は、しわがれてはいるが覇気があった。彼の着ている藍色の作業着には、腕の部分にオレンジの糸で「㈲小幡組」と刺繍されている。山田さんいわく、彼はこのあたりにある猟友会の中心メンバーだそうだ。

「東京からじゃ、大変だったろ!」


 実際、その通りだった。

 11月の晴れた寒空の下、東京からバイクで3時間。高速で近づけたのは最初の1時間半で、あとは下道だった。

 走れば走るほど険しくなる山に、暗いトンネルの数々。気を抜くと方向を見失ってしまいそうな道のりを、ただこの町目指して走り抜ける。道中休憩できるような場所はほとんどなく、時折思い出したように現れるガソリンスタンドや道の駅で、自分が迷子と化していないことを確認していた。

 永遠に続くようなトンネルを抜けると、突如開けた景色になり、黒くそびえる山と出会った。


 ――内津山。


 広い山の裾野に、人の住む集落が点在している。山の集落を総称して、「内津町うつつまち」と呼ぶらしかった。

 山奥とはいえ、今いる役場周りは案外栄えていた。来る途中で温泉街のようなものを見たし、コンビニやショッピングモール、チェーンの飲食店もある。

 何より印象的なのは、川だった。山の手前には大きな川が流れている。川は山と国道を分断していて、そこに架かる橋を渡るほかに内津山に続く道はない。まるで山の外から切り離されていて、ここだけ違う時間が流れているような、そんな心地がした。


 俺と小幡さんは先に役場の応接室に入り、二人で向かい合って座った。部屋のあちこちに、イベントのポスターや野鳥の写真が貼ってある。

 間もなく、熱い煎茶を持った山田さんが部屋に入ってくる。彼女が座るのを見て、小幡さんが話し始めた。


「――狩猟を産業にするっていうのをな、県内の色々なところで実験しとってなぁ。この町はどうなんだって、去年くらいから山田さんと話してたのよ、」

「ええ、見ての通り、自然以外何もないところでね。今どき温泉もスキーも流行らなくって。ジビエ?って、最近注目されてるんでしょう?」

「そうですね。ここで以前にもジビエの提供が?」

「いいえ、初めてですよ。でも、県内にはいくつか成功例とノウハウがありますから。そこに聞きながらやれば、供給に問題はないと思ってますよ」

 お互いに良い話になるといいなぁ、そういう小幡さんの差し歯がまたキラリと光った。


 俺はしばらく二人から、食肉提供の流れについての説明を聞いた。提供できるのは、シカ、イノシシ、たまにクマ。血抜きや解体のレベルが高いので、肉が美味いのだという。

 鴨や雉はどうかと聞いたら、二人は顔を見合わせて、

「それはやっていない。」

 と答えた。

 俺は不思議に思った。こんなに豊かな山なら、いくらでも捕れるはずだ。清洲の言っていた鳥の話と関係があるのだろうか。

「鴨なら、川向こうの山に鴨狩りの名人がおるよ。そいつに話をつけておこう」

 小幡さんはそう言って、話を続けた。


 ひと通り聞き終えると、小幡さんは湯呑を茶托に戻して俺を見た。

「レージくん、時間があるなら、今からオレの狩猟仲間に会ってみないか?」


 もともと明日、朝から狩りの見学をする手はずにはなっていたが、その他の予定はなかった。のんびり温泉にでもつかろうと思っていたところだったのだが。

「んで、そのあとオレんち来て、肉の味確かめてけ!」

 俺が戸惑っていると、山田さんまで「あらいいじゃない」と言った。

「小幡さんとこには、大森さんくらいの歳の猟師がいるんですよ。このあたりは若い衆も少ないし、話し相手が来たら喜ぶんじゃないかしら」


 俺は少し意外に思った。それが先程のタカちゃんとかいう彼だとしたら、その猟師は29歳である。俺の思う猟師像よりずっと若い。彼が一体どんな人物なのか、少し興味があった。

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