腰が砕け散る覚悟で登校した女の子の話

とてぬ

 ピキピキピキ


 卵が割れるような音がした。


「……あ……」


 ちいさな声が漏れた。

 白亜紀。森。

 新たな生命誕生の瞬間――ではない。

 令和。玄関。

 私の腰が逝った瞬間だった。


 い、いてえ。やべえ。声が出ねえ。

 腰を手でさすると幾分か痛みがやわらいだような気がしなくもない。いや痛い。


「どうしたのゆず?」


 背後からママに声をかけられた。

 前屈中の姿勢の私をみて、心配になったのだろう。

 後ろを向くことすら、まともにできないので「100円みっけ!」とかいって適当にごまかせないだろうか。

 どうせバレるか。

 こういうときは正直に言おう。


「腰やったかも。バック重すぎて」

「えー、大丈夫? まだあんた高校生なのにねぇ」


 そうなのだ。今年入学したてのJKだぞ、私は。

 何故に腰を痛めにゃならん。

 よりにもよって定期テスト当日の朝じゃないか。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 隣の住人に聞こえたら恥ずかしいので、小さめの声量でストレス発散。

 叫んでいる間にママが弁当を手渡してきた。


「テスト頑張ってね!」と付け加えて。


 鬼かあんた。

 今日は学校休むつもりないけど。

 せめて、もう少し慈悲を見せてくれ。

 

「私の腰的状況みたら、ちょっとは学校行けなさそうだと思うじゃん?」

「なんか思ったより元気そうだし」

「いやいや今のは遠吠え治療法てきなあれだってば……」

「その治療法けっこう効くの?」


 訊いてきたママの眼差しは真剣そのものだ。


「冗談だよ」なんて返したころには、すでに大きく空気を吸い込むママ。

 刹那――。


「わおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!」

 

 それは野生の狼が吠えたかのような、低く、太く、重い音。

 つまり、絶対に集合住宅でだしていい声量じゃなかった。

 大家さんに後で怒られろ。

 いきなり叫びだした40代主婦にドン引きしつつ、足早に学校へと向かった。

 



「やっぱ、ゆずのお母さんって面白いね」


 朝のホームルーム後。友達のさつきと談笑していた。


「当事者じゃないから面白いんだよ。今日だって腰を痛めながらもどうにか私は学校に来たわけで」

「んー、それはテストしかチャンス残ってないからだよね?」

「ぬ」


 まあ、その理由もあるな。今日のテストまで欠席すると流石に留年しかねない。

 私は少し曲がった姿勢をまっすぐに正して言った。


「授業サボりすぎたせい、かも?」

「かもじゃなくて、絶対それが原因でしょ。なんで誇らしげに胸張って宣言してるのかなあ」


 その後も他愛のない話を繰り返してる中で。

 さつきは私のスクールバックを一瞥してから、「まさか……」と何か悟ったように呟いて、わずかに表情を曇らせた。

 バックが無駄にゴツゴツしてるから、あれに気づいたのだろう。

 私はとりあえず乾いた唇を震わせて口笛のようなものを吹いた。


「そんなあからさまな反応にはいちいち突っ込まないからね。そりゃあ、腰やったわけだ。そんな重いものもったら」

「んまあ、そういう日だし」

「どういう日よ。あんたって子は」

「ママごめん。サプライズがいいと思って」

「おそろしいサプライズだなぁ。……いい加減、仲直りしたらコーチと。それを使うのはよくないよ」


 さつきの予想外の言葉に頭がちょっと混乱しかけたが。

 きっと整体部で私とコーチが喧嘩したのを思い出し、スクールバックから浮き出る鈍器のようなもので私が傷害事件を起こすと想像してしまったのかもしれない。

 

「考えが飛躍しすぎださつき。流石の私もコーチと喧嘩したからって学校に鈍器は持ち込まんぞ」

「え……ほんとに? 信じるよゆず」


 そんなに疑われてたのか、と少し傷つきながら、コーチとは仲直りできたから大丈夫だと付け加えた。


「なんだ、よかった! じゃあ、バックに入ってるやつ何?」


 少し間をおいて。

 なんでもないような声のトーンを意識して。

 私は口を開いた。


「接客されたいから、さつきに。さつきの整体受けてみたい」


 口から出た言葉は質問に対する回答ではなく、恥ずかしさを紛らわすための言い訳のようなものだった。


「そうなの? 言ってくれればいつでもやるよ」


 そのさつきの一言に後押しされて、スクールバックからを取り出した。

 こういうのは初めてだから緊張するけど。

 私は両手で、さつきに手渡した。

 

「これって……わたしが欲しかったクイックマッサージチェア!?」


 飛んできたのは歓喜の色で帯びた声。

 驚きで見開かれた双眸。

 その反応の一つひとつが鮮明に映った。

 

「さつき、誕生日おめでとう! これは学校サボり気味の私といつも仲良くしてくれるお礼」

「えええええええええええええええ、ゆずありがとう!! 一生大事にする! わざと腰を痛めてテストさぼろうとしたんじゃないかって疑ってごめんなさい!」


 あ、そっちの疑いもあったのか。


「そんなに驚くとは思わんかった」

「だって嬉しいもん! もちろんプレゼントも嬉しいけど……何よりゆずの気持ちがとっても嬉しい!」


 私は内心にやつきながら、平生の表情を保ちつつ、隠しきれない浮ついた声で呟いた。


「あとで私の腰、治療してね」


「ふふ」

「なに?」

「なんでもなーい」

「なんだよ」 


「おっけー! テスト頑張ったあとは、ゆずの整体部復帰記念にマッサージしたげる!」


 さつきの太陽みたいな満面の笑みのおかげで、腰を痛めてまで学校に来たかいがあったなと思えた。



 放課後、テストで消沈したさつきに私はマッサージしてあげるのだった。


 








 

 




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