後編
◆
陽菜と晴二が高校三年の進級を目前にした春休み。ふたりの保護者である幸子と信夫が再婚することになった。
母からその話を知らされた陽菜は、当然複雑な感情を抱いた。
晴二の父、保坂信夫が自分の父になることに対しては嫌悪感がある。一方、別々の高校に進学して以来、一度も会っていない晴二と再会できることよる淡い期待感もある。
同じ屋根の下、わたしと晴二くんが暮らす。兄弟として。それは望んだ形とは違うけれど、少しだけ喜ばしいことのように思えた。
晴二から連絡があったのは、両家顔合わせを兼ねたお花見が予定された日のちょうど一週間前だった。
ふたりは陽菜の通う高校の最寄り駅前の喫茶店で落ち合った。
「これから話すことは、すぐには信じられないかもしれないけれど、本当のことだから真剣に聞いてくれ」
陽菜が席に着くなり、先にきていた晴二が絞り出すように語りだした。
「兄貴が、耕一兄さんが死んだんだ。半年前、工場の機械に挟まれて圧死した。操作ミスによる事故として警察に処理されたが、違う。兄貴はオヤジに殺された」
すぐには信じられない話だった。しかし、晴二はすでに証拠を揃えていた。
「オヤジが電話で話してるのを聞いたんだ。『あのときと同じように上手くいった。今回も保険金でなんとかしのげる』って。電話の相手はそのときはわからなかった。けど、あのときがいつかって考えたら検討がついた」
陽菜も察した。晴二はあえて電話相手の名を口にだすのを避けるように話した。陽菜に配慮し、その名を聞かせたくないかのように。
「お母さんだったのね。耕一さんの殺害計画を立てたのも。それに美咲さんも」
晴二の母親の美咲が亡くなった直後、なぜか幸子の金回りが良くなった。スナックの経営が上手くいかず、愚痴をこぼしてばかりだったはずなのに。
「俺ん家の工場もあのころから傾きだしてたんだ。ところが母さんが亡くなって、なんとか持ち直して、俺も高校に行けた」
晴二のお母さんが亡くなって、進学できたのは陽菜も同じだ。罪悪感が吐き気とともにこみ上げてくる。
「話はこれで終わりじゃない。工場もスナックも、また経営が芳しくなくなってきてるって、調べたらわかった。アイツら、また金が足りなくなってきてんだよ。ここで降って湧いたような再婚話だろ。なんかあるって考えるのは当然だよな。陽菜、これを聞いてくれ」
晴二はテーブルにボイスレコーダーを置いた。陽菜は晴二とイヤホンを片耳ずつ分け合い、再生ボタンを押す。母幸子と信夫の声が流れた。
「俺たちはこのままだと、アイツらの新婚旅行を兼ねた家族旅行で、水難事故にあったという設定で死ぬことになる。その前にアイツらを説得する。無理なら、やられる前にやる」
握りしめた晴二の両手に、陽菜もまた上から両手を被せ、同意を示した。
お花見の日は曇りがちで、いつ雨が降りだしてもおかしくない空模様だった。藤岡家と保坂家の四人は、ぎこちないながらも、表面上は穏やかにすごした。午後四時を過ぎたあたりから、雨がパラつきはじめ、車で保坂家に移動することになった。駐車場まで相合い傘で移動する幸子と信夫に、陽菜は無性に苛立ちを感じた。
「使うか」
晴二が折りたたみ傘を陽菜に手渡したが、
「まだいいよ」
傘は使わず、カバンにしまった。
「オヤジ、自首してくれないか。証拠は揃えてあるんだ」
保坂家のリビングに上がるなり、まず晴二が仕掛けた。
「おいおい、いきなりなに言ってんだよ」
信夫と幸子が口元だけ笑みを浮かべて応じる。口調に反し、両眼はやけに冷えきり、淀んだ暗い光を宿している。
いけない! 陽菜は即座に説得をあきらめた。
「やーねえ、晴二くん、悪い冗談はやめて」
何気ない様子を崩さず、両腕を晴二の首に巻きつようとした幸子の後頭部に、陽菜はカバンから折りたたみ傘を取り出し、渾身の力を込めて叩きつけた。もんどり打って、壁にぶつかり、倒れる幸子。折りたたみ傘の中には、晴二が工場から拝借した鉄製のスパナを入れていた。
「お前ら、親に向かって何を!」
激昂し、晴二に殴りかかる信夫の行動は、晴二が予測していた範囲内。上着のポケットから取り出した折りたたみナイフをサッと広げ、瞬時に信夫の喉笛に突き立てる。
信夫はよろめき、後退しながら、ナイフを抜こうともがく。
ナイフを引きぬいた信夫の喉から血が凄まじい勢いで噴き上がるが、直前に折りたたみ傘を開いた陽奈が晴二の前に割って入り、血の雨を防ぐ。
初めて、晴二とふたりでさせた相合い傘だった。
そのまま勢いをつけて傘ごと信夫に体当たりする。信夫はソファの背もたれにぶつかり、そのまま逆さになって落ち、床に転がる。ゴキっという音がし、信夫の首が直角に曲がった。やった。言いようのない爽快感が陽菜を包む。
だが、陶然となった一瞬の油断をつかれた。後頭部に強い衝撃。起き上がった幸子が転がったスパナを握りしめて反撃してきた。振りかぶった反動を利用し、スパナが続けざまに晴二に襲いかかる。
なんで、お母さんはいつも邪魔をするの。陽菜の中で、激しい怒りが沸騰する。母は、幸子は、わたしと晴二の間に横たわる深い溝だ。越えられない障壁だ。相合い傘の縦棒だ。消え去ってしまえ。
起き上がった陽菜は、幸子の背後にまわり込み、伸ばしきった折りたたみ傘の持ち手を、死に物狂いで、相手の首に押しつけた。鉄製のパイプがグニャリと曲がり、食い込む。相手の呼吸を遮断する。苦悶の表情を浮かべ、泡を吹く幸子。助けてと哀願するかのように黒眼を陽菜に向ける。やめてあげない。傘の縦棒ごとぶっ潰してあげる。
幸子と信夫の死体を残し、保坂家を出ると、外はすっかり日が落ちて、雨風が強くなり、桜の花びらが闇夜に散っていた。ふたりは棒の折れ曲がった傘から布だけを剥ぎ取ると、頭上に掲げて、夜の街へと駆け出した。
相合い傘に持ち手なんていらない。防ぎきれない雨が、顔に、身体にかかる。運命が意地悪するかのように。雨に散らされた桜の花が、顔に、身体に、はりつく。運命がふたりを祝福するかのように。かまわない。運命がどうあろうと、これからどうなろうと。わたしたちなら乗り越えていける。
◆
逃亡生活は刑事が訪ねてくるまでの半年間続いた。晴二とひとつ屋根下で暮らせた期間は短かかったが、これまでの人生の中でもっとも幸福な経験だった。この間、さまざまな人たちに支えられた。幸子のような人間しか知らなかった陽菜にとって、世間というものを見直す良い機会にもなった。
「重要参考人として話を聞きたいんだが、ついてきてくれないか」
やってきた刑事がふたりを連れていったのは、警察署ではなく小さな教会だった。
驚くふたりに刑事は教えてくれた。
「俺はこの教会の次男坊でな、教会自体は長男が継いだんだが、たまに牧師のまねごとをしてみたくなる。お前ら結婚式を挙げてみたくないか?」
願ってもない話だった。自白を引き出すためのテクニックという感じでもない。刑事からは本心でふたりの身の上を知った上で、提案してくれているのが伝わってきた。恩人だ。この刑事になら、正直に打ち明けられると陽菜は思った。
だが、不安は一切感じない。またすぐに会える。ひとつ同じ屋根の下で暮らすことができる。ふたりを遮る相合い傘の縦棒はもうないのだから。
了
相合い傘の縦棒は 吉冨いちみ @omelette-rice13
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