12. 湖

【八月四日】


 三日の時に書いた通り、白鳥ボートに乗りたいという梨紗りさの要望から、××湖へやって来た。避暑や娯楽目的の観光客も多い中、電車の中でもバスの中でも生首を抱えてやって来た俺たちは、良くも悪くも目立ち続けていた。

 落頭病らくとうびょうの存在は周知されているけれど、やっぱりインパクトが強すぎるし、不気味に感じる人だっている。ぶっちゃけ、早々に慣れた俺と梨紗の方が、おかしいと言えばおかしい。


「うわー、めっちゃ人いるね。真聡まさとくんのこと落っことしちゃったら、一瞬で見失いそう」

「おっそろしいこと言わないでくれます? ヤダよ俺、こんな人混みの中に転がされるの。踏まれるのもヤダし、踏んだ人も一生トラウマ抱えかねないでしょ、夢に出ちゃうよ」


 梨紗と真聡がいつもの軽口を叩き合っている。真聡の首を抱えるのは、主に梨紗の方だ。人の頭は決して軽くないはずだが、梨紗は細い腕で、苦もなさそうに抱えている。

 いつだったか、なるべく俺が持った方がいいんじゃないのと提案したけど、梨紗は「気にしないで」と笑っていた。「あたしが持ちたいから持ってるだけだよ」とも。生首を持ちたくて持っている女子高生。字面だけなら、猟奇的で物騒。


「白鳥ボートも結構混んでそうだけど、どうする、並ぶ? それともどっか歩いてから戻ってくる?」

「いやあ、さっさと並んどくべきじゃない? 後回しにしたらもっと列長くなるでしょ。つーか、梨紗は並ぶ一択なんじゃ」

「もちろん! まあ駄目そうなら諦めるよ」


 食い気味な梨紗の返答が、次の行動を決めた。自前の水筒を揺らしながら、白鳥ボートの群れる桟橋へ続く、長蛇の列に加わる。梨紗が真聡の頭を持っている分、二人の水筒はまとめて俺が持っていた。


 ××湖は低山の頂上にあり、俺たち三人が住んでいる場所からそこそこ遠いものの、交通の便が良くアクセスも容易だ。この湖に来るまでには、ふれあい牧場や美術館といった、体験型イベントも豊富な施設等々があるため、家族連れの小旅行にも持ってこい。たぶん、学生だけの一団もいるだろう。生首を連れているという点では、俺たちくらいしかいないだろうけど。


 長蛇の列に並んでからも、ちらちらと視線は感じたが、当の二人は全く気にしていない。たまに水筒を真聡の口元へ持って行くため、俺にも視線は向いた。

 女子高生が持ち上げる首だけ男子に、手慣れた様子で水を飲ませる同年代と思わしき男子。その水は胴に繋がっていない部分から零れ落ちることなく、乾きを潤している。珍妙極まりない光景だろう。俺もそう思う。


 それにしても、他愛ない会話で暇潰しができる梨紗と真聡を初め、ここに並ぶ人は我慢強い。多くはカップルだが、子どもにせがまれたのだろう親御さんもいる。楽しそうな人、暑さにうんざりした顔の人。具合が悪そうな人はいない。いたら、日陰に行くよう注意しないとならない。


「お待たせしました、えー、と……」


 受付にまで辿り着いたのは、並んでから数十分後。梨紗と俺の顔を見て、人数を確認し終えたと思っただろう販売員さんの動きが固まる。梨紗の腕から、真聡がにっこり笑って「どーもー」と挨拶した。聞こえないだろうけど。


「学生三人、お願いします」

「は、はい、学生三名様ですね……」


 俺の注文でようやっと動き出した販売員さんは、しかしテキパキとしていた。動揺はしていただろうけど、列を捌くためには機敏が必要だろう。学生証も確認して、チケットを三人分、分厚いガラスの下から差し出してくれた。

 バラバラにお礼を言った後、同じく一瞬固まったスタッフさんにチケットを切ってもらい、空いているボートに案内される。操縦の仕方も同じ人から教わった。これで準備万端というところに、「ご一緒に、乗られるんですか?」と恐る恐る訊かれた質問には、梨紗が「乗ります!」と元気に答えていた。


 かくして、俺と梨紗のペダル漕ぎにより動き出した白鳥ボートは、生首を乗せて湖へ進み出た。真聡の頭は席の間で、俺たち二人の片手に固定されている。ハンドルは嬉々として梨紗が握っていたので、何かあった時に支えるのは俺の役目だ。「俺の命運はお前に任せた」と無駄な決め顔で言われた時は、このまま落としてやろうかなと思ったけど。


「ってか、真聡くん景色見えてる?」

「お空がきれいってことは分かる」

「見えてないんじゃん。想一そういちくん持ち上げてあげなよ、あたしはこの通りだからさ」

「丁重に持ち上げてくれたまえよ、想一くん」

「落とすぞ」

「冗談だって」


 けらけら笑う真聡の首を、同じ目線の高さまで持ち上げる。「おー!」とか「気持ちいー!」とか出される声に伴う振動や、動く表情に合わせて引っ張られる皮膚の感触が、抱えた手全体に伝わってきた。


「いや頭持ちながらペダル漕ぐのキッツい、一旦止まろう」

「オッケー」


 俺の要望を聞いて、梨紗も漕ぐのをやめる。周囲に他のボートは無く、衝突の可能性はなさそうだった。


「えへへ、確かに気持ちいいね。あたし白鳥ボート乗ったことなかったからさぁ」

「その話これで三回目だぞ。電車で一回、バスで一回」

「そんなん別にいいじゃんねぇ。細かい男は嫌われるぞ想一」


 真聡の顔は外へ向いたままなので、後頭部が馬鹿にしてくる。仕返しに項をなぞり上げてやると、「おぎょあぁ!?」と珍妙な悲鳴が上がった。


「セクハラ! 想一くんにセクハラされましたー!」

「うるせぇなぁ、湖に沈めんぞ」

「ヤの付く職業さんが言うやつ!」


 キレッキレな真聡の突っ込みが、やまびこに呼びかけるかのごとく響く。湖上の水平線、囲う山の稜線りょうせんも超えていくかのように伸びていく。息を吸っているのに膨らむ肺は無く、ただ発生の震えだけが、俺の手のひらに熱を残していた。




 景色を堪能した後は、謎のスイッチが入った梨紗によって、どちらが早くペダルを漕げるのか競争に巻き込まれてしまった。俺にばっか野次を飛ばす真聡を時おり揺すぶりつつ、のろのろと桟橋に戻ってきた。

 後から調べて分かったことだけれど、全力でペダルを漕いでも、ボートが凄まじい勢いで前進するということはないらしい。骨折り損のくたびれ儲け。書きたかったので書いておく。

 書いたことわざの通り、俺と梨紗はすっかり疲れてしまったので、岸に戻ってからは休憩となった。休憩場所には、屋内のフードコートを選んでしまったために、そのまま外に出る気を失くしてしまった。湖に遠出しておいてこれとか、書いている今の俺からすると馬鹿馬鹿しい。


 ××湖も、周辺の行楽地も、この頃と変わらないままだ。夏に行くのはさすがに勘弁だが、行きやすい時には、また行ってみたい。

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三首三様 葉霜雁景 @skhb-3725

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