幽遠の迷い子



 だいだいに色づいた広い森のあいだで、不自然に硬い色の道路がカーブをえがいている。それがしばらくいくと突然土と砂にまみれて、ちいさな村の大通りに繋がり、それに沿って立ち並ぶ家々の前を通り過ぎて更に奥にいったところで再び広がる森の手前に、あたしたちの家があった。




 あたしたちは丸太まるたのダイニングテーブルに向かい、黙々と作業していた。背後では暖炉がパチパチいって、一生懸命燃えている。

「下手くそねえ、あんた」

 二番目の姉のナタリーは、あたしのくりぬいたかぼちゃの顔をみて笑った。

「垂れ目でにこにこしているみたいじゃない。全然怖くないわ」

「それも可愛らしくていいんじゃないかしら。母さんも喜ぶわよ」

 そう言ったのは姉妹の長女のアメリア姉さんだった。

 あしたは十月三十一日。この世とあの世の境目さかいめがぐちゃぐちゃになって、幽霊たちが迷い込んで来る日。あたしたちは亡くなった母さんの帰りを楽しみに待ちながら、悪い霊が近づかないためのジャック・オー・ランタンを準備していた。

「もしも悪霊が近づいてきたらどうしよう」

「そのための仮装でしょう」

「ミアは魔女の仮装をするのよね」

 あたしは頷いた。大きなとんがり帽子の、真っ黒な魔女の服。

 魔女の格好をして家の裏の森を歩いたら、あたしだけの魔法の小屋が見つかるかもしれない。





「似合ってるわ、ミア」

 アメリア姉さんがあたしにとんがり帽子をかぶせてくれた。

 夕日は沈み、空は静かになっていく。あたしたちは家の前で、最後の準備に取り掛かる。

 ログハウスふうの家の玄関前は木製の階段になっていて、扉の周りにはアメリア姉さんが育てている花たちの棲む植木鉢がある。

「やっぱりミアのだけ間抜けな顔だわ」

 ナタリーはくすくす笑ってあたしのかぼちゃを撫でた。ナタリーのにも文句をつけてやろうと思ったけれど、ナタリーが抱えるジャック・オー・ランタンは見事に整った形の目をして、三本しかない歯をしっかりむき出していた。

「さあ、火を点けましょう」

 アメリア姉さんに言われて、不出来なかぼちゃを渡す。

「あら、なかなかいいじゃない」

 火の揺らめくキャンドルを飲み込んだかぼちゃを中心に、あたりが明るくなる。薄暗い夜の空気をぼうっと照らすかぼちゃ頭は、遠目に見たら結構雰囲気が出ているかもしれない。

「私は夕食の準備をするから、好きなところに置いてきて」

 アメリア姉さんはそう言って、光を漏らす家の中に戻った。

「どこに置こうかしら」

 ナタリーはジャック・オー・ランタンを慎重に抱えて玄関の周りをうろうろしている。

 あたしは階段を降りて、庭先に置くことにした。村の通りに繋がる庭の小道を進もうとすると、左後ろの草むらで、カサリとなにかが動く音がした。

 振り返ると、ふたつの丸が黄色く光った。なにかは、にゃあと鳴いた。手に持ったキャンドル入りのかぼちゃ頭を向けてみると、それは真っ黒な毛をしている。

 黒猫だ。

「あっ、待ってよ」

 猫は小さな足で土を蹴って、家の裏の森の中へ逃げていった。

「黒猫なんて、本物の魔女みたい」

 あたしは迷わず、猫を追いかけた。

 深い森の入口、茂みの間の小径こみち。あたしはいつも、ひとりでここを散歩している。

 だんだんと道は狭くなり、生い茂る草木に阻まれて行き止まりになっていた。いつもならここで引き返すのに、猫はその先まで元気に走り続ける。仕方なく、障害物を掻き分けてあたしも前に進む。

「あれっ」

 走りながら手元を見ると、かぼちゃだったものが、明るいランタンに変わっていた。

 間抜けな顔のあいつより、こっちのほうがいいかも。

 赤と黄色と黄緑色の葉っぱまみれになりながら、あたしはなんとか猫についていった。もう尻尾すら見えないけれど、背の高い草がくらくら揺れていくのが足跡代わりになっていた。途中で帽子が木に引っ掛かって落ちてしまったけれど、振り返りもしなかった。

 どこまでも続くように思えた木々の集まりは、突然、視界から消えた。


 そこには、池があった。


 湿った土がなだらかな段差で円形の窪みを作り、その中に澄んだ水を湛えている。周りを取り囲む木々の、暗がりの中でも色鮮やかな葉は、高いところを屋根のように埋め尽くしていて、池の真上だけはぽっかりと穴が開いて紫の夜空に浮かぶ黄金の月を飾り、そこから伸びる月光は水色の水面に降り注いで、砂糖の粒のような星たちといっしょに世界を優しく照らしていた。

「きれいでしょう」

 振り返ると、女の人が立っていた。

「はじめまして、私はエイダ。驚かせてしまったかしら」

「ううん、平気。あたしはミアよ。ここ、本当にすてきね」

 あたしが言うと、エイダはにっこり笑った。その表情はびっくりするほどきれいで、さらりと揺れる長い髪は、あたしの持ったランタンに照らされて今夜の月みたいな金色に輝いた。

「水面が鏡のように空を映しているでしょう。私これが好きで、晴れた日の夜はここに来るの」

「夜空がもうひとつあるみたい」

「それ、いいわね」

 あたしたちはしばらく池を眺めていた。向こう岸の木の幹たちが遠くの水面にさかさまの黒い姿を映していて、その細長い影に連れられて水底に吸い込まれそうな気分になった。

 少しして、エイダがあたしの肩を柔らかく叩いた。

「もっとすてきな場所をたくさん知っているわ。ついてきて」

 歩き始めたエイダを追って、池の周りをぐるりと通り、あたしは森の中のさらに奥へ足を踏み入れた。




 上を向けば、星空が見える。森は少しの空間を残して、その周りではまた木々で空を覆っていた。

 迷路のような道を形づくる濃い緑の低木にランタンの灯りを向けると、小さい真っ青な実がたくさん生っていた。

「これ、とっても甘いのよ」

 エイダは細い指でひとつを摘まんで、ぷちりと採った。あたしも真似をして、それからそのを口に入れると、歯に当たった小さな実は口の中でソーダみたいにはじけて消え、そのあともずっと舌に蜜を塗ったみたいに甘かった。

「本当、とっても甘い。よく知っているのね、この森に詳しいの?」

「ええ。まだあなたに見せたい場所が山ほどあるのよ」

 無邪気に言うエイダは、月明りに照らされて、自ら光を纏っているみたいだった。まるで、森の精霊さんみたい。

「そういえば、あたし、黒猫を追いかけてきたの。知らない?」

「ごめんなさい、心当たりがないわ。でもそれなら、その猫に感謝しないとね」

 エイダは微笑んだ。

「あなたという可愛いお客さんを連れてきてくれたんだもの」




「エイダは、本を読むの好き?」

「ええ、大好きよ」

「嬉しい、あたしもなの。小さい頃はよく姉さんに読み聞かせてもらったわ」

 そんな話を始めたのは、目の前に広がる光景が、時間が夜であることを除けば、童話に出てきたのとそっくりだったから。

 視界は開け、目下もっかに広がる丘の表面を覆うのは、沢山の花。夜風に舞う花弁たちは、星屑のよう。

「ミアにはお姉さんがいるのね」

「二人いるの」

 あたしとエイダは花畑の中に座りこんだ。

「いいな。私には家族がいない」

 エイダは呟いた。

 あたしはランタンをかざし、地面から生える花々をじっくり見比べて、できるだけきれいで大きいものを選んで摘み取った。

「ここ、昼間は蜜蜂みつばちが来るの」

「じゃあ、邪魔しちゃかわいそうね。夜に来てよかった」

「そうね」

 しばらく沈黙が続いた。

 風に吹かれた花同士がこすれて、サワサワと音を立てた。視界の端で、エイダの金色の髪が揺れる。

「ミア、さっきから何をしているの?」

 あたしは答えなかった。少しして、エイダの方を見る。

「ミア?」

「家族は難しいかもしれないけど、友達にならなれるわ」

 エイダの頭に、たった今完成した花のかんむりを乗せた。

「……ありがとう」

 はにかんで笑うエイダは、童話に出てきた花のお姫様のよう。




 花の咲き乱れる丘をくだっていくと、そこには小川があった。そのしばらく先には、再び森が広がっているのが見える。

 あたしとエイダは靴を脱いで、澄んだ水に足を入れた。

「冷たいわね」

「でも、気持ちいいわ」

 十月の終わりの、今にも凍りそうな冷水が、歩き疲れた足を撫でる。手に持ったランタンの光に照らされて、川底かわぞこの石が緩やかな流れの下で横たわっているのがはっきり見えた。

「そういえば昔、夜の川は危ないって姉さんに言われたわ」

「この川は小さいから大丈夫よ。さあ、こっちに来て」

 言われた通りにしようと歩き始めた時、あたしは、れた小石か何かに足をとられて、つまずいた。

 浅い川に、勢いよく体を打ち付ける。

「ミア──」

 ランタンはあたしの手を離れて、エイダのほうへ飛んで行っていた。硝子がらすの中できらきらと燃える炎が、全てを照らす。

 カシャンと音がして、ランタンが割れた。

 中の炎は、流水の上で力強く燃え上がり、死んだ虫に群がるありみたいに明らかな意思を持って、エイダの方へと向かった。

「エイダ」

 エイダの皮膚は、熱されたところから緑色の煙を伴って崩れた。燃焼に侵された指先から黒いかぎのような爪が現れる。

 火はしつこくエイダに纏わりついて、全てを剥いだ。顔は焦げ、脚はけ、その下から得体の知れない灰色が姿を現した。

「助けて、ミア……熱い……」

 その声は、エイダのものじゃない。

 振り乱す金の髪だけが、燃えずに残っている。

「わたしの……ともだち」

 悲鳴は、誰のものだっただろう。

 あたしは、そこで意識を失った。




 目をけると、視界に夜空が広がる。

 上半身を起こして周囲に目をやると、そこは見慣れた森の入口だった。

「ミア」

 駆け寄ってきたのはナタリーだった。

「どこ行ってたのよ、あんた。火、消えちゃってるじゃない」

 言われて手元を見ると、そこにはあのかぼちゃ頭があった。中を覗くと、キャンドルは燃え尽きていた。

「エイダ……エイダは?」

「なあに?」

「女の人、森の奥で出会ったの。それで……」

 あたしは最後に見たエイダの姿を思い出した。あれは、なんだったんだろう。

「森の奥って……こんな時間に、人がいるわけないじゃない。あたしたちだって行ったことないのに」

 ナタリーの声は少し震えていた。

「ほら、帰るわよ」

 あたしはナタリーの手を取って立ち上がった。

「ああっ、あんた、靴どこにやっちゃったの?」

 足の裏に土と石の感触がする。あたりを見回したけれど、あたしの靴はどこにもなかった。

「そうだ、あそこに置いてきちゃったんだわ」

 あたしの足は、確かにあの川を覚えている。

「……もう遅いし、今日は帰りましょう」

 ナタリーに言われて、あたしは頷いた。

 あたしとナタリーは、手をつないだまま、玄関にたどり着くまで黙って歩いた。

「おかえりなさい、遅かったわね。もう少しで探しに行くところだったわ」

 扉を開けると、アメリア姉さんが迎えてくれた。

「あのね姉さん、ミアったら、女の人にあったっていうの」

 ナタリーは神妙な面持ちで言った。

「女の人?村の人じゃなくて?」

「違うみたい。森の奥であったんだって」

 アメリア姉さんは首をかしげ、

「ふふ、ミアったら、夢でも見ていたのね」

 と笑った。

「さあ、今夜はハロウィンのごちそうよ。かぼちゃのパイを焼いたの」

「本当?早く食べましょう」

 ナタリーもあたしの話なんて忘れたように目を輝かせた。あたしはエイダのことを頭から消したくなかったから、まだ話を続けていたかったけれど、じつを言うとあたしもなにが現実なのかわからなくなっていた。




 子供の頃の話だから、細かいことは覚えていない。今ではほとんどの時間を、エイダのことなんて忘れて暮らしている。

 ただ……本当にあの世とこの世の境目が曖昧になるなら、していたのは、あたしたち、つまり人間だけじゃないのかもしれない。

 そんなことを、今日みたいな夜には、ふと考えるの。




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