この恋は一筋縄ではいかないらしい。



 ……はぁ、もう何が何やら。


 最終的に部室内全員でラインの交換会まで行い(理事長含む)、予鈴が聴こえてその場はお開きとなったのだが……。


「ねぇ! 廊下でキスしたってどういう事?!」

「抱き合って廊下を走ってたってマジ?!」

「BLなの?!」

「百合なのどっち?!」


 教室に戻った途端、俺たちの席にはクラス中の人間が座らせまいと犇めき合っていた。殆どが尾ひれや意味のわからないことを言っていたが、BLってなんだ?! 俺たちは男女だし、百合って……アイツはなんで真っ赤な顔をしているんだ?!


「待って待って! 一体どうしたの? なんでこんなに集まっているの?」


 トンデモなく盛り上がっているクラスの中、葵はそんな連中を前に一人落ち着いた声で聞く。


「だって! 貴方達、学食に向かう途中くっついて歩いた挙げ句、廊下の真ん中でキスしてたって――」

「……うん、それで? え、普通じゃん。私の居た学校ではカップルは常に一緒に居たし、キスなんて見飽きるほど何度もしてるよ」

「「…………」」


 彼女のその言葉を聞いた途端、クラス全員はピタリと固まる。


「……え? 私なにかおかしなこと言った?」

「……アメリカのみてぇな事言うから、皆ドン引きしてんだよ」

「え? あんな爽やかじゃないよ」

「いや、そこじゃねぇから」

「――プッ!」


 あまりの天然っぷりに思わず俺が葵に突っ込むと、逆にとんでもない返答が返ってくる。そこにも堪らずツッコミを入れた瞬間、誰かが我慢できなくなったのか、思わず誰かが噴き出すと「確かに、城田さんは帰国子女だった!」と誰かが叫び、クラスはそこで爆笑しだす。


「お~い、いい加減席につけぇ。チャイムはとっくに鳴ってるぞ~」


 笑いが少し落ち着いたと思ったところで、教卓に着いたクラス担任で現国担当の、狩野先生が声を掛けてくる。その声に振り返った皆が「は~い」「狩野ちゃん居たんだ?」など、口々にフレンドリーな言葉を発しながら、席に戻っていく。


「……ったく、最近のお前らは気安すぎないか? ……今しがた、ものすご~く聞きたくない言葉が、聴こえてきた気がするのだが、でいいよな?」

「「いいで~す!」」

「……だよな!? 良いよ――」

「オッホン!」

「……あ」


 授業時間はとうに始まっており、時計を見ると既に5分以上が過ぎている。……その間教室はかなり大きな声で騒いでいたのだ。他の教室は静かに授業が始まっているにも関わらず……。


 つまり、何が言いたいかと言えば。


「授業時間はとうに始まっているのに……何を騒いでいるかと来てみれば。狩野先生、それは職務放棄と言うのではないですか?」


 教卓側のスライドドアを開き、廊下からこちらを覗いたメガネの妙齢な女性教師が、キリッとした顔で狩野先生を睨んでいた。


「……あ、あはは。……城田と田中、放課後職員室に来るように」


情けない顔をしながら女性の視線を受け、小さく息を吐いた後、彼は俺たちに向かってそう告げる。ドアが閉まるのを確認してから「……さぁ、授業を始めるぞ~」と言いながら、教科書をめくる手は心なしかとても気怠そうに見えた。




「……はぁ、結局職員室行か。面倒くさいなぁ」


 全ての授業を終え、二人で職員室に向かって歩いていくが、俺は面倒な気持ちで一杯だった。担任教師はまだ良い、彼はどちらかと言えば事なかれ主義というか流されやすいと言うか、所謂、熟れた高校教師だから。今時の高校生に変に首を突っ込むと後が面倒だと思っている、典型的なサラリーマン教師。特にここは私立という事も有り、自由な校風というのが売りになっている。大体、理事長があんな感じで「良いわぁ! アオハル大好きですぅ!」とか言ってる、少しおかしな人なのだ。


 そんな中……何故か一人だけ、昔気質むかしかたぎで風紀委員長の様な教師が居る。学年主任の「安藤杏子あんどうきょうこ」女史。はっきりとした年齢は知らないが、40はまだなって居ないと思う。化粧っ気もなく、髪は引っ詰めたままに、度のきつい眼鏡を掛けて、いつも機嫌が悪そうにパンプスをカツカツと言わせて廊下の真ん中を堂々と歩いて居る。特に教師の美醜に興味は無いが、彼女は恐らく美人の部類に入ると思うのだが。何故か未だに独身で、男性教師を良く叱り飛ばしていた。


 そんな教師に見咎められ、俺たちは今職員室に向かっているというのに、葵はスマホをポチポチしながら、偶にニヤリとして少し怖い。


「……なぁ、葵は面倒じゃないのか?」

「ん~、何が?」


 こう言うことには頑として文句を言いそうな彼女なはずなのに、何故かその小さな画面を操作したまま、腕だけはしっかり組んで適当に返してくる。


「だから、呼び出しだよ。どうせ「不純異性交遊」がどうのって、うっとうしい事言われるんだぜ」

「……大丈夫だよ」


 俺の言いたいことが解っているのか、どうでもいいのか、ただ、大丈夫と返事を寄越してくる彼女に少しムカついて、思わず俺は組まれた腕を振りほどく。


「なんだよ、大丈夫って!? 大体、葵があんな事を急に――」


 そこまで言って、自分が何を言おうとしているのか気づいてしまい、口を噤むと同時に、顔が火照る。


 ――そうだ、お、俺、葵とキスしたんじゃんか!


 頭の隅では分かっていた。……だけどそれは余りに唐突過ぎて、脳が処理する前に色んな事が一度に起きて、アーカイブしたままそっ閉じしてた。


 俺が急に立ち止まったので、キョトンとした表情でこっちを見てくる彼女のその唇と……俺のく、口が……。


「どしたの? ってか顔赤いよ、大丈夫なの?」



 ――バクン!!



 心臓が突発的に大きく跳ね、バクンバクンと耳にうるさい。顔が火照りを超えて、灼けるように熱く感じ、まともに彼女の顔を見ていられない。


 心配そうに俺を見詰める彼女の顔が、その瞬間に余りに輝いて見え、その唇に視線が吸い寄せられる。……あれ?! なんだ!? 何だこれ!?


「だ、大丈夫! だけど、ちょ、ちょっと待って!」


 咄嗟に横を向き、顔を隠す様に視線をずらして、俺は呼吸を整える。


(……なんだ? マジで何だ?! ……葵ってこんなにっけ?)


 不意にそんな事を考えていると、そもそも論として自分が、今日の今まで女性に対してそんな意識を向けたことが無かった事に気がついた。……ずっと名前にコンプレックスを持ち、顔すらそんな風に言われて誰が恋愛などしたいと思うだろう。女顔をバカにされ、影で何を言われているのかもわからない。それで、少しでも男らしくなろうと苦しいながらも頑張ったのに。


 ――ダイスキ!


 ……いや、そうじゃない。俺は、もう、あの時から……。


「ハルくん! 大丈夫なの?」


 思考がボンヤリ纏まりかけた処で、葵が肩を掴んで現実に引き戻される。「あぁ、問題ない」と応えて、視線を合わせず前を向くと「さっさと行こうぜ」とぶっきらぼうに言い放ち、俺は顔の火照りを冷ますために、彼女の前を早足で進んだ。



◇◇◇



「……で、どう言う理屈でお二人がココに?」


 職員室前に着き、ドアをノックして狩野先生を呼ぼうとすると、彼のほうが急いで廊下に出てきて「こっちだ」と別室へと案内される。その部屋の入口上部には『理事長室』とプレートが掲げられ、ガバっと振り向いた先にはピースサインの葵がニパっと笑っていた。


「『状況把握』と『現状理解』そして『即断即決』の速さに、驚いてくれても良いんだよ、田中陽菜君」 

「……上手く纏めてやった! みたいなドヤ顔はヤメて下さい高嶺先輩、あとその四字熟語何なんですか? でも来てるんですか?!」

「ねぇ、初華さん、田中くんってこんなに喋る人だった?」

「いや、私もそこは少し驚いているの。傑も知らなかったの?」

「ハルくんは元々だったんです。ボッチは多分わざとだと――」

「葵は黙ってて! あぁもう話がどんどんややこしくなる!」


 理事長室に入ると、先輩達が当たり前のように椅子に腰掛け、お茶を「ずず~」と啜っていた。学年主任の安藤先生は、対面の椅子に座って蟀谷こめかみの辺りを指でグリグリとし、目を瞑って何やら思案顔。奥の立派な机にはニコニコ顔の理事長先生。



(あぁ、やっぱりに終われそうもない……)


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