第18話 伯爵家に関する最後の話

 ベルーナ伯爵領が当面の危機から救われてから、概ね1月が経った日の朝。


 マリウスは、領都ベルーナの片隅にある自宅兼研究所の自室で目を覚ました。

 そしておもむろに寝台を降り立ち上がる。

 そのマリウスの動きによって、同じ寝台で一糸もまとわず、ただ首輪を付けただけの姿で眠っていたヴェルナが目を覚ました。

 状況を理解したヴェルナは、慌てて寝台から降りて床に這い蹲り「申し訳ありません」と主人より早く起きることが出来なかった不調法を詫びた。


「メリサ」

 マリウスはヴェルナに構わず、メリサの名を呼んだ。

「ただいま参ります」

 隣室から返事があり、その言葉通り直ぐにメリサが現れた。

 彼女の姿は、上は薄衣で胸を覆うだけ、下半身は下着に腰布を纏っただけの肌も露なものだ。ただし、その彼女も首輪は付けている。


 メリサは肌が触れ合う距離までマリウスに近づき、手にした布でその体を丹念に拭いた。そして、甲斐甲斐しく服を着せてゆく。

 急いで自らの身繕いを整えたヴェルナもそれに加わった。


「伯爵の城へ行く」

 服装を整えたマリウスがそう告げた。

「お供します」

 ヴェルナがそう応えるが、マリウスは拒否した。

「無用だ。お前よりもゴーレムの方が役に立つ」


 そして更に「お前達は自分の仕事をしていろ。私の為にしっかりと働くんだ」と告げた。

「「畏まりました」」

 2人は平伏し、声を揃えてそう応えた。




 マリウスは自宅を出て、ベルーナ伯爵の居城へと向かった。

 昨夜の内に作っておいたアイアンゴーレムを護衛として引き連れている。

 彼は、かつて散々に傷つけられ無残な姿で引っ立てられて通った大通りを、ゆっくりと歩いた。


 メリサとヴェルナは自宅に残している。

 契約魔術で直接縛られている彼女らは、マリウスの命に逆らう事は出来ない。

 マリウスはいつでも好きなように彼女らを扱う事ができた。


 マリウスの姿を認めた街の人々は、彼が近づいて来る前に家の中に姿を隠すか、そうでなければ頭を下げて彼が行き過ぎるのを待っている。

 その様子は、深い敬意を表しているようにも、恐れおののいているようにも見えた。

 そしてその両方が正しかった。


 今や民衆は、マリウスが途方もなく強大な力を持つ魔術師で、この街と伯爵領全体を救ってくれたことを理解していた。

 そして彼がいなくなれば、同じ災厄に襲われることも、更に言えば、彼1人の力でもこの領都くらいは滅ぼせる事も理解していた。

 それに加えて、民衆達の中で特に酷くマリウスを虐げていた者が、何人か行方知れずになっていることも知っていた。


 マリウスは人々の様子に満足しながら、今後について考えを巡らせた。

(余り目立ちすぎるのは拙い。もしも俺がこの街を支配していると思われれば、最悪討伐軍が派遣されかねない)

 魔術師が政治権力を握る事は、それほど重大な禁忌とされているのだ。

 彼が未だに領都の片隅にある自宅で暮らしているのも、その対策の為だった。

 日頃から領主の居城で生活するのは、余りにもあからさま過ぎる。


(流石に王国軍全体に攻められては勝ち目がない。少なくとも今はまだ。

 とりあえず、伯爵を上手く利用する必要があるな)

 そんな事を考えながら歩いていると、ある人影が目についた。

 それは灰色のローブを身に着けた、フードを目深に被った人物だ。

 その容貌を窺うことはできなかったが、マリウスはそれがかつて自分に回復薬を売ってくれていた旅の治療師だと気がついた。


 マリウスは彼女の下に歩み寄って声をかけた。

「治療師さん。しばらくぶりです」

「ああ、そうだな、魔術師殿。壮健なようでなによりだ」

 そのしわがれた声は、確かにマリウスが知る“治療師”のものだ。

「全て治療師さんのお陰です」

 マリウスはそう答えた。


 マリウスがその身に負った深い傷を癒し、更に心身を変貌させたのは、“治療師”の助力と助言を得た結果だった。




 マリウスが領都から無残な有様で追放された後、マリウスを匿ってくれたのがこの“治療師”だった。そして、彼女は冷淡な口調でマリウスに告げた。

「殺されずに済んでよかったな。魔術師殿。

 魔術師殿の状況では、殺されても何らおかしくはないと思っていたが、そなたにも運はあったようだ。

 魔術師殿は、なぜ自分がこんな有様になっているか分かっているか?

 他人などを頼り、己の強さを頼らず、そしてまた頼るに足る強さを得る為の努力を怠ったからだ。

 理解したか? 己の強さが最も大事なのだと」


 マリウスが頷くと、“治療師”一転口調を和らげて話を続けた。

「よし。ようやっとそこに行き着いたならば、いろいろと教えてあげよう」

 そうして、マリウスに身体欠損回復の霊薬を与え、幾つもの助言伝えた。


 彼女の教えを受け、マリウスは己が進むべき正しき道を知るに至った。そして更に強くなる事もできた。

 例えば、彼が妖魔共に放った“隕石落とし”の魔術は、追放前の彼には使えなかったものだ。

 また、ベルーナ伯爵らに用いた契約魔術も、“治療師”から与えられた魔導書を紐解く事で初めてその存在を知り、そして習得する事ができた極めて特殊な魔術だった。

 これらの恩恵を受けた結果、マリウスは“治療師”が説く教えに深く傾倒した。


 そして復仇を求めてベルーナ伯爵領に戻り、結果として今の地位を手にいれたのだった。




 暫らくぶりに“治療師”に再会したマリウスは、ベルーナ伯爵一家や女達を助けて以来気にしていた事を“治療師”に聞いた。

「私は、結局またあの者たちと関わりを持ってしまっています。これは堕落でしょうか?」

 マリウスにはその行為は“治療師”から受けた教えに反する事のように思えていたのだ。


「いいや、堕落ではないよ。

 最後に頼りになるのは自分1人の強さで、他者との関わりを考えるなど堕落だとは確かに伝えたが、それは強き者の行いを妨げるものではない。

 強き者はその強さを用いて好きな事をすればよいのだ。

 魔術師殿がそれを望むなら、してはならないということはない。

 それに、強き者は多くの子孫を残すべきでもある。

 強き者の子は強くなる可能性が高い。その子らがまた各々強さを目指せば、力強き者がいっそう多くなり、世界全体も発展する。

 魔術師殿の子供ならば、強き魔術の才を持つ者も多く生まれるだろう。

 魔術師殿はせいぜい多くの子をなし、それらの者達にこの道理を教えるのだな」


 マリウスは苦笑した。

「随分と強い者に都合のいい考え方ですね」

「そうとも。強い者に都合のいい世の中こそが、あるべき世の中というものだ。

 さて、魔術師殿。私はそろそろこの国を去る。

 絶対にという事はないが、恐らくもう魔術師殿と会うこともないだろう。だから最後にひとつ言っておこう。

 魔術師殿が今の立場を手に入れたのは、強さを求めて励んだからだ。

 そして、その立場を守れるかどうか、更によき立場を得られるかどうか。その全てはより強くなれるかどうかにかかっている。ゆめゆめ自らを鍛える事を怠らぬようにな」

「心得ました」


 その答えに頷いた治療師は、踵を返しマリウスの前から去った。

 マリウスはしばし治療師が去って行った方をながめていた。




 やがてマリウスは、ベルーナ伯爵の居城に着いた。

「お待ちしておりました。マリウス様」

 そんな声とともに女達がマリウスを出迎えた。


 それは、伯爵婦人のエリザベータとミレディア、アンジェリカの2人の娘達だった。

 彼女ら3人は、いずれも胸元や背中が大きく開いた大胆なドレスを身に着け、マリウスにその身を摺り寄せた。

 彼女達はこの1月の間に、自分の主人が誰で、主人に対してどのように振舞うべきなのかしっかりと教え込まれていた。


 マリウスは自分に擦り寄る女達を1人1人満足気に眺めた。

(今日はエリザベータをかわいがってやるかな。若い娘もいいが、熟れた身体も趣がある。

 それに、上手い事男子を産ませる事が出来れば、その子が次期伯爵だ)

 そんな事を思いながら、マリウスは隅で跪く男を見た。

 それは、ベルーナ伯爵その人だった。


 ベルーナ伯爵は、妻と娘達の痴態を見ても何も言う事が出来なかった。魔術契約によって彼の家族はマリウスの物だったからだ。

 彼がマリウスに奪われたものは家族だけではなかった。

 魔石や特産品の販売代金から税に至るまで、ベルーナ伯爵領で得られる金の全ては、マリウスの了承なしに使う事は出来なくなっている。

 そして、マリウスに逆らう事も全く不可能だった。


 つまりベルーナ伯爵は、その領地の支配権をすっかり失ってしまっていたのだ。

 今の彼は、マリウスの意に従って領土を経営しているに過ぎない。

 それは即ち、領地持ち貴族としてのベルーナ伯爵家は、事実上既に存在していないということを意味していた。

 ベルーナ伯爵という権力者は消滅してしまい、今はただ同じ名の使用人がいるだけなのだ。


 これが、魔術師マリウスを追放したベルーナ伯爵家に関する話の顛末である。


    ――― 完 ―――

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迷宮攻略と領土防衛と特産品作りを一手に担っていた魔術師を追放した伯爵家の話 ギルマン @giruman

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