一筋縄でいかないならば、結んで開いてしまえば良い。



「……コホン、全員揃ったようですので理事長、始めさせていただいても?」


 俺たちを先に部屋に入れた狩野先生が、理事長室のドアを閉め、俺と三人のやり取りを聞き終わって少し。場を切るための咳払いの後、安藤先生が理事長に切り出すと「はい、お願いします」と返事をもらい、立ったままの俺たちの方を向いた。


「……本来なら、職員会議の後で、理事長にお話を聞いてもらおうと思っていたのですが、何故か生徒会長、副会長経由でこちらで直接との話になりましたので、今回の件についてお話をさせて頂きます」


 彼女はそこで言葉を切ると、テーブルに置いた片側にクリップの付いたファイルを手に取り、そこに書かれた言葉を滔々と読み上げていく。


 ――まず一。本日、昼休憩時に本校舎の二階廊下にて、1年2組の田中陽菜と同クラスメイトである城田葵が、他生徒等の衆人環視の中、腕を組んだ状態で移動している所を発見。廊下の中央部で立ち止まり、二人は注目を集める中で、「不純異性交遊」行為の一つである、「口づけ」を行った。


 続いて二。直後、田中陽菜はその場を去り、城田葵のみがその場にて右往左往している所、その状況を確認した生徒が殺到し、校内の風紀を著しく乱した。


「状況については以上となりますが、相違はありますか?」


 パタンとファイルを閉じ、テーブルにそれを置いてから、彼女はその視線をまっすぐこちらへ向けて聞いてくる。


「いいえ、その通りです」


 葵はその視線をまっすぐ返し、胸を張ったまま堂々とした態度で返答をする。それを聞いた安藤先生は、そのまま俺を見つめ、俺はただこくんと、頷いた。


「そうですか」


 彼女は一言そう言うと、理事長の方を一瞥した後、椅子から立ち上がって俺達の前まで歩み寄ってくる。


「……我が校は私立高校として本校に通う生徒に対して「自由と創造」と言う理念の下、所謂「校則」というものを極力緩和しています。それは貴方達に「自主性」を持って欲しいという理事長の想いが、込められているからです。ですから、「男女交際禁止」だとか「服装の細かい指定」などはしていません。今の時代にそぐわないのは勿論、法の上でも18歳に成れば「成人」として扱われるようにもなっていますからね」


「……ですが、私達はあなた方を、ご両親、保護者の方たちからお預かりしている立場でもあります。故に最低限のモラルやマナーは、きちんと守って頂けなければなりません。そうでなければ、集団生活は簡単に破綻してしまうからです。お分かりですね?」


 彼女は俺たちを交互に見ながら、正論としての講釈をきちんと噛み砕いて話してくる。そうして、最後に疑問形でその返答を促してくる。……言葉で言われれば当然そんな事は分かっている。真っ昼間の街中でキスシーンを見るなんてことは無いし、それこそ高校生がその校舎内で、そんな事を堂々としているなんてこの日本では聞いた事がない。そう思った俺が頷きかけた時、やはりと言うか、葵はきっぱり反論し始めた。


「そうだったんですか、ご教授頂きありがとうございます。私が先週まで居たスクールでは、恋人や、愛する人に対して行う愛情表現としてのキスやハグは認められている行為でしたので、になりました」


「……は?」


「確かに過度なディープキスや、性的接触は公序良俗に反する行為ですから、耳目のある中で行ってはいけないと思います。ただ、言わせて頂けるならば、私が今回ハルくんに行ったのは、「母性本能」から出た「保護行為」の一つです。彼が不安な状態に陥り、辛そうな顔を見ていられなかった。彼の笑顔を守りたい、私のできること、あの場で出来る行為として、最善を私は選んだつもりです」


 ――もはや、その場にいる全員の目が点になり、ぽけぇっと彼女の演説を聞いているしか出来なかった。


 母性本能? ホゴコウイ? コウジョ籠絡? オマエハ何を言ってるんだ?


 俺の思考が追いつかず、ポンコツ状態で呆けていると、目の前の彼女の方がわなわなと震えだす。


「……あ、アナタは、自分のやった行為を……そんなふうに正当化しようと――」

「安藤先生、落ち着きなさい」


 怒りに震えだした彼女の後ろから、落ち着いた声音で入ってきたのは理事長。その声にビクリと肩を震わせた安藤先生は唇を噛み締め、メガネのズレを戻して振り返る。


「……理事長、仰りたいことは重々承知しています。彼女が本来、あちらでは飛び級で大学生だったことも。ですが――」

「安藤先生、私はまだ何も言っていませんよ。まずは落ち着いて、副会長、お茶を」

「はい……って、僕ですか?!」

「良いから淹れなさいよ」

「痛い! 初華さん蹴るのはやめて」


 会長と副会長が小声でしょうもない漫才をしているのを聞く余裕は無かった。


 ……今、安藤先生はなんて言った?


 その言葉に思わず困惑したまま、ふと横に立つ葵に目線を持っていくと、いくらなんでもそれは無理だろ、と言いたくなるほどギクシャクとした態度で、首をギギギと背けている。


「……葵って、向こうでは大学生だったの?」

「え、えへへ。なんか、向こうの学校ってさ、テストや論文で良い点取れると、なんか推薦貰えちゃうんだよ」

「……え? じゃ、じゃあ、この高校に来たのは――」

「あぁ、違うんだよ。勘違いしないで! 向こうでは確かに大学まで行ったけど、日本ではちゃんと試験を受けてこの高校に入ったからね。ハルくんがここに居る事もほんとに知らなかったんだよ」


「田中くん、城田さんの言うとおりですよ。彼女が飛び級で大学に行っていたのは事実ですが、それはあくまで数学と心理学の二教科です。それに、日本の歴史や国語などは中学生程度の知識ですから」


 理事長の説明によると、彼女は特定の分野でその才能を見出され、大学に飛び級したが、日本ではその制度がないため、年齢に合ったこの高校へ編入試験を受けて入学したということだった。


「――はぁ、なんかよく分かんないけど、解りました。……でもそれと、さっき安藤先生が言った事の理由が……」

「今聞いてたでしょう。城田さんは心理学、特に基礎心理学の分野に突出した才能があったの。彼女は自己紹介で聞いたと思うけれど「トランスジェンダー」を自認しているでしょう。心の性と身体の性の違いに悩んだ彼女は、その探求のために相当なをしたらしいわ。その結果としてとある大学に寄稿した小論文が教授の目に留まり、彼女は大学に招待されて飛び級したのよ」


 よく分からない返事をした俺に、何故か安藤先生はかなりの勢いで熱弁を振るう。それに驚き「は、はぁ」と若干引き気味にしていると、彼女自身も気がついたのか「ごめんなさい」と小さくつぶやき、シュンとなる。


「ウフフ、安藤先生はね、城田さんの論文がだいす――」

「理事長! 今そこは良いですから!」

「あらあら。怒られちゃった」


 ……おばあちゃんのテヘペロって、今需要ないよ。


「ま、まぁ、それは解りました。要するに、葵は先生の正論に対して心理的な話でもって、論破してしまったと」


 その言葉に安藤先生はこくんと頷き、理事長はニコリと微笑み、葵は目をそらしてソワソワしている。


 ……そうか、要するにどちらも間違ってはいないけれど、このままじゃ平行線になってしまうと。


 学校は違反行為をしたと言いたいが、葵は俺を守るためにした慈愛の行為だと……。


「田中陽菜君、キミは、君自身は今回の件、どうするのが一番だと思う?」


 高嶺初華生徒会長が、そんな言葉を俺に投げかけてくる。その言葉を聞いた皆が俺を注目し、そんな中で葵の視線を感じた時、それを直感してしまった。



 ……はは、そうか、そうだったよな。俺はなんだ! あの時、誓ったじゃんか! ならこう答えなきゃダメだよな。



「安藤先生、確かに今回の件は学校内では不適切だったと思います、ですから処分はきちんと受けます。ただ、退学だけはご容赦下さい」


 そう言って深々と頭を下げる。


「彼女、城田葵さんは、俺が廊下を歩いている時に嫌な視線を受け、不安になっているのに気がついてくれました。……確かにその行為自体は不適切だったかも知れませんが、俺は……俺はすごく救われました。まぁ、初めてだったのでかなり動揺してしまい、走って逃げてしまいましたが」


「……でも、彼女が現れてくれたお陰で、今朝までの俺とは全く違う自分がここに居ると自覚しています。これからはきちんと俺が日本の常識を教えます。なので、今回だけはどうか、穏便に済ませて下さい」


 そこまで一気に言い切ると、隣で一緒に頭を下げた彼女を見つめ、夢ではっきり言えなかった、言葉の先を言う。



 ――ボクもアオちゃんがダイスキだ!





 P.S


 当然ながら、理事長はヤンヤやんやと騒ぎ出し、安藤先生は蟀谷ぐりぐりを再開し、高嶺先輩は爆笑しながら葵と抱き合い、乙梨先輩は涙ぐみ、狩野先生は終始置物になっていた。


 これはその日一日の半分程度の出来事で、次の日が来る前に家に帰ると考えた途端、俺はその場で頭を抱えることになり、混沌カオスで修羅場な状況は始まったばかりと言えるだろう。


 ……でも。


 好きな女のコくらい、男の俺がなんとかしないとな!




   ~fin~


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このラブストーリーは一筋縄ではいかないらしい。 トム @tompsun50

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