ジバク霊



 喧騒けんそうから隔離かくりされ、鬱蒼うっそうとした森の奥。ひらけた土地に広がる、かつては村だった場所。朽ちた日本家屋、絡む葉、畑の残骸ざんがい。確かにそこに人が生きていたはずなのに、そのことすらも恐ろしく見せる、時の経過の産物さんぶつ

「すごいな」

 見事なすたれっぷりに、ここに来てからまだ五分ほどしか経っていないにも関わらず、俺はかなり満足していた。踏みしめる大地には、跋扈ばっこするこけ粉々こなごなに割れた硝子ガラス紋白蝶モンシロチョウが小さな天使のように舞うだけの、置き去りにされた世界は、白昼はくちゅうの温かな日光に照らされて、くらい情緒を一層あらわにしている。

「どちらさまですか」

「うおっ」

 急に声を掛けられて、俺は思わず飛びのいた。

 声の主は、十三、四歳くらいの少女だった。長い真っ直ぐな黒髪をして、キャミワンピといったか、紐で吊ったような白いワンピースを着ている。流石に同業者ではないだろう。

「びっくりだな。人いたのか」

「ずっとここに住んでますけど」

 少女はつんとして言った。猜疑心さいぎしんを示すように胸の前で組んだ腕は、細く青白い。首元も貧相で、あまり今時の女子中学生らしくないように見える。

「それで。あなたの素性すじょうを訪ねているのですが」

「あ、ああ。俺、廃墟とかが好きだから。撮りに来たんですけど」

「なるほど。失礼なかたですね」

 俺が手にした一眼レフを示してみせると、少女はつややかな長髪を揺らして呆れたように言う。そりゃあ、自分の住んでいるところを廃墟なんて言われて、更に勝手に写真を撮られるなんて、普通嫌だろう。

「いや、だってさ、廃村があるって聞いてたんすよ。住人がいるなんて思ってなかったんだって」

 俺は内心冷や汗をかいていた。──元々こういう趣味は、一応他人の家を眺めるのだから後ろめたさが全く無いわけではないし、まあ、入ってはいけない所に入る、みたいなこともあるにはある。だからこそ、廃村という、屋外に立つだけでノスタルジーに浸れる場所の噂を聞いて心を躍らせていたのに、のこのこやってきた結果がこれだ。ああ、どうしよう。突然何も知らない馬鹿な部外者がやって来て、傍から見ればさぞ滑稽こっけいに違いない。──勝手なことをぐるぐる考えて、しまいには逃げたくなった。

「……あのー、すいませんでした。俺帰るんで」

「お待ちください」

 少女ははっきりとした口調で言った。俺は金縛かなしばりに遭ったように動けなくなる。

「せっかく来たんですから、ゆっくりしていけばいいじゃないですか」

「はあ……」

 なんだその言い方は。そっちが失礼な方とか言うから、大人しく退散しようとしているというのに。

「……実を言うと、あなたに手伝っていただきたいことがあるのです。どうか、話だけでも聞いてはくださいませんか」

「俺は構わないけど……逆に俺でいいんすか、それ」

「いいかよくないかを選べるなら、よくないですよ。私はこの村から出られませんので、来た方を頼るしかないのです。どうか、お願いします」

 失礼なガキだなと思いつつ、強い態度に出られる流れでもないので、俺は黙って頷いた。こういうところが損してるな、自分。

「ありがとうございます。その前に、まずはお話を聞いていただかなければなりません。長くなりますし、何より、その話に関係する場所が村の中にありますから、そこに行きましょう」

 少女の声を左耳で聞きながら辺りを観察していると、建物の陰に見事な草ヒロを見つけた。遠くてよく見えないが、軽トラなのはわかった。周囲の寂れた景色と相まって退廃的な雰囲気を纏いつつも、かつては持ち主がいて生活の役に立ってきたのだろうと思うと、少しの物哀しさとご隠居の老人のような温かみを感じる。

「どうぞついてきてください」

 俺は枯草かれくさを着た錆色さびいろの車体を写真に収めると、既にだいぶ先まで歩いていた少女を慌てて追った。



 植物たちと一体化しかけたトタン屋根の小屋の陰、集落を侵蝕しようとするじっとりとした森の手前。そこには、茶色く濁った池があった。湿った地面に柵も何もなく、水面が堂々と顔を見せている。

 落ちていた長い木の枝を拾って、池の中に突っ込んでみる。水深は思ったより深く、俺は慌てて手を放した。

「うわ……誰もいない時に落ちたらひとたまりもないな、これ」

「ええ、底にはいくつも白骨はっこつ死体が沈んでいるでしょうね」

 少女はにこりともせず言った。不謹慎なのは構わないが、冗談ならそうとわかるようにしてほしい。

「で、話って?」

「せっかちですね。……私の家はこの村では大きくて、ご近所さんも、辿ればほとんど皆親戚のようなものでした」

「正月とか、賑やかなんだろうな」

 少女は俺の言葉を無視して家が並ぶ方を振り返り、坂の上にある平屋を手で指し示した。

「あそこが私の伯父の家です。今はぼろぼろですけど、昔は立派なお屋敷でした。伯父は元々都会に出て社長さんをやっていたんですけど、重い病気に罹って、村に戻ってきたそうです」

「へえ……大変だなあ」

「伯父の息子──つまり私にとっては従弟いとこの、小さな男の子がいました。私はその子のことを、みっくんと呼んでいました」

 ちょっとかわいいじゃん、と俺は思った。

「けれど、みっくんは死にました。この沼に落ちて」

 前言撤回。そんなことを表情ひとつ変えずに話すなんて、かわいくない子供だ。

「……可哀想っすね」

「本当に可哀想。伯父は妻を亡くしたばかりでした。それなのに次は幼い息子が逝ってしまって……伯父も、病状が悪化して、命が危ない状況にまでなりました」

 ──みっくんが可哀想だという意味で言ったんだけどな。しかし、それを聞くと伯父さんもあまりにも可哀想だ。

「そこ、座りましょうか」

 池の側に、横倒しの丸太があった。形は綺麗だが、かなり苔むしている。

「ここの家に住んでた男性が、いつもこうして座って煙草をふかしていました」

「今は?」

「いません。話したこともなくて、いつのまにかいなくなっていました」

 少女は相変わらず淡々と答えた。

「ええと、伯父さんのことを話していたんでしたね──さて……可哀想だからといって、みんながそれを悲しむわけではありません」

「え?」

「配偶者が死んだ。そして息子さえ死ねば……伯父が死んだ時の遺産は父のものでした」

 少女は冷静な口調のまま言ったが、その冷えた目が、突然軽蔑するような眼差しに見えた。

「まさかとは思うけど、みっくんが死んだのは……」

「事故ではありません。殺されたのです」

 殺された──彼女の父親に、ということか。

 自分の父親が幼い従弟を殺した。そのことを知った時、どんな気持ちだっただろう。

「それから、伯父も無事亡くなりました」

 何が無事なんだ。俺は心の中で、伯父さんがせめて天国では妻と息子と幸せにやっていますように、と、ささやかながら祈っておいた。

「しかし、予想外のことがありました」

 少女は依然として、落ち着いた態度を保っていた。

「父は再婚したのです。若くて綺麗な女。あの女は、私を娘だとは思っていなかった」

 なにがどう、予想外なのかわからなかったが、とりあえず続きを聞くことにした。

「どうせ金目当てだったのです。私が中学校を卒業するまではここに住むという約束だったのですが、とっととこんな村出ていきましょうと、あの女は何度も言いました。父がいない間、いえ、いる間も、私は独りでした。田舎のくせに香水の臭いにまみれた部屋で、自分の朝食を作って、無いに等しい父との思い出を精一杯美化して反芻はんすうして、それもやがてつらくなって。私みたいな無愛想な子供は、幼い頃は近所の人に可愛がられたものですけど、中学生にもなれば親戚にすら煙たがられて、学校でもあまり友人はいなくて、ずっと、ずっと……」

 初めて、その声に感情の色が浮かんだ。

 俺はなんと言ったらいいかわからず、ただ、精一杯、憐憫れんびんの情を込めて少女の顔を見つめるしかなかった。彼女は俺の方など気にしてもいないようで、すぐに調子を取り戻し、言葉を続けた。

「そんなわけですから、いつか父が死んだとしても、あの女はうまいことやって遺産を自分のものにしてしまうと思ったのです」

「……ん?」

「私だって、できるならこんな村とっとと出ていきます。それで、都会に出て、毎日遊んで暮らすんです」

「お金があったら」

 俺が勘付いたことを口にすると、彼女は頷いた。

「ええ、お金があったら。ですから、ひとまずあの女を殺すことにしました」

「……いやいや、流石に冗談きついって──」

「女といえど大人ですから、中々手間取りました。子供はすんなりいったのに」

「子供、って」

「さっき話したばかりじゃないですか、みっくんのこと」

 少女は首を傾げた。同意でも求めるように。


 俺は、不思議と冷静だった。彼女が普通の存在ではないことを、なんとなく直感していたからかもしれない。

「で、結局、その女のことはどんなふうに殺したんだよ。手間取ったんでしょ?」

「……これで話はおしまいです」

 少女は立ち上がり、ワンピースの裾を整えた。

「……で、手伝ってほしいことって何?」

 俺はずっと気になっていたことを訊ねた。……まさか、殺人の証拠隠滅なんかじゃないよな。

 俺の杞憂をよそに、彼女はまるではにかむように眼を伏せて微笑した。

「実を言うと、今の話を聞いてもらうことでした。なので、もう用はないです。ありがとうございました」

「なんだよ、それ。そんな話をどうして聞いてほしかったの?」

「懺悔したかった、それだけです」

「その割に、反省の色が見えなかったけど」

 俺がすこし突き放した言い方をしてやると、彼女は、今度は自嘲するように口角を上げた。

「結局、自己顕示欲というやつでしょうか。私が生きたこと、知って欲しかったのかもしれません」

「親父さんは知ってるじゃん。学校のクラスメイトとかも」

「もっと私をフラットに見てくれる人がいいんです。あの人たちは私のことなんてどうでもいいから」

「どうでもいいって究極のフラットじゃんか」

「……今のは私の言葉選びが悪かったです。本当は、ああ可哀想に、それでも生きてて偉いよ、って言ってくれる人がよかった、という話です。それにしても、あなたに期待したのは間違いだったかもしれません」

「おいおい、人を拘束しといてそれはないだろ?」

 それに、こいつに同情しろというのも無理がある。辛い思いをしてきたとはいえ、流石に許される所業ではない。

「一応、大人として言っておくけど。今までの話が本当なら、君は警察に行くべきだよ」

「それができるなら、ですけどね」

 少女は、かつて伯父さんの家だったという、見るも無惨な廃墟に視線を向けた。

「私を裁くのは閻魔えんま様ですよ。そのはずなのに、私はまだここにいる。今までも何度か、この村を訪れた人に全てを話したのに、死んでも囚われてる。抜け出したくてたまらなかった、こんなクソ田舎に」

 ──ああ、なるほどね。

 俺は少女から目を逸らした。そこには、不透明の水面が落ち葉を飲み込んで静かに横たわっている。

 池の反対側の淵に、何かが光った。

 それを近くで見ようとして、その前に先ほどまで少女がいたところに目をやると、そこにはもう、誰もいなかった。

「別れの挨拶くらいしてくれればいいのに」

 俺は独りで、落ちている物に近づく。

 好き勝手のさばる雑草の間にまで散乱したそれを、けれど一部の大きな欠片かけらによってなんなのか判別できた。


 俺は、誰もいない背後に向かって声をかける。

「ねえ君さ、見かけによらずコーラが好きだったりしない?そのことを、親父さんだけは知っていたりしなかった?」

 返事はない。それがわかっていたから、こんな馬鹿げたことを訊けたのかもしれない。

 俺は、散らばる瓶の破片と枯れた花弁に、カメラのレンズを向けた。


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誘魔の湖畔 都姫湖遥 @tu_haru_k

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