相合い傘の縦棒は
吉冨いちみ
前編
ハート描いて、三角描いて、真ん中に縦に一本線引いて、左と右に仲良しの男女の名を書けば、相合い傘の出来上がり。
特に相合い傘の縦に引かれた一本線。あの縦棒は陽菜にとって幼馴染である
陽菜と晴二の人生は、相合い傘の縦棒との闘いだった。
◆
「健やかなるときも病めるときも、お互いに愛し、なぐさめ、助け、命のある限り誠実であることを神に誓いますか?」
小さな教会。落ち着いた声音の男性の問いかけが響く。
陽菜は涙を浮かべそうになるのを堪える。隣で晴二がぐっとこぶしを握りしめる気配がする。
ふたりきりの結婚式。誰からも許されるはずのない、運命に厭われたふたりだとさえ思っていた。そんな幼馴染同士のささやかな幸せを祝福する場を用意してくれた恩人に、涙は見せたくない。
陽菜の脳裏に、小学三年二学期の苦い記憶が鮮やかに浮かぶ。
◆
朝、教室に入ると、クラスの子たちが黒板の前に集まって騒いでいた。男子のひとりが陽菜に気づくなり、ニヤニヤしながら人差し指で黒板を見るようにうながした。
今日の日直担当、『ふじおかひな』と『ほさかせいじ』の名前が書かれた箇所に、余計な書き足しがされている。
ふたりの名前の間に、溝を刻むかのように引かれた縦棒。さらにその上には屋根のような三角形と飾りのハート。相合い傘だ。
ありふれた子どもの悪戯から、大人社会の発するいやらしさが滲んでみえて、胸中にくやしさと悲しさが広がった。
一ヶ月前、陽菜の母親と晴二の父親が深い仲になっていると、町の大人たちの間で噂になった。
母親はスナックのママをしている。陽菜が幼いころに夫と離婚。一方、晴二の父親は町工場の社長で、好景気の波に乗って羽振りが良く、妻子持ちでありながら夜遊びの派手さで有名だった。
陽菜の母親との人の道に外れた関係は、話題の乏しい田舎町では格好の噂話の材料だ。
陽菜が涙を浮かべていると、晴二が登校してきた。異変に気づくなり、騒ぐ同級生を押しのけ、無言で相合い傘を消しはじめた。
率先して陽菜に絡んでいた男子が「おい、なんか言えよ」と晴二の肩をつかんだ。
晴二は黒板消しを置くと、すかさずこぶしをぐっと握りしめ、男子の顔面に強烈な一発。
男子は鼻血を盛大に吹き上げながら、仰向けに床に倒れ込んだ。
そこから先生がくるまで、かなりの大騒ぎだった。
嫌な思い出だけれど、その日の帰り際に晴二が一言、「ごめん」と声をかけてくれたことは、陽菜にとっての大切な宝物。感情を誰にも悟られないように、ずっと胸の奥の宝箱にしまい続けてきた。
◆
次に陽菜が思い出すのは、中学二年の秋の出来事。
陽菜は母親とともにお通夜の席にでかけた。亡くなったのは晴二の母親である美咲。ガスによる中毒死だった。
当然、招かれざる客であるふたりは周囲から白い目で見られた。母はどこ吹く風で居座るつもりであったが、場の雰囲気に耐えられなくなった陽菜はひとり先に帰ることにした。
斎場から外に出ると、くるときには降っていなかった雨が降りだしていた。傘は持っていなかった。
濡れて帰るのは嫌だな。
しばらく佇んでいると、コンビニのレジ袋をさげた喪服姿の晴二とすれ違った。
通夜ぶるまいの買い出しにでもでかけていたのだろう。陽子に気づくと、気まずそうに顔をそむけてそそくさと去っていた。やはり彼も父の愛人の娘なんて軽蔑しているのだろう。泣きそうになった。
すると去ったはずの晴二が戻ってきた。先ほどさしていた傘を陽菜に差しだす。
「返さなくていい」
そっけない口調。でも、受け取った際に少しだけ触れた手は暖かかった。
「でも、終わっても、まだ降ってるかも」
「いいよ。そのときは兄貴に入れてもらう」
ぶっきらぼうに背を向け、去っていく晴二を見送る陽菜の脳裏に、ありえない光景がよぎった。
もし、彼とふたり、今すぐ一緒に傘をさし、このまま誰も知らないところに逃げだせたなら。口にだしてはいけない感情だった。
ところが、その願いは高校三年に進級目前の春、思いがけない形でかなうことになる。
桜流しの雨の中、ふたりは相合い傘で生まれ育った街から逃げ出した。
◆
「誓います」
晴二の宣誓に、陽菜は意識を現在へと引き戻された。晴二は覚悟を決めている。ならばわたしも決意を固めよう。
「誓います」
陽菜ははっきりと恩人に向けて宣誓した。
あの夜に起きたことを、すべて嘘偽りなく証言します。
「おふたりは誠実であることを神に誓いました。では、保坂
式の進行役である刑事に、「認めます」とふたりは声を揃えて宣言した。
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