第一章 この世界を救わんがため、ある少女、異なる世界より召喚さるる語

1

 私は、繰り返し不思議な夢を見る。子どもの頃の夢だ。

 まるで文化遺産のような瀟洒しょうしゃな日本庭園。

 その庭を、豪華な着物を着た私が散歩している。七五三のときの思い出なのだろうか。

 私は現実では見たこともないような見事な刺繍の施された、肌触りのよい高価な着物を何枚も重ねて着ていた。


 美しい景色を眺めながら歩いていると、突然、私の耳に悪意の満ちた子どもたちの怒鳴り声が聞こえてくる。


「鬼の子め! あっち行け!」

「ここはお前なんかが入っていい場所じゃないぞ!」


 思わずこちらの胸が痛むような、ひどい罵倒だ。

 なじられているのは、金に近い茶色の髪をした少年だった。

 瞳の色は青緑。

 まるで翡翠ひすいみたいだ、と私は思う。

 子どもの私が翡翠を知っているだなんて、随分と矛盾した夢なのだけれど。


「鬼の子は、幻術で人を騙すのだろう!」

「そうだ、母上が言っていたぞ! 鬼は人を騙す悪い存在なんだって!」

「やーい、鬼! 山へ帰れ!」


 口々にはやし立てながら、黒髪の少年たちは金色の髪の少年に石を投げつけた。


(えっ、なんてひどいことをするの! ただ、見た目がちょっと違うだけなのに、“鬼”だなんて……いじめられている方は、きっと、外国から来た子ども……よね? だからって差別するなんて、あり得ない! いったいあの子たちは何様のつもりなの!)


 私はいじめている少年たちに強い怒りを覚える。

 注意をしようと、彼らの方へと足を向けた。

 黒髪の少年たちは、まるで時代劇の登場人物のように髪をきっちりと結っている。着物は、よく見る浴衣や袴姿とは違って、どちらかというと神社の神主の来ている着物に近い。


(それにしても……着物を着てるから七五三かなと思ったけれど。こんな格好で、みんな七五三をするのかな? あまり、見たことがないけれど……。うん、でも、もしかしたら何かのお祭りなのかもしれない)


 あまりに時代がかった古風な装束に、違和感を覚えはしたけれど、今はそれどころではない。


(そんなことより……あの子たち――許せないわ)


「やーい、鬼の子、鬼の子」


 石つぶてのひとつが、金の髪の少年の額に命中した。


(――っ! ひどいっ!)


 硬い石は、柔らかな白い肌を切り裂く。額からは、赤い血がほとばしった。

 私たちと同じ血の色。“鬼”と言われているが、私たちと何も変わらない。


(そもそも鬼なんているはずがない。ほら、ちゃんと同じ赤い血が流れ出ているじゃない。それなのに――)


 しかし、少年は何も声をあげなかった。

 ただ、石を投げた少年たちのことをキッと睨みつけている。

 その瞳の奥には静かに燃える、強い意志が感じられた。


(あの子……、やり返すことはしないけれど、でも、負けるようなやわな精神ではないわ。だけど、心配)


 私は思わず、その子の傍に走り寄った。


「大丈夫?」


 問いながら、懐に入っていた薄い紙で、少年の額の血を拭った。


「うん、大丈夫だ」


 少年は力強く頷く。


 しかし、その少年を庇った私に対しても石つぶてが飛んで来る。


「鬼の子を庇うなんて、おまえも鬼なんだろう」

「やあい、鬼女め!」


 私は飛んで来る石礫を着物のたもとで防いでから、彼らの方に近付いた。はやし立てる少年たちをキッと睨むと声を上げる。


「あなたたち、弱い者いじめはやめなさいよ! かっこ悪いわよ」

「女が口を出すな!」

「……っ!」


(言うに事欠いて、“女が”って……本当に差別的な子どもたちね!)


「いったい、何を言うかと思えば……。あなたたち、そんなこと言っていて恥ずかしくはないの?」

「鬼を鬼と言って何が悪い?」

「女を女と馬鹿にして何が悪い」

「お前らは差別されて当然の存在だろう」


 呆れた。

 ことごとく性根の腐ったヤツらだ。


「どうして見た目が少し違っているからって“鬼”だということになるの? その子が幻術でも使っているところをあなたたちはその目で見たの?」

「見てはいないさ。でも、わかる」

「ああ、その外見を見ればわかる。都に害をなす鬼だということが」

「ふうん。そうなの? 幻術は悪いことなの? 私の母様だって、琴を弾くと空から天人が舞い降りて来るわよ。私も大人になったら、その術を母様から受け継ぐことになっているわ」


(私ったらいったい何を言っているのだろう。

 確かに私の母は、琴の世界的な奏者ではあるけれど、そんな奇跡を起こしたことなどないというのに……)


 その辺が、夢ゆえの荒唐無稽さなのか。


「空から天人が?」

「ええ、そうよ」


 私は胸を張って答える。


「あ、思い出した。お前……さっきの……」

「ああ、そうだ、さっきの宴で琴を披露していた女童めのわらわだな」

「なら、やっぱりお前も鬼なのだな」


 子どもなのに、やたら難しい言葉を使う少年たちだなと思いながらも、そんなことより怒りの方が勝って反駁はんばくする。


「違うわ! なんで、そんなひどいことを言うの?」


 胸が締め付けられるように苦しくて、涙がこぼれそうになる。


「もういい……こいつらに何を言っても無駄だ」


 金色の髪の少年が、私の手をそっと握った。

 男の子に手を握られるのは初めての経験だった。

 思わず、私の肩がびくりと震える。


「でも……あんなこと言われて……」

「いいんだ」


 抗議の声をあげる私を諭すように、優しく声を掛ける。少年の手は柔らかく、温かかった。


(こんな温かい手をした人が鬼のはずないじゃない。私の手よりも温かいのに……)


 少年の体温が、じんわりと伝わってくる。

 なんだか、胸がどきどきした。


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宇津保草子――異世界平安後宮に召喚された琴の巫女、鬼と出逢う 中臣悠月 @yukkie86

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