第16話○面

 首だけが並んで売られている。シュールで不気味で、それなりに愉快な滑稽に満ちたショーウィンドウを白猫は見上げる。

 指どおりの良さそうな白髪を三つ編みにして、整った鼻筋のある顔には睫毛の長い黄緑の瞳がある。唇はすました弧を描いており、いつか撮った写真と瓜二つだった。首元のアクセサリーまで精巧に真似されている。


「流石に売り物にするとは思わなかったなぁ……」


 往来を行く人々の耳に、猫の呟きは鳴き声にしか聞こえなかっただろう。

 しかし、この猫こそが売られている生首の本物、身体無しのサイファー・デマントその人である。


  ◇  ◆  ◇


「言ったとおりでしょう、旦那。アコギな連中ですよ。全く」

「人間は不思議な商売をしますのね?」

「しかも連日買い手があるそうですよぉ」

 見物帰りの足でサイはとある裏路地に入り込んだ。塀を登り。下り。軒下を潜り。辿り着いたのは街の猫たちの集会所だ。雑然とがらくたの置かれた空き地には様々な猫が思い思いに寛いでいた。

 会話と昼寝を嗜む彼らに、サイは礼儀正しく挨拶をする。見知らぬ余所者に警戒されたが、件の魔術師だとわかると気前よく歓迎してくれた。

 猫たちは開店準備から知っていたようで、ドアの隙間から覗く品々の特徴にピンと来た一匹がいたらしい。どなたかと見渡せば、箱の上で自分に報告に来た猫が鳴いた。語学の学びにと猫と気ままに会話していたのが役に立ったようだ。

「貴方も売られるとは考えてなかったでしょうに」

「いえいえ。身体は既にオークションにかけられています。それを踏まえれば予想できなかったのが恥ずかしいくらいですよ」

「しかし、そんなに似てるのか?」

「おや、気になりますか?」

 枝の上で丸まる灰色の猫に応じ、サイは一度変身を解除する。白い三つ編みと黄緑の目、黒いチョーカーの生首に場はざわついた。

「おお! そっくりだ!」

「なんと、本当になっていたのか」

「たいした商売根性だわぁ。なんでも売るなんて」

「目は本物のほうが綺麗だぞ。くり貫きたくなる」

 爪を伸ばすドラ猫にサイは微笑み、再び猫へと変わる。

「それは勘弁を。これ以上減らされてはあなたがたと戯れられない。猫じゃらしも振れない、食事も用意できない。人生における多大なる損失ですよ」

 うまいことを。世辞だわ。でも嬉しい。そうだ、損失だ。

 普通の耳ではニャゴニャゴとしか聞こえないだろう合唱だ。サイは苦笑しつつ、尻尾を付け根からくるりとプロペラのように回した。作り物にしかできない動きに合唱が悲鳴に変わったが、彼のかたわらに現れたもので喝采に変わる。鶏肉の山だった。

「これはお近づきの印に」

 すると、真っ黒い猫がそびえる山の前に音もなく現れた。底無しの闇を纏うというのに、両目は黄色と水色の澄んだ色を伴っている。

 黒猫は鼻を引くつかせて突如寄越された肉を検分している。他の猫たちは黙ってしまった。どうやらこの集会の長らしい。毛並みはよく、しなやかな筋肉が満遍なくついているのもわかった。余裕めいて整っている故の、強者たる圧もある。

 さぞかしモテる雄猫に違いない。

「何か聞きたいことでもあるのか? 水臭い、訊きたければ訊いてくれ。ここはただの猫の集いだ。まあ、貰えるなら貰うがな」

 尊大でも嫌味に聞こえない態度はボスに相応しい。サイは尻尾を淑やかに収めて、頭を深々と垂れた。

「それで構わない。僕が出したくて出したものだからね。なら早速だけど……」


  ◇  ◆  ◇


 見事にサイの首だ。

 ジルは足を止めて、ショーウィンドウと対峙する。買い出しのついでに噂を確かめにきたジルは猫の報告が寸分狂いもないことを知った。

 通りに面した店舗の、最も広いスペースに生首たちは陳列されている。それは奇妙や不気味を通り越して、ひたすらに圧巻。各々に微妙な個性があるところが妙な雰囲気を醸し出していた。

 どれも似ているようで似ていない。どれひとつとしてサイではないが、どう見てもサイだ。

 黄昏に染まる街でまじまじと見物する男も異様だが、似たような野次馬も数名いる。先程も入った客が円柱状の箱を抱えて笑顔で出てきた。その間にショーウィンドウから首がひとつ、店員に運ばれている。稀代の美貌と才能溢れる魔術師の生首はそこそこ人気らしい。悪趣味な物好きたちの感性をジルは理解できない。

 どこからサイの生首を売るという発想が現れたのだろう。身体を盗られた情報がバレたのか。高値でたらい回しにされる現状を放置しているのが根本的な理由であるのは間違いない。問題は何を目的として誰が始めたかだ。

「似てるだろう」

 考え始めるジルの足元から声が聞こえた。聞き慣れた声に見向きもせず答える。

「ああ。気味が悪いくらいにな」

「それでいて別物だ」

「視界がおかしくなる。眩暈がする」

「君ならそう言ってくれると思った」

 黒いシルエットに寄り添うように長毛の白猫が行儀良く座っていた。ジルが屈んで腕を伸ばすと、サイは堂々と身を預けて持ち上げられた。おそらく周囲には猫の鳴き声に答える変人としてジルは写っているだろう。だがそんなことも気にせずに(サイがどうにかすると知っているため)会話を続ける。

「どうするんだよ、これ」

「ここまで大々的に弄ばれるとは思ってなかったなぁ。下手に出来が良いところがミソだよ」

「笑ってる場合か」

「どうせなら盛り上げてあげよう」

 猫が瞬くと、ペリドットから赤い火花が散る。途端、ガラスの向こうにある偽物の黄緑色たちが一斉に左右を見渡した。

 長い睫毛が上下に動き、唇が開いて口々に笑い、話し始める。隣同士で会話に花を咲かせる首もあれば、野次馬にウインクやキスを送る首もあった。見せられた人間の絶叫が通りに響き渡る。店員が来て騒ぎになるのをサイは無視して、ジルの腕から飛び降りてさっさと帰路につく。

「おま……!」

「はははっ! これでより売れるだろう。僕より口達者だと良いけどね。さ、行こうか」

 背中に喧騒を受けながらジルは仕方なくサイを追う。聞こえてきた偽物の声は、どれも聞き慣れない知らない雑音だった。

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黒い首 白い首 燦月夜宵 @yayoi_841

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