天蓋夢想



「あしたは、おかあさまといられる?」

「ええ、きっとそうですよ。さあ、もうおやすみの時間です」

 エレナはたくさんの大人に囲まれて、今日も大きなベッドに連れて行かれるのでした。

 ひとりで眠るには、大きすぎるベッド。

 豪奢ごうしゃな細工が施された天蓋てんがいすらも、いつか自分の上に落ちてくるのではないかと、エレナは怖くてたまりません。

 そんな不安を抑えるように、重たい掛け布団を顎の下まで引き上げて、ぎゅっと握り締め、瞼を閉じるのでした。




 波紋はもん花弁はなびら、水のおと

 きらきら輝く水面みなも

 ──どうして?

 エレナは上半身を起こして辺りを見回しましたが、そこはたしかに見慣れた寝室でした。

 不思議に思いつつ、エレナが再び横になると、やはり先ほどと同じ景色が広がっていました。天蓋に、映っているのです。どこかの池が、まるでそこにあるかのように。

 エレナが夢中で手を伸ばそうとすると、紫色の花弁がどんどん水面に落ちてきて、波紋がいくつも広がり、やがて池は見えなくなりました。代わりに天蓋を埋め尽くした紫の薔薇ばらたちは、繊細な輝きを放つちいさなちいさな金箔を纏っていました。

 金色がどんどん輝きを増して、そうして生まれた光の色が、儚い霧になってあまりにも多い紫色を優しく包みこみました。

 ──きれいだわ。

 そう思ったとき、エレナの身体がふわりと浮かびました。

 そのまま真上に上昇して、エレナは、天蓋の薔薇の中へと吸い込まれてゆきました。



 星が舞う、紫の空。その中を、エレナは落ちてゆきます。

 目下の白い雲が、突然形を変えました。それは馬の姿になり、さらに、白く大きな羽を生やしました。

 雲でできたペガサスは泳ぐようにちゅうを移動し、落下するエレナを背中で受け止めました。

「ありがとう」

 エレナはペガサスのたてがみに顔を寄せ、首にしっかりと抱きつきました。

 ペガサスは羽ばたいて、エレナを乗せたまま星空を駆け巡ります。



 エレナはふと、足元に目をやりました。

 ずっと下のほうに、海が広がっています。

「おうまさん。うみをもっと、ちかくでみたいわ」

 ペガサスは頷いたように見えました。緩やかに高度を下げ、舞うように海面に近づきます。

 海の中には色とりどりの光る珊瑚さんごが生えていて、透き通った水はターコイズ色に輝いていました。

「すてきね」

 ペガサスは、海面をひづめで蹴って水の上を走りました。ささやかな水飛沫みずしぶきは、ちいさな虹に変わりました。

 どこまでも広がる海の上を、長い間駆け回りました。



 冷たい風が吹きました。

 なびくエレナの髪に、雪が舞いました。

 ぴしり、ぴしりと音を立て、海が凍りついていきます。あっという間に、厚い氷の大陸が出来上がりました。紫だった空は灰色の雲に覆われて、珊瑚も光るのをやめ、暗い海の色だけが、うっすらと透けて見えました。

 ペガサスは立ち止まり、エレナも氷の上に降りました。

「さむいわ」

 エレナは身を震わせながら、ペガサスの背を撫でました。

「わたしのおてて、あたたかいってよくいわれるの。おかあさまにも──」

 そこでエレナは、母親のことを思い出しました。昨日も会えなかった、母親のことを。

「……おかあさまにも、いわれたわ。だからわたし、おかあさまのおててをずっとにぎっていてあげたいの。なのに……」

「かわいそうに」

 そういってエレナを抱きしめたのは、エレナよりは歳上の少女でした。彼女は、先ほどまでペガサスがいた場所に立っていました。

「あなたはだあれ?」

 エレナは驚いて尋ねました。

「私はメグ。さあ、見ていて」

 メグは白い両腕を横に伸ばして、手のひらを天に向け、くるりとターンしました。すると、メグの足元からたくさんの花弁が生まれて、それらは竜巻のように舞い上がり、あっという間に辺りを包み込みました。

 視界が色とりどりの花弁に覆われて、エレナは思わず目をぎゅっと瞑りました。ごうごうと音が鳴り続け、しばらくして止みました。

「もう目を開けて大丈夫よ」

 優しい声に従いエレナが目を開けると、そこには、花畑が広がっていました。見渡す限りの赤と黄色とピンク、それにオレンジと白。いつの間にか空は水色に晴れ渡り、陽の光と暖かな空気が満ちていました。

「これ、メグがやったの? すごいわ」

「あなたのために願ったからできたのよ。だからあなたのおかげ」

 メグはにこりと微笑みました。



「このおはな、おかあさまにもあげたいわ」

 そう呟いたエレナの顔を、メグが覗き込みました。

「悲しい顔をしているわ」

「かなしくないわよ。わたしはひとりでもだいじょうぶなの」

 言いながら、エレナの目には涙が浮かんできました。

 メグはエレナの背を撫でました。大きな雫が、ぽたぽたと花の上に落ちました。

「……わたしのおかあさまはね、おびょうきなの。うつってしまうから、いっしょにいてはいけないんですって」

「そう……それは辛いでしょう」

 エレナは涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、メグを見上げました。

「おかあさま、きっとよくなるわよね?」

 エレナの問いに、彼女は首を縦には振りませんでした。

「……きっとこの先、たくさん悲しいことが待っていると思うわ。それは生きていく上で避けられないことなの。だけど──」

 メグはエレナの涙を指で拭い、エレナの肩に手を置きました。その動作はすべて柔らかく、どこか懐かしい匂いがしました。

「だけど、お母さまはあなたのことをずっと愛している。どれだけ遠くにいても……そのことを忘れてはいけないわよ」

「どうしてわかるの?」

「母親というのは、そういうものなのよ」

 メグは呆然と立つエレナの頭を撫でました。その温かさに、エレナは安心して笑い、そのまま目を閉じて花畑の中に倒れ込みました。

「おやすみなさい、エレナ」

 花々が宙に浮き、穏やかな寝息を立てるエレナの体を持ち上げました。再び紫色に染まった空を背景に、遠くにそびえ立つお城があり、エレナを乗せた花の絨毯はそこへ向かってゆっくりと進みました。

 



 その夜、ある国の女王さまが崩御しました。


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