我究 の先に 光あり  100点


詩はね、何もかも自由なんです。
わかり良い詩もあれば、難解なものも。
よく分からなんけどなんか好き、読み手はそれで良いのです。

難解な風情のものは、書き手が心のありようを自ら掬って自らを救うために書かれた側面が強いように思われます。
ごちゃごちゃ書いたら興醒めなんで、それでヨシ!
読み手は、理解のできない自分を恥ずべきものではないし、なんやこれとホカすのも勿体無い。
カクヨムにはコメント欄がついているのだから。
知りたければ、尊敬の念を持って教えを請うと良いのです。

作者さまは教えてくださいました。
がってんであります。
自身を見つめ、なにが行く手を狭めさせ苦しくさせるものなのだろうか? それを見つけて見つめる。弱さも含め自分を認めるところからのスタート。

自分を研究する。
我究道を進むことは、眠気をかき消すほどの明るい光へと己を導いていく、またはそうありたい。
私はこの作品を読んで感じました。
皆さまはなにが見えるかしら?

(朔之玖溟(さくの きゅうめい)氏、2つのペンネームにて活動中。こちらの作品は詩の創作等で用いられる『三井夜鳥』名義にて執筆。)