9話 町のうわさ
ヴィドが市場を歩いていると、通行人たちが道を空ける。そのおかげでわたしは人にぶつかる心配をすることなく後に続くことができたが、彼が避けられているようであまりいい気はしなかった。
「俺についているにおいが気になるのでしょう。むしろ、王女様が気にされていないのが不思議なくらいです」
わたしにしか聞こえないくらいの小声で、ヴィドが声をかけてきた。彼は不思議なくらい、わたしが疑問に感じたことに対してすぐに答えをくれる。ここまでストレスなく言葉のやり取りができるのは久しぶりだ。
(波長が合う、っていうことなのかな)
それに、わたしはヴィドのにおいがあまり気にならない。確かに森の中にいたのだと感じさせられる、王宮の人や市井の人とは違うにおいを身にまとってはいるが、決して不快ではない。むしろ彼の大柄だが穏やかな雰囲気に合う、安心するにおいだった。
わたしがそう思っているからだろうか。ヴィドのことを避ける人々をよくよく観察していると、必ずしも嫌そうな顔をしているわけではないことがわかる。むしろ、彼を尊敬のまなざしで見上げる人も少なからずいた。
「あれ、ヴィドさんじゃないのか」
「ヴィドさん?」
「ほら、あれだよ。この前特大のクィルダイトを持つクイールを仕留めたっていう猟師」
「ああ。王室に献上されたんだっけか」
「もったいない気もするけどねぇ。売れば莫大な利益になっただろうに」
「いや、猟師っていうのは売上よりも自分の技を磨くことに熱心な連中だ。クィルダイトの利益なんて気にも留めないんだろうよ」
「職人の鑑だねぇ」
ヴィドがわたしにクィルダイトを献上したことは町中でもうわさになっているらしい。何だかわたしまで誇らしい気分になって、周りの人に見えていないけれど胸を張って歩く。
「でも勿体ない。クィルダイトの値段が最近急騰しているからね」
「確かに。あれだろう、ミドガルド王国でクィルダイトの価格が跳ね上がっているから、商売っ気のある猟師はそっちに持ち込んでいるとか。それでオルセンの市場に出回らなくなったんで、とんでもない金額になっているんだろう」
「ああ。猟師が皆、ヴィドさんみたいに清貧な性格ってわけじゃないんだろうからね」
「商売だから仕方のないことだけど。オルセン王国のために働いているんだから、働いて得た売上はオルセンに落としてほしいところだよ」
ミドガルド。また隣国の名前が出てきた。しかもクィルダイトの価格が高騰しているというのは腑に落ちない。
クィルダイトを婚礼用具に用いる風習がある国は多くはない。やはり、野生獣からとれる宝石ということで忌み嫌う国もあるし、そもそもクイールが生息していない国では流通していないからだ。ミドガルド王国は前者にあたる。宝飾具としての需要がないので、積極的にクイールを狩る文化自体が無かったはずだ。しかし価格が高騰しているということは、何らかの需要が生じたということ。
(そのあたりも、お父様に報告して調べていただいたほうがよさそうだね)
わたしが帰宅後にすべきことを脳内で整理している間に、ヴィドは貸し金庫屋の前までたどり着いた。
「ちょっと待っていてください」
彼はそう言い残して扉を押し開け中に入っていく。無理やりついて行ってもよかったが、ヴィドはすぐに扉を閉めてしまったので開けるためには隠密を一瞬解かなければならない。今わざわざそのリスクを負う必要はないので、彼が金貨を預けるのを外で待つことにした。
金庫屋での用事はあっという間に済んだようだ。わたしが考えを整理する間もなくヴィドが出てきたので、そのまま王宮のほうへ向かって二人で歩く。
王宮に近づくにつれて、露店はまばらになり大きな広場が迫る。このあたりは文字通り、わたしの庭といって差し支えない。地面が芝生になっている広場の一角に足を踏み入れたところで、わたしはヴィドに声をかけた。
「ヴィド、そのあたりで止まって」
「いいのですか、声を発せられて」
そういいながら彼は立ち止まり振り返る。わたしは自動で解かれた隠密の術の代わりに、広場に張り巡らされた結界のひとつを作動させる。それはちょうどわたしとヴィドの周囲を囲むように作動した。
「この庭にはね、王族にしか使えない結界がたくさん仕込んであるの。結界を使えばだれかと一緒にいても、相手ごと姿を隠すことができる。もちろん声もね。ここまで敵が攻めてくることはなかなかないとは思うけど、せめてもの目くらましね」
「広場にそんな仕掛けが……傍目には大きな変化は感じ取れませんが。しいて言うなら無風状態になったので、別の空間に切り取られた感覚があるくらいでしょうか」
「さすが猟師。鋭いね」
ヴィドのいうとおり、結界とはいうがわたしたち二人がいる空間が周囲から見えないようになっているだけなので、内側にいる人間からすると何か変化があったとは気づかない。術を発動させたわたしはもちろんわかっているけれど、別の空間にいる感覚を持てるのはなかなかに珍しい。
「今日は、ここまでありがとう。知らなかった猟師のお仕事についていろいろ勉強になったし、何よりヴィドの狩りが見られてよかった」
「本来、王女様にお見せするようなものでもないのですが。大したおもてなしもできず、かつケガレの場にお連れしてしまい恐縮です」
頭を下げるヴィドに対し、わたしはぶんぶんと右手を振る。
「気にしなくていいって。さっきも言ったけど、わたしが望んでしたことなんだから。それに、またクイールを狩るところを見たいと思った。ヴィド、また会いに行ってもいい?」
最後の言葉を口にするのは、少しだけためらわれた。王女という立場上、面会を頼んで断られたことはほぼない。しかし、今回の用件は王女としてというより、ひとりの人間としての頼みだ。わたしの存在は狩りの邪魔になるだろうし、彼は「ケガレの場」にわたしを連れて行くことに抵抗があるようだ。このお願いを飲んでくれるかは半々といったところだろう。案の定、ヴィドはわずかに渋面をつくった。
「あまり、おすすめはできません。先ほど市場でうわさ話を聞いたでしょう。ミドガルド王国の動きが怪しい。もし、俺が狩猟中にミドガルドの兵に遭遇した場合、危険な目に遭うのは貴方です。一介の猟師が、王女様を危険な目に遭わせるわけにはいきません」
「それは、わたしからも言える話だよ」
わたしの答えに疑問を抱いている雰囲気のヴィドに対し、言葉を続ける。
「オルセン王国の国民を守るのがわたしたち王族の仕事。もしヴィドがミドガルド王国の兵に何かされることがあったら、わたしが守る。だから、何かあったらすぐに教えて」
「わかりました」
頷いたヴィドは、わずかに目を細めてわたしを真っすぐ見据える。澄んだ灰色の瞳に、どきりとした。
「王女様に直接そう言っていただけると、頼もしいです。俺も誠心誠意、職務を全うするつもりです」
「うん」
真っすぐな言葉にうまく言葉が返せなくて、わたしは頷くことしかできなかった。ヴィドはすっと頭を下げる。
「では、俺はこの辺りで。あまり時間が遅くなると森は危険ですから。王女様も、早めにお帰りになったほうがよいのではないでしょうか」
「……そうだね。わかった」
本当はもう少し、ヴィドと一緒にいたかったけれど彼の帰り道の危険を持ち出されたら、引き留めるわけにはいかない。わたしはなるべく上品に見えるように口角を上げて、手をあげる。
「またね、ヴィド」
「本日はありがとうございました、王女様」
再度頭を下げる彼の前で、わたしは結界を解くと同時に隠密の術を再度発動させる。顔をあげたヴィドも結界が解かれたことは感じたのだろう。
「失礼します」
わたしがいるであろう方向に声をかけ、彼は足早に去っていった。その背中が雑踏の中に消えるまで見送ってから、わたしは目をつむる。
(「浄化魔法」)
全身が洗いたての状態になったのを確かめて――これならハンナに見咎められることもないだろう――、王宮のほうへと足を向けた。
(ヴィド、結局わたしの名前を呼んでくれなかったな)
猟師という荒っぽいイメージのある職業に反して、ヴィドの言動は丁寧で上品ですらあった。かたくなに王女様と呼んでいた彼の態度を、どうしたらもっと砕けさせることができるのだろう。次に会いに行くときはそれが課題になるなと思いつつ、アンリが待つ自室へと戻るのだった。
獣の宝石 水涸 木犀 @yuno_05
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