第12話 「取る? 責任」
「行って」
考えるより先に喋っていた。
「分からないけどツァリさんが危ないんだよね? 私はいいからツァリさんの所に行って」
『でも』
「大丈夫! ここに来たばっかの頃ならともかく今の私はバリアーも張れるんだよ? 自分の身は自分で守れる。でも今のツァリさんはリョンさんしか助けにいけないんだよね? なら一番大事な人を優先して!」
リョンはそれでも逡巡して――けれどほっと息を一度吐いて『なら頼みがある』と意識を切り替えてくれた。
『鐘の小屋がある中庭の方、隅っこに泉があるだろ。あそこの扉を開けて水汲んでてくれ』
「分かった」
『すぐ戻る!』
言うや否や綾女を解放したリョンは正にネコ科といった瞬発力で敷地を横断する回廊まで駆け抜けると姿を消した。綾女も目的地へ走る。ほぼ快方になっていたのは幸いだった。
敷地内の案内でツァリ達から入るなと厳命された場所がある。一つは長く廃墟になっている前翼の館。もう一つは鐘の小屋がある中庭、前翼と回廊の繋ぎ目からやや離れた所にある泉だ。小さな段差が設けられた先に広がるのは石か煉瓦かで作られた優に直径十メートルはあろう円形の人工泉でなのだが並々と湛えている水は何故か透明な蒼。しかも奇妙な事にこの泉は鳥籠の上半分をぶった切った形状の鉄柵で囲まれている。アニメやゲームに出てくる古典的な落下型の檻の罠、しかしあれよりもどことなく不気味な雰囲気が漂っていて言われずとも何となく避けていた所だ。
柵と同化した外開きの扉を一瞬素通りしかけるも無事発見して問題無く開いたのを確認し、恐らくさっきの地震で転がったバケツ状の容器を雑に引っ掴んで雑に泉に突っ込「いっづっ!?」たまらず手を離した。勢い余って手首まで水中に突っ込んだ両手がビリビリと痺れ、感覚が半分消し飛んでいる。泉から冷気は感じないのに真冬、否、氷塊が浮かぶ南極の海かと疑うほどの凍てついた冷たさだ。今度は念力で水を汲んでからバケツを地面に置き、震える手に息を吐きかけて擦り合わせる。しかし治まるどころか全身が酷く震えている。
「……」
ぎこちなく自身を掻き抱いて目を閉じる。ツァリ達に保護されてから初めての一人の時間は途方もなく長く感じ感覚すらもあやふやになりかけたが石畳を強く蹴る音はしかと捉えた。リョンが駆け寄ってくるのを認めて立ち上がる。綾女が駆け寄る前に最後の距離を一気に詰めてリョンが眼前に躍り出た。
『水は?』
「汲んだ。ツァリさんは?」
リョンが器用に尾を自身の背に回し、背負っていた何かを慎重に地面に下ろす。何か――朝方見送ったのと同じ、ヘルメット型のガスマスクを被ったツァリだ。ただ顔が見えず服も黒いため状態が判らない。
「ツァリさんっ」
『触んな!』
ヘルメットを外そうとした綾女に飛ばされた怒号に手を引っ込める。
「リョンさん?」
『まだ触んな、オレ様の言う通りにしろ――いいか? ここを軽く叩けば頭のは解除されるが、外れたらまず《神罰》が襲ってくる。それはオレ様が食い止めるからその間に小娘はそこの水をツァリにぶっかけろ。頭を重点的に、できれば上半身にだ。いいか?』
「っ分かったっ」
訊きたい事は一旦全部飲み下してバケツを引き寄せる。
「いくよ? せーのっ」
前肢で示されたヘルメットの中で項に近い部分を叩く。と、機械独特の駆動音が鳴り始めるや触れた箇所を起点にカシャカシャと無数の帯状に分離し、レンズに当たる両端に高速で収納されていく。摩訶不思議な仕組みに思わず見入るも視線はすぐ別の物に奪われた。予想外の形だがヘルメットは順調に外れているはず。しかし徐々に露わになるはずのツァリの肌が――見えない。服でも髪でもない漆黒の色しか見えない。
ぞわりと闇が蠢いた。見分けられたのが奇跡なほどの小さな黒目が、百はあるかという目玉が固まる綾女を捉えて「――」それら全てが触手へと変じ綾女めがけて伸び上がった。
『触んな!』
風切り音を供に尾の鞭が一斉に触手を薙ぎ払い、あるいは鋭い牙で噛み付いて綾女への到達を防いだ。そこで我に返り念力でバケツを持ち上げ、躊躇を捨ててツァリに水をぶちまけると途端触手達が悲鳴を上げてぼたぼたと固体から液体に還っていく。異様な光景に息を呑んだが水に濡れたツァリの顔が露わになった。堅く目を閉じている。意識を失っているらしい。リョンが舌打ちする。
『応急処置はこれでいいが足りねえ。泉の中心に行かねえと……くそ、やっぱオレ様じゃ入んねえ』
「じゃあ私が運ぶ。リョンさん、入口までツァリさん動かして」
『あっ? お前この水の冷たさ知ってんだろ、死ぬぞ』
「少しくらいなら平気! 早く!」
人一人が入れる入口から泉に入れば、途端に靴やズボンを貫通する極寒の冷水が綾女の肌を凍らすように体温をみるみる奪っていく。立ち止まったら動けなくなると直感し再度急かせば尾が入るぎりぎりまでツァリを水辺に入れてくれた。……ツァリは目覚めない。既に綾女は歯の根が噛み合わないのにぴくりともしない。
浮力のおかげで綾女でも幾分か楽にツァリを運べた。念力の使用も考えたがどうもこの水の中では無効化されるらしく途中で底に足が着かなくなってもツァリを引っ張って泳ぎ続ける。四肢の感覚はほとんど無くなり気合いと使命感だけで突き進んでいると遠くでリョンの制止が入った。
『そこでそいつ沈めろ、んでお前も暫く潜れ!』
「沈める!? どれくらい!?」
『潜ってりゃ判る! んで――祈ってくれ! ツァリが助かれって!』
ツァリを見やる。今ははっきり顔が見えるが相変わらず目は閉じたままで、しかもツァリがいる水中が服以外の黒で揺らめいているように見える……無我夢中で気付かなかったが、まさか全身あれに侵されているのか。
(やるっきゃない!)
大きく息を吸い込み、潜る。
水中は明るく、綾女の体もツァリの体もくっきり視認できるほど透明だった。けれど鮮やかなシアンの泉の中は零下の水温とは異なる寒気を綾女に齎した。既に粟立っている肌が膨らむを越えて弾けそうだ。
(ツァリさんお願い助かって……死なないで!)
浮力で離れそうになったツァリの体を正面に移動させて抱き寄せる。そして強く強く、背中に回した腕の強さと同じかそれ以上に願う――
《シンタイの損傷を感知しました。侵食段階、四。信徒一名を確認。通常修復に加え、■■■に信心を還元します》
妙にクリアな合成音声が耳元で響いた直後、極寒だった水が
ツァリの体が仄かに藍の光を帯びていた。襟からずるりと這い出して彼を侵そうとした触手が今度は液化ではなく完全に融解する。それが光っているらしい。浄化の二文字が綾女の脳裏を過ぎった。
《修復開始。復旧は八十時間後になります。信徒は速やかに退場してください》
(何とかなった……?)
怒濤の展開で頭と心が追いつかない。が、ひとまず危機は脱したようだ。依然目が覚めないツァリは気がかりだが音声内容からして綾女がやれる事はもう無い。息も危うくなってきたためひとまず浮上しようと青年から手を
『ナ ゼ ?』
硬直した。
《繰り返します。信徒は速やかに退場してください》
『カ エシ テ わ たし ノ』
ツァリの首筋から触手が
『アヤメ ワたしノ かえシて』
ほぼ頭めがけて重い布を落とされた。ふかふかさらさらで手触りが良く適度に重さがあり保温性も高い毛布は、いつもほぼ地面に直置きな雑に反して貸してもらった服と同じくらい品質が良い。
『おら飯。あったけえモンが良いなら自分で作れよ』
「……いい。ありがと」
膝を抱えた体勢でのろのろと与えられた毛布に包まり、尻尾で差し出されたカンテラに火を点して乾パン入りの袋を受け取る。もそもそと食べ始めた綾女を確認したリョンはそこでようやくわざとらしい嘆息付きで綾女の隣に腰を下ろした。
『いつものツァリなら七日は上がってこれねえ。三日ちょいまで短縮されたのはお前の功績なんだぜ』
「それだってマッチポンプじゃん……」
昼間の会話を無意味にもう一度繰り返してから袋の口を閉じる。頑張って一個は食べたがそれ以上食欲が無い。
『ねえリョンさん、何で怒らないの。百パー私のせいじゃん』
背後を振り仰いで、次に目線を下げる。カンテラの灯りに照らされて夜の闇に茫と不気味に浮かび上がるのは上半分の鳥籠、そして淡く発光している泉の水面だ。
あの後、強制退場のアナウンスでツァリから引き離された綾女はうねる水に巻き付かれ水上に出されると、あろう事かぽいっと放り投げられた。偶然か意図的か入口向かっての投擲だったためリョンが上手い具合に尾で綾女をキャッチし野球ボールよろしく鉄柵にぶつかったり地面を転がる事も無く、あれほど冷えていた体も途中で温水になった影響か寒さで震えずも済んだ。けれど綾女は後処理もツァリの無事を察して安堵するリョンと自身の心も何もかも置き去りにして問い詰めなければならなかった。
――リョンさん、《神罰》って何。
鬼気迫る形相に全てを察したのか、風邪を引かないよう身を整えるのを条件に教えてくれたリョン曰く。
《神》の殺処分とは《神》の人工知能を取り出し、人工知能によって生まれた《神》の人格を消去する事である。しかし乱心した《神》は当然己の命でもある核を奪われないよう対策を施した。液体状の人工知能の一部を変質させ浴びせた対象の脳を食い潰して傀儡にする、または生体組織を強制的に書き換えて体を腐敗させる――想像するのも悍ましい対策を。
《神》に歯向かい仇なす者に下される罰――だから《神罰》。
つまりツァリは《神》から、綾女を襲ったあの恐ろしい巨大な《神》の怒りに触れたのだ。ツァリが守る者――綾女を取り返そうとする《神》に抵抗して、ああなった。
『それも昼間言っただろ。お前が外に出て見つからなきゃ《神》は見失ったままで動けない。ツァリは元々《神》に嫌われがちだからあいつの巡回は抑止にもなる。まさか向こうから喧嘩売ってくるとは想定してなかった。甘く見てたオレ様達の落ち度だ』
「それだってまず私が
『……キリがねえって分かってるか?』
分かっている。綾女とて既に起こってしまった事にぐちぐち言い続ける趣味は無い。ツァリは毒があまり効かない体質であの泉に沈めてさえおけば回復するともリョンも慰めてくれた。しかし自分が原因で恩人の命が危機に晒されたとなれば話は別だ。のしかかる罪悪感があまりにも重すぎる。それこそただ綾女が死ぬよりも。
「……リョンさん言ってたよね。私を《神》の前に出せば三秒で済むって」
『おい、妙な気起こすんじゃねえぞ』
「分かってるよ私も恩を仇で返すって事くらい! でもツァリさんを巻き込んだ私がこのまま帰るなんてっ……ねえリョンさん、私に何かできない……?」
これはただの我儘でリョンに訊いても困らせるだけだと頭では理解している。それでも衝動的に無茶を口走り――堅く口を引き結ぶリョンを暫し見つめ、ごめんと謝り零れそうになる涙を拭って顔を伏せた。
《だったら取る? 責任》
場違いな溌剌とした機械音声が耳に当たったのはその時だ。
綾女でもリョンでももちろんツァリでもなく、ついでに言えば水中のアナウンスとも異なる第三者にこの時ばかりは気まずい空気も吹っ飛んだ。飛び上がらんばかりに驚いた綾女が前に向くのとリョンが舌打ちするのとほぼ同時、ぱっと目の前に映像が浮かび上がった。綾女の掌にも満たない簡素なドット絵、皮膜付きの羽を上下に動かす姿は……白い蝙蝠?
『おい、今話し中だ』
《傷の舐め合いは話し合いに数えねえよ。ちょうどよく話を振ってくれたんだ、乗らなきゃおかしい――初めまして、ヨネハラ・アヤメ。俺は君らが言う本部の者だ。健気なお花ちゃん、君にお願いがある》
本部。お願い。お花ちゃん。聞き馴染んだ言葉とこの場ではやけに軽い言葉とふざけてるのかと突っ込みたくなる呼び方に理解が追いつかない。
《ティザリへの被害、《神》の殺処分失敗、半端物の怪我……はいつもの事か。とにかく君の出現は各方面に不利益を齎した。けど此度の《神》の変則的行動は気になるものがあるし、あの屑鉄の信徒になれた人間は君が初めてでさ、本部も興味津々! 君に見込みありとの事で例の《神》の調査をお願いしたいんだ》
「調査?」
『ふざけんな! オレ様達が今まで何のためにこいつ守って』
《お、さっき口出し厳禁って言ったよね? 大事なご主人様に折檻させたい?》
リョンがぐっと口を閉じ綾女も眉を顰める。最低限の抑揚しかついていない機械音声なのに、さながら弾けるポップコーンのように軽快に跳ねる喋り方で蝙蝠は続ける。
《あ、君に殺処分しろとは言わないよ。でも例の《神》が君を欲しがる原因が判れば本部と、そこの役立たず組の今後の助けにはなるんじゃない? 一つでも手がかりを持って帰れたらそうだなー、地球人好みなファンタジーで君の願いを二つ三つ叶えるでどう?》
「分かりました。やります」
『小娘!?』
《わーお話が早い。んじゃ期限は君が帰るまででよろし》
「では先に一つ前払いで聞いてください。内容は『今から喋る私の発言を全て認めろ』」
《え?》
一度大きく息を吐き、睨めつける。
「――ツァリさんを侮辱するな。リョンさんの親愛を利用するな。私の恩人達を役立たずとか言うな。次宣ったらあんたに鉄砲水かます。以上」
沈黙。
《……あっはははははは!》
からの爆笑。
《良いよ良いよー上手くいけばね、聞いたげる。んじゃよろしく!》
全く効いた様子も無い挨拶を最後に蝙蝠が消えた。
……何アレ。突然現れて突然人の恩人を馬鹿にしくさって、ついでに綾女も小馬鹿にして突然消えた。何アレ。
ふざけんな。
「リョンさん」
『はい』
「ぐだぐだ言ってすみません。頭切り替えますからお願いします、手伝ってください。異世界ハイの真骨頂で、あのポップコーンに言う事聞かせてやりますよ……!」
リョンが一瞬敬語になった事には触れず、綾女は掌を拳で叩いた。
――しかし、かなり腹立たしいが。これで話は繋がった気がする。
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