第14話 異世界巡る女子大生
†
すっかり馴染みとなった廃墟の博物館、その中庭の釣鐘小屋内。
「アヤメ嬢、用意はいいか」
「大丈夫です」
荷物をチェックした綾女はそれらを持たず、傍らで見守っていた存在を抱き上げ釣鐘部屋の入口に立つツァリの元へ行く。案の定外壁に凭れて待っていた彼は黄玉の瞳を困惑に染めて首を傾げた。
「アヤメ嬢、荷物は?」
「先にポップコーンに確認したい事があって」
「そうか。彼女の容体は?」
「元気ですよ。ほら」
胸元で彼女――鉄板と歯車とビス諸々で構成された、楕円形体型の鉄のモグラことフレツカリが穏やかにキーと鳴いた。明確な言語ではなくても綾女の言を肯定していると何となく分かる。
再びツァリに助けられて大穴への落下衝突ないし鉄屑の生き埋めを免れた綾女は安堵もそこそこに、念力を酷使した反動で夜半まで爆睡してしまった。ツァリ達から話を聞いたのは日も変わった深夜だ。
まずツァリ。本来なら綾女が地球に帰還した後に起きる予定だった彼はどうも時間帯的に綾女が落ちる前に突然目覚め、起きたは良いものの敷地内に誰の気配も無く焦っていた。するとどこかで綾女に呼ばれた気がし、アリウムの技術の一つ、瞬間転送装置を使って綾女を救出、穴外に脱出したらしい。ちなみにその名称からして便利な装置が今まで影も形も姿を見せなかったかというと、あるにはあったが特殊なロックが掛かっていてツァリには扱えない代物だったらしい。一縷の望みで試してみたら何故か起動したが、自身の早すぎる覚醒も含めてツァリに思い当たる節は無いとの事。
そしてフレツカリ。アリウムで途方に暮れる綾女を自身が管轄するリウムから飛び出した迷子と認識した彼女は善意で綾女を連れ帰ろうとしたが、綾女の帰る世界は別で、きちんとそこに帰れると理解した後は本来の掌サイズの姿に戻り(あの特撮映画の怪獣サイズはリウムからアリウムへの高負荷に耐えるための肥大化らしい)、綾女が帰るまで傍についていてくれている。彼女の処遇はまだ決まっていない。何せ《神》のほとんどはアリウムの者達を見境無く襲ってくる殺戮兵器化しているせいでこれまで殺処分一択だったのだ。前例の無い《神》の確保で本部側は大わらわ。ただ研究所送りにされるのは確実だと、綾女の膝上で話を聞き終えたフレツカリは黙って頷いた。
そして九日目の昼。綾女が地球に帰るまで残り一時間を切っている。
「すまない」
集合場所までに着くまでの取り留めもない雑談に区切りがついた僅かな沈黙に差し挟まれた謝罪に綾女は発信者を見上げる。
「結局貴女を危険に晒したし、怖い思いをさせた」
「だからツァリさんが謝る事じゃないですって。ツァリさんに黙ってフレツカリ様に会いにいったのは私で、そもフレツカリ様を呼んだのも私です。つまり原因は純度百パー私。だからツァリさんに謝られたら私と、フレツカリ様の立つ瀬が無いですよ」
ですよねと同意を求めればフレツカリも一鳴き。申し訳なさげな鳴き声に自責を重ねるのは失礼と察したのかツァリも口を噤んだ。だが性格上悔やむ気持ちも捨てられず眉間に皺に寄せているのを見計らって「だったら」と一本指を立てる。
「もしかしたら後でお願いするかもしれないのでそれを一つ、聞いてくれますか」
「それは構わないが、後?」
「はい。あのポップコーン次第ですが――」
『あーもううるっせえ!』
続きは彼方に吹き飛ばされた。鼓膜を貫通して内臓まで震わせる多分に殺意が込められた怒声はリョンは本気でブチ切れた時に出すものだ。三者それぞれ顔を見合わせ彼が待っている食事場所に走る、までもなく、数歩走ったところで跳躍力で回廊をひとっ飛びしたリョンが綾女達の元に着地した。慣れない転送装置の負荷に負けて綾女と一緒に気絶したツァリもまとめて博物館まで運んでくれた陰の功労者は、喉奥の唸りと磨かれた鉄の歯を剥き出しに来た方向を睨んでいる。凄まじい迫力だ。
「リョン、どうした」
『あいつ! 腹立つ! 五月蠅い!』
「リョンさん落ち着いて、話し方が駄々っ子になってる」
《俺からしちゃそっちの方が五月蠅いわー耳痛い》
合成音で吹き替えている割にやけに起伏に富んだ愚痴り。顔を上げれば軽快な電子音を効果音にし、綾女の目の前に白を基調にしたドット絵の蝙蝠が飛び出した。
「ポップコーン!」
《こんにちはーお花ちゃん。てか今の何、それ俺の事? どら猫も半端物も俺の事紹介してない?》
『一方的に捲し立てて名乗らなかったおめェが悪い』
「ていうかリョンさん達をそんな風に呼ぶのやめてください不愉快です。私のお願い聞いてくれるんですよね?」
《あーそっか失礼失礼。以後気をつけよう》
目方ゼログラムな謝罪は丁寧すぎるツァリとは大違いで、綾女が帰還したら即反故にすると断言できるほど誠意絶無である。リョンが激怒しているのも大方この蝙蝠にちょっかいかけられていたに違いない。
言い募ろうと口を開きかけた綾女の前に手を翳された。隣で沈黙していたツァリの物だ。
「来るのが早くないか、キャセル。アヤメ嬢が帰るまでまだ時間があるだろう」
《よぉ半端物、おはようさん。寝坊助にしてはお早いお目覚めで。手配済んだからさくっと迎えにきたんだよ》
「以前といいやけに早いな」
《待ち惚け食うよりはマシだろ。文句言われる筋合いはねぇなあ》
「文句じゃない。……だそうだ。良かったな、アヤメ嬢」
手が下ろすツァリと目が合う。口の端を僅かに吊り上げた微笑には既視感しかなかった。違うのはカンテラが無いため、ツァリのインペリアルトパーズの瞳が載せる感情があの夜よりずっと明確に綾女に伝わってくるところ。本人が自覚している心も、無自覚だろう思いも。
だからかもしれない。手を引いて一歩離れようとしたツァリの手を反射的に掴んだのは。
「アヤメ嬢?」
「ポップコーンさん、いくつか質問があります」
《キャセルだよ。何?》
「フレツカリ様の件は手がかりのみならず解決までしました。聞いてくれるお願いって結局いくつになりますか」
《お花ちゃんとこの流儀に則って三つかな。一つは使ったから残り二つだね》
「フレツカリ様はどうなりますか」
《君帰した後暫くしたら研究所送り》
「私はアリウムで九日間過ごしました。地球に帰ったら同じ日数経ってるんですか?」
《あーそこは安心していーよ。君がここに来る前の座標と時間軸を見つけられたからね、地球時間の九日前に戻れる。誤差出るにしてもせいぜい数分前後だって。でもアリウムの技術でも戻すのが生体だと限度があってさ。ここに留まれるのは大体三十四日、手続きに取られる時間抜くと三十三日が限度かな》
「アヤメ嬢、何を」
「判りました。キャセルさん。お願いを聞いてください」
綾女の手から自身を引き抜こうとする、ツァリのグローブに包まれた手を強く握る。非力な女の握力など容易く振り解けるのにそれだけでツァリは固まってしまった。できればもう少しそのままでいてほしい。異性の手を大胆にも握ってしまったのを自覚してしまい、これから告げる内容と相まって心拍数が上がってしまう。
息を吸って、吐く。無機的に翼を動かすアイコンをしかと見据える。
「私が帰る日をその期限まで延ばしてほしいのが二つめ。それまでフレツカリ様を預からせてほしいが三つめです」
《はいはい延期ね。了解》
「は!?」
沈黙は落ちなかった。まさかのラグ無し承諾に反応したのは綾女ではなくツァリだ。怒りすら混じっていたかもしれない。
「おいキャセル、何ふざけた事を」
《えー俺に言われても困る的なー。言うなら俺じゃなくてお花ちゃんにじゃなーい?》
「キャセルのそれは独断だろう。本部の意思は」
《ところがどっこい事前に了承貰ってんだわー》
「ツァリさん、さっきのお願いです。もう暫くここにいさせてください」
ツァリが言うより早く手を離して頭を下げる。片腕で抱えているフレツカリがキッと小さな声で驚いた風に鳴いた。
「私、ツァリさんに恩を返したいんです。仕事を手伝えるかは分かりませんが家事や雑用はこなします。力も鍛えてもっと自分の身も守れるようにします。ツァリさんの役に立ちたいんです。お願いします!」
『だってよ。良かったなツァリ、外から戻ったらすぐ寝られっぞ』
「リョン!? お前まで何言ってんだ!」
『いやオレ様だって止めたよ。でもよ、小娘のこの調子にオレ様達が勝てた事あるか?』
黙って眺めていた一番の味方であるはずのリョンがまさか綾女の援護に回るとは想像していなかったのか、ツァリが絶句したのが気配で分かる。確かにリョンはツァリの一番の味方だ。だからこそ綾女の判断を支持しているのだが、ツァリは理由に気付けずまた綾女も言わない。それが条件だからだ。
今度こそ場が静けさに包まれた。意外にもキャセルが急かす様子も無いため全てはツァリの判断次第という空気になる。無言の時間が続く。
「……頭を上げてほしい、アヤメ嬢」
促されて素直に上げれば入れ替わるようにツァリが片膝を着いて綾女を見上げる体勢に。もしかしたら彼の癖に近いのかもしれない。
「《神》の乱心は、程度は違えど概ね今回と似たようなものばかりだ。危険を伴う。俺は未熟だから貴女を守り切れる自信も無い」
「危ないと分かればすぐ避難します。ツァリさんの言う事にも従います」
「万一取り返しの付かない事態になったらどうするんだ」
《そん時はこっちで最大限対処するってよ》
「おい」
「期限が来たら今度は素直に帰りますから……ツァリさん、お願いします」
「…………」
長い溜め息。そして。
「分かった。貴女の願いを聞くと言ったからな。ただし無茶は絶対にしないでくれ」
困ったように微笑むツァリの言葉の意味を理解して「はい!」と元気良く頷いた。
《話纏まった? んじゃそこのモグラちゃんの諸々含めて別の奴に交代するから一旦切るわ。お花ちゃん、良きデンジャラスな異世界ライフをー》
そうしていつかと同じように蝙蝠は唐突に掻き消えた。いなくなった途端に声付きで大きく嘆息したのはリョンだ。
『終わった……』
「何か思ってたよりさくさく進みましたね……」
「進みすぎだろう……打ち合わせでもしたのか?」
「滅相も無い。私が訊きたいくらいです」
『それはそれとして小娘。約束通り今度あいつに会ったら思いっ切り水ぶっかけてくれ』
「そうですね。同時に氷も作れるか試しておきましょう」
「待ってくれ何の話だ」
「キー」
「一つめの約束の件ですよ、後で話します。まずは――」
背筋を正してそれぞれ目線を合わせる。
「改めまして、不束者ですがもう暫く宜しくお願いします」
「こちらこそ」
『おう』
「キイ」
一人と二匹の返答は優しく綾女を受け容れる。この時ばかりはアリウムの冷えた空気もいくらか緩んだ気がした。
……だからこそ、と。綾女は決意し直し、そっとツァリを盗み見る。思い出すのはツァリと泉に沈んだ時に聞いた言葉。
《神体の損傷を感知しました》
そしてリョンは綾女の問いに悩みながらも苦々しく答えてくれた。
『……そうだよ。ツァリは《神》だ。半分だけな』
ツァリの疑いは軽く流したが綾女自身もスムーズに進みすぎて違和感を持った。故にもしかしたらと考えずにはいられない。綾女がアリウムに飛ばされたのは事故でも偶然でもないのではないかと。何せ相手はリョンが蛇蝎の如く嫌う
だがそこは一旦置いておこう。綾女がやる事は《神》でありながら《神》を殺す任務を負うツァリの負担を少しでも減らして恩を返す。それだけだ。
地球に帰るまで残り三十三日。リウム再生を目指す綾女の生活が始まる。
[第1部 鉄屑の荒野〈アリウム〉 完]
神葬る 實鈴和美 @SNSZwm
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