五つ目 幽霊は血で染まる

「お願いします、助けてください……!」

 雑然と物が積み上げられた事務所に響く声。深々と頭を下げているのは大学生らしき二人の男女。頭を下げられているのは、黄緑色の派手なスーツを身に纏い、サングラスをかけた胡散臭い男だ。

 胡散臭い男は大学生たちを困ったように見下ろした後、ごほんと咳払いをした。

「山崎洋二さんと城島沙也加さん、でしたっけ? どうか頭を上げてください」

「俺たちにはもうあなたを頼るしかないんです! お願いします、強院汚泥つよいんおどろ先生!」

「お願いします……!」

 頑なに頭を上げようとしない二人に、汚泥は密かに面倒そうな顔になった。

 強院汚泥はインチキ霊能者である。派手なパフォーマンスと意味深な言動で「除霊」を行い、多額の報酬をせしめるいわゆる詐欺師というやつだ。

 この世に数多いる霊能詐欺師の中で汚泥が一線を画している部分があるとすれば――彼は本当に霊能力を有しているというところだろう。

 とはいえ、彼の霊能力は除霊を行えるほど強力なものではない。一般的な「視える人」程度のものだ。彼が今日まで生き抜くことができたのは、本当に手を出したらヤバい相手を見抜く手腕に長けていたからでしかない。

 そんな彼は今、目の前で頭を下げる山崎と城島に困り果てていた。

「まずは話を整理させてください。お二人は同じ大学に通っていて、ヤバい場所で悪戯をして呪いを受けた、という話でしたね?」

「はい……。俺たち、有名な心霊スポットに肝試しに行ったんです」

 深い後悔をにじませながら洋二は話し始める。汚泥はサングラスをずらして、視界の端でちらりと彼らを視た。その首元には禍々しいオーラを纏った縄が緩く絡まっている。そして縄の先――全身を縄で縛られて服を血で染めた男が恨めしそうな目で彼らを見下ろしているところまで確認すると、汚泥はさりげない仕草でサングラスをかけなおした。

 勘弁して欲しい。これは、気のせいや集団ヒステリーじゃない「本物」じゃないか。

「俺たちは、俺と沙也加ともう一人――重村雄大っていう同級生と一緒に、心霊スポットとして有名な鳥飛神社って場所に行ったんです」

 静かに語り出した洋二に、汚泥は視線を戻して、無難に相づちを打った。

「ほう、鳥飛神社。確か……生贄の伝承がある山中の神社でしたか」

「はい……」

 鳥飛神社といえば、オカルト関係者の中では有名な「本物」の心霊スポットだ。なんでも遠い昔、神社の裏手にある深い穴に、生贄を鳥に見立てて突き落としていただとか、そういう伝承が残っている。

 そして、彼らのような若者が軽率に足を踏み入れ、お化けが出ただの呪われただのと大騒ぎをすることでも知られており、近隣のオカルト関係者にとっては頭痛の種である場所だった。

 洋二は不安げに視線を彷徨かせた後、声をひそめて切り出した。

「あの日、俺たちはレンタカーを借りてN県に向かったんです――」



 俺たちが鳥飛神社に行くことになったのは、酒の勢いというやつだった。俺たち三人はS大学の同じサークルに所属していて、その日もサークル全体の飲み会をやっていた。

 沙也加と雄大は付き合っていたが、俺たち三人はそんなことは気にならないほどめちゃくちゃ気の合う仲良しグループだったと思う。だから、飲み会の席で雄大が言い出したことにもその場のノリで賛成しちまったんだ。

「N県のさあ、鳥飛神社って知ってる? 結構ここから近いしこの後、肝試し行こうぜ!」

「えー?」

「いいんじゃね? 行こう行こう!」

 俺たちはその足でレンタカーを借りると、鳥飛神社に向かった。

 ネットで調べたところ、神社があるのは山道の途中から徒歩でしばらく歩いたところみたいだった。

「仕方ない。車はここに停めておくかあ」

 俺たちは車から降りると、GPSを頼りに山の中に入っていった。

 そのまま30分も歩いたころだったか。俺たちは鳥飛神社にたどり着いたんだ。

 鳥飛神社は予想以上にでかい神社みたいだった。だけど、放置されてから長い時間が経っているみたいで、境内は荒れ放題だ。

 大きな鳥居を潜って、すぐ近くにあった立て看板を俺たちは読んだ。

「ふーん、神社の裏手にある大穴に、神男を捧げる神事が行われていました、か……」

 マイルドな言い方をされているが、要するに大穴に生贄を突き落としていたってことなのはすぐに分かった。

 俺は正直それを見てビビっちまっていたが、雄大は逆に好奇心に火がついたみたいだった。

「どうせだから行ってみようぜ! その生贄の大穴にさ!」

 俺たちは止めたが、雄大は止まらなかった。何かに取り憑かれたみたいにずんずん歩いていって、神社の裏手に足を踏み入れたその時――雄大の姿はふっと消えちまったんだ。



 洋二はそこで言葉を切ると、チラチラと隣の沙也加をうかがった。視線を向けられた彼女は気まずそうに体を揺らしては、何かに怯えているように視線を忙しなく動かした。

「……それで、その方はそれっきり、と」

「はい……。しばらく探したんですが、どこにもいなくて……」

 不自然なほど震えた声で洋二は言う。汚泥は少し考え――彼らの論理の矛盾を指摘した。

「単純に大穴に落ちたということではないのですか? であれば警察に相談すべきでは?」

「警察は駄目です!」

 叫ぶように問いかけを遮ったのはそれまで黙りこくっていた沙也加だった。

「穴に落ちたわけじゃないのはライトで照らしてちゃんと確認したんです!」

「そ、そうです! 雄大は神隠しに遭ったんですよ!」

 言い訳をするように捲し立てる二人に、汚泥はかちゃりとサングラスを押し上げた。

「ふむ……ではその方針でいきましょう」

 汚泥の言葉に、二人は露骨に安堵の表情を浮かべる。それに思うところはあったが、汚泥はそれをお首にも出さずに話を進めた。

「それで、こちらに来られたということは何か霊障でも起こったのですか?」

「はい……。4階のはずなのに外側から窓が叩かれたり、誰もいないはずの部屋から話し声が聞こえたり、ずっと頭痛がして、悲鳴が耳の奥で響いていて……」

 霊障といえば霊障だが、気のせいと解釈されてもおかしくはない内容だ。だが、ここまで参ってしまっているのを思うに、きっとその頻度はかなり多いのだろう。

 どうしたものか、と汚泥は考える。

 ちらりと見た限り、あれはかなり強い力を持った怨霊だ。今は自覚していないだろうが、下手にちょっかいをかければこちらに矛先が向く。

 これに対処できる「本物」の霊能者を紹介することもできるが……。

 その時、事務所のインターホンがピンポーンと鳴らされ、続いて明るい声がドアの向こうから聞こえてきた。

「こんにちはー! 「なんでもきらきらクリーニング店」でーす!」

 ある意味ではタイミングのいい人物の来訪に、汚泥は一瞬渋い顔になった後、営業スマイルを二人に向けた。

「ああ、失礼。ただの清掃業者さんですよ。ご覧の通り、整理整頓が苦手なもので」

「は、はあ」

 シリアスな空気をぶち壊されてしまい、二人は困惑している。汚泥はもう一度サングラスをずらして二人の背後の幽霊を見た。幽霊は胸元を血で染めて恨めしそうに彼らを見つめている。

 汚泥は小さくため息をつくと、彼らに頭を下げた。

「申し訳ありません。このご依頼、お受けできません」

「えっ」

 二人は一瞬きょとんとし、それからその顔に徐々に絶望が広がっていく。だが、汚泥はそれを拭い去るようににっこりとした作り笑顔を浮かべた。

「あなたがたは呪われていませんよ! ただの気のせいです! きっと、常識はずれの現象に遭ったせいで精神が参ってしまったんですね! お友達もきっと、ただの遭難ということで話は終わると思いますよ!」

 力強く宣言する汚泥に、二人の表情に希望が広がっていく。それまで纏っていた不安が払拭され、生気の灯った目で互いに顔を見合わせた。

「そうですか……そうですよね……!」

「よかったあ……!」

 笑顔で言い合う二人をよそに、汚泥はサングラスをずらして、彼らの背後にいる男性に向かって意味深に微笑む。男性は怒りの表情を浮かべかけていたが、汚泥の視線に気づいて困惑したようだった。

 汚泥は素早く立ち上がり、流れるような仕草で彼らに帰るように促した。

「さあ、入り口までお送りしますよ。気をつけてお帰りください」

「はい、聞いてくださってありがとうございました。気が楽になりました!」

「ありがとうございました!」

 晴れやかな笑顔で頭を下げる二人。汚泥はにこにこと営業スマイルを浮かべたまま彼らに対応する。

「いえいえ、私は何もしていませんしお代は結構ですよ。それに、もしそれほど強い怨霊なら――」

 汚泥はちらりと彼らの後ろの怨霊を見た。そして、怨霊に聞かせるようにわざとらしく言う。

「一思いに呪い殺すか互いに殺し合わせるように仕向けるのが、邪魔が入らなくて手っ取り早いですしね!」

 怨霊は目を見開くと、邪悪な笑みを浮かべた。汚泥はそれに見て見ぬふりをして、入り口のドアを押し開けた。そこにいたのは長身の金髪の男――【治験】だ。

「あっ、お客さんだったんだ。ごめんごめん失礼しました?」

「こちらこそお待たせしてすみません。……ではお二人とも、くれぐれもお気をつけて」

 そのまま二人が雑居ビルの階段を降りていくのを見送り、足音が聞こえなくなってから、汚泥は【治験】を事務所に招き入れた。

「……【治験】さん、まずは除菌をお願いできますか?」

「ん。まっかせといてー」

 【治験】によって、汚泥は全身に除菌消臭剤を吹きかけられる。そのまま彼らが座っていたところや歩いた床までしっかりと念入りに除菌をした後、ようやく【治験】は汚泥に向き直った。

「しつこい汚れだったねー。あの依頼受けるの?」

「まさか。ただの気のせいだと言って丁重にお帰り願いましたよ」

 飄々と言う汚泥に、【治験】は怪訝な目を向ける。

「でもあの子達ホントに憑かれてたじゃん。いいの? 他のとこ紹介したげなくて」

 善良寄りの霊能者である彼からの真っ当な意見に、汚泥は苦笑しながら客人たちに出していた緑茶を片付ける。

「そもそもがおかしな話だったんですよ」

 彼らが主張していた経緯いきさつを汚泥は思い返す。どこをどう考えても矛盾と穴だらけの主張だ。

「あの二人、飲み会の流れで心霊スポットに肝試しに行き、同行者が行方不明になったと言っていました。わかりますか? 飲み会の帰りに、レンタカーを借りて、です」

「……ん? どゆこと?」

 咄嗟にピンと来ていない【治験】に、汚泥は常識で答えた。

「飲み会帰りの泥酔した状態でレンタカーが借りられるわけありませんよ。今は無人の貸し出し店舗もありますが、ああいうのは突発的な貸し出しは基本できないんです。それから山道から神社まで30分というのも妙ですね。あそこの所要時間は10分程度ですから。つまり、彼らの話には少なくとも嘘が混じっている」

 不自然な点を指折り数え、並び立てていく。【治験】は興味を惹かれた様子で汚泥の話に聞き入っていた。

「本当に困っているのに無意味な嘘をつく必要はありません。となると、そこには彼らにとって不都合な真実が隠されていることになる」

「嘘? どこが嘘だってんの?」

 無邪気な色を瞳に宿しながら【治験】は尋ねてくる。汚泥は意味深な表情でたっぷりと焦らした後に、ひょいっと肩をすくめてみせた。

「さあ? どこなんでしょうね?」

 飄々と嘯く汚泥に、【治験】は目をぱちくりとさせる。

「そこについて僕は追及しません。飲み会をしていたのが嘘だったのか、レンタカーを借りたのが嘘だったのか、はたまた被害者との関係が嘘だったのか」

「……ん? 被害者?」

 気になる一言を発した汚泥に、【治験】は首をひねる。汚泥は意外そうな顔をした。

「あれ、気付いてませんでしたか。後ろにいたあの方――死因は刺殺ですよ。こう、胸をグサッと刺されたんでしょうね」

 言われてみれば、と【治験】は先程すれ違った怨霊を思い返す。胸元を中心にべっとりと服についた血。全身には拘束されているように縄が絡まっており、その視線は憎しみを込めて二人を見つめていた。

「あー、なーるほど。心霊スポットを訪れたのは肝試しのためじゃなくて――自分たちが殺した死体を処理するためだった、と」

「そして死体遺棄が行われた場所が偶然本物の心霊スポットで、彼の怨念を増幅させて今に至るといったところでしょう」

 あっけらかんと汚泥はそう言い、客人に出していたお茶を流しにぶちまける。そのまま大きめの容器に水を溜めると、湯呑みをそこに沈めて漬け置き洗いを始めた。

「私は自業自得には手を出さないのがモットーですから。罪には罰を。当たり前でしょう?」

 にこり、といっそ爽やかですらある笑みを汚泥は浮かべる。【治験】は釈然としない表情になった。察するに、「詐欺師が何を言っているのか」とでも思っているのだろう。汚泥はそれに気づいていることをお首にも出さず、パチンと手を叩いた。

「ま、そんなこといいじゃないですか! 今回も部屋のお掃除よろしくお願いします!」

 気を取り直して、汚泥は雑然とした室内を指し示す。綺麗好きなところがある【治験】は目に見えてうんざりとした顔を浮かべた後、モップを片手に芝居がかって一礼した。

「はぁい、いつもご利用ありがとうございまーす」

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心霊下請け業者の憂鬱 - 寺生まれの【治験】さんと闇バイトの【担当】さん 黄鱗きいろ @cradleofdragon

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