第5章

第13話 祈望の先にいたあなた

   †


 どこ。どこ。どこにいるの。


 地中は彼女の専売特許だがこの地はどこも堅く、よく何かにぶつかって掘りにくい。ああほら、また。邪魔よ。

 外向きの前肢で払いのける。塊は耳障りな騒音を立ててひしゃげ半端に退路を塞いだ。気にせず暗闇の中を掘り進む。

 彼女は探していた。女の子を。泣いていた。独りぼっちを悲しむ声。ずっと探しているのに見つからない。私と話していたアレが横から攫ったのは知っている。取り戻さないと。だってあの子は私のもの。


 もうずっとお腹が空いてる。ねえもう一度私を呼んで。お腹が空いてるの。時間が無いの。


   †


 オタクのロマンの一つ、空を飛ぶ。まさかこの状況下で叶うとは。

『落ちんなよ』

「大丈夫。それにたぶん汎用性高いよこのバリアー」

 綾女の返事にリョンがほっとする気配がした。

 一夜明けた八日目、昼前。アリウムに飛ばされた日と同じシャツとパンツ、ぎりぎりまで袖を捲ったツァリのジャケット、加えてどうにかサイズを合わせた風除けゴーグルと布を巻いてのマスクの軽装で綾女はリョンと博物館の外、鉄屑の荒野の上空を飛んでいた――その巨躯を越える大きさの、機械の翼を広げたリョンに乗って。出会いからのあれやこれやと背中が格納されていた事で、《神》に体当たりをかましたリョンが空を飛んでいた事を綾女はすっかり失念していた。ツァリが鞍や命綱を使わずリョンに乗るためそれらの道具が倉庫に追いやられて存在に気付かなかったのも大きい。

《神》に声を聞かれないよう現在綾女達はかなり高く上空を飛んでいた。高度による気温低下と空気の薄さは途中から綾女が《神》に襲われた際無意識に出したと言われていたバリアーを展開させている。無色透明の壁は綾女達に都合良く寒さと空気の薄さをカバーしてくれ、リョンの飛行に支障は出ていない。

『本当にこれで良いのかよ』

 ぽつりと独り言めいてリョンが尋ねた。

「リョンさんが教えてくれたのと私が聞いた内容を纏めれば辻褄は合ってると思う。リョンさんだって納得したでしょ」

『理屈の上ではな。でも正直信じられねえ』

「確かに半分賭けではある。でも今回の件は本当に単純な話なんだと思うよ」

『……やめてもいいんだぞ。お前の心意気だけでオレ達は充分だ。ここでやめても絶対責めねえ』

 心の中で笑う。リョンの首に巻いた手綱から綾女の手が震えているのはバレているのは察していたがこんなに優しい制止をかけられるとは初対面では想像もしていなかった。だからこそ啖呵を切ってしまったのだ。自分が事の始まりで元凶で、なのに守ってくれた彼らをコケにされて異世界ハイのもう一人の自分がキレて……要は綾女の我儘であり綾女が解決しなければいけないのだ。

 だから確認として訊ねた綾女の質問に苦々しくも答えてくれたリョンの――恐らく何も知らずにいてほしかっただろう内容を、綾女の決意を尊重し教えてくれた。その誠意を無駄にはしたくない。

「やめないよ。成功させてあの腹立つ蝙蝠に鬱憤ぶつけて、起きたツァリさんに勝利の報告しよ!」

『……お前アレと話したの昨日が初めてだろ』

 ふはっと今日初めてリョンが笑う。そういえばリョンが忌憚なく笑ったのは初めてかもしれない。背に乗っているため顔が望めないのが残念だ。たとえ表情が変わらなくても大切な相手なら見てみたい。

『見えてきたな』

 下方に目を向ける。アリウムの天井まではまだ遠くても十階以上のビルの高さまで高度はあるにも拘らず、《神》が出現した大穴は距離感覚が狂うほど大きな口をぽっかりと虚無的に開けていた。俯瞰的に見てしまった事で改めて自分が挑む存在が途轍もない事を思い知らされる。唾を飲み込み、簡易のマスクを外し一度バリアーを解除してからゆっくりと深呼吸する。

「いくよ」

 腰に下げていた小さな拡声器を口に当てた。


「――百十三番目のリウムの《神》、フレツカリ様! 私が、米原綾女が来ましたよー!」


 静寂の荒野に綾女の挨拶が響き渡る。微かな残響の錯聴は無視しリョンと共に地表を凝視していると空中にいても聞こえるほどの地鳴りが始まった。徐々に徐々に大きくなり、鉄屑の山の崩落音も幻聴で聞こえてきそうだ。あの時の再現を見ているようで恐怖が蘇る。ううん。大丈夫、大丈夫。

 視界が下がる。リョンが下降を始めたのだ。

 眼下で爆発が発生した。


   †


 呼ばれた。呼ばれた! やっと見つけた! あの子に会える!


 鋭い聴覚で彼女は的確に目的の人物の呼び声を捉えた。方向転換し無我夢中で掘り進める。頭上、地上。一度出てきたあそこに女の子がいる。戻ってきてくれた。いつも皆に教えていたことを彼女は守ってくれたのだ。


 お腹が空いた。早く、早く、あの子を見つけて――


   †


 予兆からすぐさまバリアーを張り直して正解だった。空中且つ爆発の範囲外、観測する側に立っていても、凄まじい粉塵と土煙は地上で味わったものとは異なる迫力で綾女達に浴びせた。

 そして――現れた。スクラップの山かと見紛う、特撮映画でしかまずお目にかかれない巨体を越えた巨体。鉄片を纏ってなお判る丸い頭、そこに繋がる少し長細い吻、耳は無い。外向きの平たい鉄板に似た前肢は穴の外に出ている。最初と違うのは頭だけでなく上半身もでているところか。しかしずんぐりした胴体はまだ半分近く地中に埋まっている。綾女の恐怖の象徴のお出ましだ。

 一度の旋回の後、わざとリョンが大きく羽ばたいた。途端、周囲を見回していた《神》が勢いよくこちらに振り返る。

『いいか?』

「了解。――フレツカリ様ぁ!」

《神》はその体躯こそ巨きいが動きも鈍重、手の可動範囲は狭く空中までは決して届かない。故に飛行するリョンに乗ってある程度の距離を維持し作戦を実行する手筈、だった。視界の端で違和感が過ぎったと気付いた時は遅かった。

(えっ)

 体から剥がれる屑鉄に混じって何かが蠢いた。その何かの正体を考えるより先に向こうから――鉄屑を纏った幾本もの触手が、数十メートルも離れている綾女達の元に一直線に飛んできた。

「えええええっ!?」

『は!? 聞いてねえぞ!』

 遠距離攻撃は綾女のみならずリョンにも予想外の事態だった。猛スピードで突っ込んできた触手は一度は綾女が張ったバリアーに激突して弾き返されたが何分威力が強すぎた。硝子の破砕に似た音と数千の欠片が散っていく幻影が見えた僅かな隙を突いて、勢いがつきすぎて綾女達の後方まで延びすぎた触手が吹き戻しよろしく器用に綾女だけに絡みついて猛然と引き寄せられる。

「うわ――」『アヤメ!』リョンと繋いでいた命綱も引き千切られ焦声が彼方へと遠ざかる。代わりとばかりに屑鉄の隙間から液体が染み出して無数の細い糸が綾女を取り囲み口々に語りかけてきた。

 ――アヤメ アヤメ!

 ――わタしノ こ!

 ――おかエり オカえり!

 ――カえってキた!

 ――おなか スイタ はやク

 歓喜、安堵、高揚、慰撫。綾女が戻ってきた事に喜び心が浮き立っているのが声色だけで判る。……それはもうただ直向きに、純然に、温かかった。

(……やっぱり、この《神様》は)

 触手は綾女を大口を開けた《神》の元へ導いていく。大きく大きく極限まで開いて、口内を縁取る鋭い歯に間違っても綾女が当たらぬように。


 ――もう だイジょうぶ

「フレツカリ様! もう平気です! 私はもう、大丈夫です!」


 触手が止まった。一拍置いて逆再生的に口から離され、長い鼻先近くに移される。《神》の頭が僅かに傾いだ。不思議そうに。

 ――だいじょうぶ ワタシ ちゃんと トドケル こわくないヨ?

「違うんです。私は……フレツカリ様が治めるリウムの住民じゃないんです。私が帰る場所は貴女の世界じゃないんです」

 意思疎通ができている事に心から安堵し、息を整え、どこにあるか判然としない両目と相対する。


《神》は人の声に反応する。人間の存在を声で判別して襲うようになったからだ。けれどよくよく聞けばリウムの《神》がアリウムまで襲来した例は綾女が初めてらしい。そして件の《神》は綾女が声を出すまでは理性があったにも拘らず綾女を食らおうとし、ツァリ達の言葉に耳を貸さなくなったため自我を失ったと判断された。

 しかし、もし。《神》が理性を喪っていなかったら。


 思い出せ。かの《神》は何故遠いリウムからアリウムまでやってきた。何をきっかけにして綾女の元に現れた――綾女は、何を、口にした。


 ――神様がやったって、ってっいうならぁ……! 私の、世界にっ、帰してよお――!


 綾女は叫んだ。神様がいるなら元の世界に帰してくれと、親とはぐれて絶望する幼子のように泣いた。誰にも届かないと理解していても喚かずにはいられなかった。


「でも私はもう迷子じゃなくなりました。帰り道、見つかりました! 親切な人達が私を、助けてくれて……!」


 そしてツァリとリョンが独りぼっちで途方に暮れていた綾女を助けてくれた。綾女の不安と孤独を癒し、突然降って湧いた得体の知れない小娘の身も心も守ってくれた。

 けれど彼らより早く、誰よりも早く綾女の悲嘆に気付いて駆けつけてくれた存在がいたのだ。

 気付くのが遅れてしまった。だからこそ綾女は伝えなければならない。めいっぱいの感謝と、心配させたその詫びを。


「フレツカリ様、私は貴女の世界に一緒に帰れません。でも貴女が私の所に来てくれたから、私は帰り道を知れました。だからもう大丈夫です。それで……気付くのが遅くなってごめんなさい! あの時泣いてた私を見つけてくれて、ありがとうございました!」


 静寂が落ちた。鉄屑の崩落も触手のしなりもいつしか身を潜め、自身の呼気だけが鼓膜を打っていた。


 ――かえりみち わかった?


《神》が静かに問うた。


「分かりました。帰れます」

 ――わるいやつら だまされてない?

「悪い……いいえ、ツァリさんとリョンさんは良い方です。あの人達が教えてくれて、ちゃんと帰れるまで守ってくれてたんです」

 ――……もう ないてない?

「はい!」

 ――そっかあ


 鉄屑の隙間から滲み出ていた液体――人工知能の一部が薄氷色に発光し、綾女の眼前で小さく収束し始める。光の球は徐々に綾女を捕らえる巨体と同じ、けれどそれより遙かに小さいサイズの似姿として形を作っていく。

 ――よかった。

 咄嗟に差し出した両手の上にぽとんと落ちる。子猫ほどのそれは鉄板やビスを綺麗に打った小さな鉄の塊に変じていた。これも《神》……フレツカリなのだろうか。

 まじまじと観察をしようとしたのも束の間、ガラン、と、金属が転がる音が静まり返っていた荒野に妙に不自然に響き渡った。えっと音源を見やるのと《神》の――十階建てビル張りの大きさの巨体の頭頂部から何やら不穏な罅割れが額に、鼻に、口に、胴体に、前肢に、全身余すところなく急速に広がっていくのはほぼ同時で。

《神》の体が破裂した。

「え」

 分離したのは手足だけではない。綾女を捕らえていた鉄の触手は接着されていないスクラップの寄せ集めと化して大量の鉄片が地に落ちていき綾女の体を解放する――地上何百メートルかも定かではない空中で。

「ああああああ――!?」

 絶叫は膨大な鉄屑の擦過に紛れて自分にも届かず、巨大な《神》を構築していたガラクタ諸共綾女の体は落下を始めた。今しがたまでフレツカリが半身を埋めていた大穴を終着点にして。

(待って待ってどうしよどうしたら良い!?)

 綾女の力では空を飛べない。バリアーを身の周りに張り巡らせたとして高速落下による威力を殺せないなら意味が無い。リョンが駆けつけてくれたら、否、翼を広げた状態で降りしきる瓦礫に紛れる綾女の元に来られるだろうか。辿り着いたとしてもろくな体勢も取れない状態で彼の背に着地する芸当、綾女には無理だ。つまり――

(まだ!)

 綾女の念力では重量ある物を長時間浮かせられない。なら断続的に切り替えたらどうだ。オンとオフを小刻みに繰り返せば通常よりも保つし、速度も落ちるかもしれない。

 フレツカリと一緒に我が身を強く抱きしめて念じる、と、がくんと段差を踏み外すのに酷似した感覚と共に落下運動が停止し、息つく暇も無くまた急降下する。決まった。焼け石に水でもこれに賭けるしかない。

(お願い。お願い)

 直下、制動、落ちる、止める、幾度も幾度も繰り返す。次第に手足が鈍痛に支配され全身に熱が籠もり頭が痛む。でも止められない。諦めたら終わりだ。

 黒髪の青年が脳裏を過ぎった。走馬灯でなく彼の姿が浮かんだのは最高のタイミングで綾女を救出してくれたが故に味を占めたからか。彼は治療中で、ましてやこんな絶望的な墜落中になど来られる訳が無いのに。

(ツァリさん)

 独断で動いた事に後悔はしていない。ただ彼が目が覚めるのは待ちたかった――。


「アヤメ嬢!」


 空耳かと思った。最早止まれているかも曖昧で、絶え間なく降り注ぐ轟音の滝で聴覚は機能していなかったから。

 最早秒にも満たない何十回目の停止からとうとう訪れた墜落の衝撃は綾女の想像よりも遙かに弱く、激痛にも襲われなかった。どころか堅くて柔らかい二本の棒は綾女の背と膝の裏にピンポイントで引っかかり衝撃を的確に殺していて。

(違う)

 目を開ける。気付けば仰向けになっていた綾女の視界に映るのは雨霰と降るスクラップ。そして垂れた前髪や頬の輪郭から水を滴らせるずぶ濡れの、

「ツァリ――!」

「すまない。口を閉じてくれ」

 驚愕より先に助けられる側の本能が有無を言わず従った。

 口を閉じる。急降下中にあるまじき浮遊感が綾女の身を包み、突き上げるような強い振動と一緒に視界が白に染まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る