8話 市場
脳内で迷いなく弓を引くヴィドの姿を何度も思い返しているうちに、だんだんとにぎやかな声が聞こえてくる。市場に近づいてきたのだ。ヴィドは歩みを緩めることなく、一軒の木造の建物へと入っていった。店の軒先にかかっている布を揺らして存在がばれないように気をつけながら、わたしも後に続く。奥に座っていた店主らしき男は顔をあげるなり、にっと笑みを浮かべる。あごにたっぷりとひげを蓄えた、明るそうな雰囲気の人だ。
「よう、ヴィド。今日も獲物が獲れたのか?」
「ああ。雄のクイールだ。成獣だから、角と革と、それからいつもの通り骨と肉をまとめて買い取ってほしい」
「了解だ。まとめて並べてもらえるかい。あ、角と革はこっちな」
男性が座っていたカウンターは、よく見るとL字型になっていた。Lの折れ曲がった部分は一段下がっていて、つるつるしているので肉をさばいたり検分したりするのに使うのだろう。ヴィドは手にしていた袋から、綺麗に切り分けられた骨と肉、それに内臓を取り出し並べていく。もう一つの袋は袋ごと男性に手渡した。中をのぞいた男性は感嘆の声をあげる。
「こりゃまた、大物を仕留めたな。角だけで相当な売り上げになるぞ。前みたいに王室に献上したらどうだ?」
「クィルダイトはともかく、クイールの角は庶民向けだろう。王室で必要なら前もって話が来るはずだ。全部買い取ってほしい」
「ふうん。まあ、これが全部うちの売り上げになるってんだから、悪い気はしないけどな」
店主と思しき男性は豪快に笑うと、角と革を丁寧に取り出して――彼の外見からは想像もつかないほど、丁寧な手つきだった――高さがあるほうのカウンターに並べる。その間に、ヴィドも陳列が終わったようだった。男性は肉のほうも検分している。奥から持ってきた秤に乗せて、重さを調べているようだ。
「いいね。脂ののった中堅どころのクイールの肉だ。高級料亭にすぐに売れるだろう。脂つきは干し肉には向かないしな」
「若いクイールは可食部が少ない。食用にするならこれくらいの年季が入った奴のほうがいい」
「だな」
店主は紙にいろいろと書きつけて、ヴィドに示す。
「トータルの売り上げはこんなところだと思うが、問題ないか?」
「ああ」
「なら、ちょっと待っててくれ。これだけの大金、店の前に置いてはいないからな」
右手を上げた店主が奥に引っ込む。わたしの位置からだと値段は見えなかったが、大金というからにはそれなりに値が張るに違いない。
「俺があの小屋で、質素に生活するだけならば一か月は過ごせるだけの収入になります」
わたしの疑問を察してくれたのか、ヴィドが小声で口にした。なるほどと納得しつつ、それで大金というのはだいぶつつましい話だとも思う。わたしの家ほどでなくても、もう少しきっちりとした家に住んで、ごはんもしっかり食べて一か月というならわかるが、労力に見合った収入というには少ないような気がした。
「月に二頭ほど、先ほどと同じ大きさのクイールがとれれば多少蓄えができます。しかし大型のクイールは狩猟制限もありますし、獲物に遭遇できるか否かは運の要素も絡むので毎月安定した稼ぎが得られるわけではありません。ケガレに触れることと併せて、あまり人々がなりたがる職業ではないのです」
「ヴィド、誰かと喋っているのか?」
「独り言です」
店主が戻ってきたタイミングで、ヴィドは口を閉ざす。店主は気にしたそぶりを見せずに角と革をよけたテーブルの上に、重そうな袋をどんと置いた。
「ほい。これが今回のクイールの買い取り代金だ。一応、中を改めてくれ」
「わかりました」
ヴィドは袋から金貨を取り出し――拡張魔術が仕込まれていたのだろう、金貨の量は袋の容積よりもかなり多い――枚数を数える。納得したのか、すぐに袋の中に戻した。
「大丈夫です」
「おう。じゃあ金貨はちゃんと、金庫に預けときなよ。お前さんの掘っ立て小屋に置いてたんじゃ、あっという間に盗まれちまうからな」
わたしはヴィドの小屋を思い出して、店主の言葉にこっそりと同意した。あんな粗末な木造の小屋、壊して入るのは簡単だろう。しかも立地は森の中。人の目などないし、ヴィドが留守中であれば誰にも気づかれない。しかしヴィドは返事をしない。慎重に回り込んで彼の表情を覗き込むと、わずかに渋面を作っているのが見えた。
「まあ、獣のにおいがしみついている猟師を貸し金庫の利用者が歓迎しないってのはわかるがな。貸し金庫業者からすればお前さんはお得意様だろう。それなりの大金を稼ぐのにろくに引出しもしないんだから。金庫屋のカネを回すのに協力していると思えば、そう罪悪感も湧かないだろうよ」
「金が入用になったとき、市場まで降りてこなければならないのは面倒だ」
今度は店主が眉をひそめる。
「そう思うんなら、お前さんもうちょっと市場というか町の近くに家を構え直したほうがいいんじゃないか。ヴィドの手持ちなら、郊外にちょっとした一軒家くらい建てられるだろう」
「その必要は感じない。俺の職場は森の中だ。森に居を構えたほうが効率がいい。それに、俺の身体に染み付く獣のにおいを町民は嫌がる。猟師は職種にふさわしい場所に住まうべきだ」
「そうはいうがな……」
店主は手を口元に添えて、内緒話をする雰囲気になった。聞き漏らすまいと、わたしは再度二人のそばに寄る。
「ここだけの話だが、ミドガルド王国の動きが怪しい。国境の森に侵入してきているとか、兵力を増強しているとか、きな臭いうわさをよく聞く」
「ミドガルドが兵力を増強しているのはいつものことだろう」
ヴィドは表情を変えずに答えた。わたしも心の中で頷く。隣国、ミドガルド王国は強大な軍事力を誇る。他国をいつでも攻められるよう、また外交でも優位な地位を引き出せるようにその刃を常に研いでいるというのは有名な話だ。
「いや、でも国境の森に入ってくることは今まであまりなかっただろう。風のうわさにすぎないが、国境地帯で狩りをしていた猟師がミドガルドの兵士に囲まれて尋問されたなんて話も聞く」
「猟師を? なぜ」
今度はヴィドも顔をしかめた。店主は首を横に振る。
「詳しいことはおれも知らん。だが、森の地形を知り尽くす猟師を尋問するなんてのは、オルセン王国にとっていい兆候ではないだろうよ。お前さんの狩場も国境に近いんだろう? ミドガルドの奴らに捕まらないよう、気を配ったほうがいいぞ」
「わかった。忠告感謝する」
金貨の袋を持って店を出ようとするヴィドの背中に、店主が声をかける。
「そういうわけだから、身の回りの大事なものは金庫に預けたほうがいいぞ!」
「わかった」
ヴィドは右手をあげて店を出ていく。わたしは店主に先ほどの話を詳しく問いただしたい気持ちを抑えながら、その後をついていった。
ミドガルドの兵士が、猟師を捕まえて尋問している。
店主は風のうわさに過ぎないと言っていたけれど、わざわざヴィドに忠告してきたということは、それなりに確度の高い情報だということだろう。本当ならば国境侵犯だし、オルセン王国として厳重に抗議しなければならない案件だ。帰ったらお父様に報告しなければならない。
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