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 森の奥には魔女が住んでいると少女は聞かされて育ったし、ある程度の年齢までそれが本当だと疑っていなかった。その真偽について考えることをしてなかったと言った方がより正確だ。子細に検討することをはじめればすぐにそれが真実でないと気づいたはずだった。

 その検討をはじめておこなったのが10をいくつか過ぎたころで特別なきっかけがあったわけではない。森の浅いところをふらふらと歩いていて、そうだ魔女なんているはずがないんだということに思い当たった。

 思い当たったからどうということもなくて、ただ思い当たっただけだった。魔女がいないことに気づいて彼女の世界はたいして変化しなかった。なんらかの気づきが大きな変化をもたらすこともあれば、さほど何も変わらないこともある。どちらかと言えば後者の方が多いぐらいだろう。

 遠い遠い昔に魔女はいなくなってしまって、もう彼女たちはどこにも残っていないのだ。


   ◆


 魔女の使う魔法とは技術である。その技術は魔女の間で秘匿されている。そのため魔女は必ず師についてそれを学ばなければならない。

 ずっとずっと昔、技術がまだ十分に成熟していなかった時代には独力でそれを確立したものもいただろう。だが席甲末期においてはいずれの魔女もなんらかの師弟の系譜に属していた。

 在野の、名もわからないような、半端な魔女ならともかく、歴史の一部として残っているような、ひとかどの魔女であれば、絶対に。


   ◆


 見角は藍鉄の第一印象を自らの日記に書いている。

『みすぼらしい女だ。だが今はこの女に頼るしかない』

 藍鉄に関する最初期の記録は見角によるものしかないがだいたいにおいてずっとこの調子である。


   ◆


 魔女は生まれついて魔女というわけではない。魔女によって素質を見いだされた女児が鍛えられて魔女になる。

 大昔には魔女は子をさらって自らに弟子にしたという。けれども多くの場合、金銭によって子を買い取ったものと思われる。魔女は金を持っていたから。あるいは大抵権力と結びついていたからそっちの方面から圧力をかけるこもとやったかもしれない。

 なんにしろそれに逆らえた人たちほとんどいなかっただろう。まあ拒否したところで魔女の素質があると認定された時点で通常の社会で生きることはできなくなっていたわけだが。魔女に見初められたものは魔女になるしかなかった。


   ◆


 翔覧は魔女として大成しなかった。その大いに栄えた時代が終わりかけていたせいでもある。ただし師に関する記録をまとめたために歴史に名を残している。この記述も彼女の著作に大きく依っている。


   ◆


 『幽遠の隅』が発表されたのは藍鉄の死後100年たってからだった。少なくともその頃には人間と魔女の間に恋愛は成立する可能性がある、と人々はぼんやり考えられるぐらいになっていた。

 人間と魔女の力の差はかなり縮まっていたし、そもそも魔女が稀少になっていてその存在を現実的に捉えることができなかった。より正確に言えばその歌劇につながる伝承が生まれる時期には人間と魔女の恋愛を人々は想像していた。それが実際に発生したのかどうかはさておき。


   ◆


 特に書くことがなくとも1日2000字ずつ書いてみる。この数字に特別な意味はない。そういうものだ。


   ◆


 見角は輝成を深く信頼していた。輝成もまた見角を自分の手で抜擢した以上、その能力についてはひとまず信じていたと考えていい。ある時点までは、それがどこなのかは人によって見解の別れるところだが、彼ら2人は同じ目標に向かって動いていた。

 例えどれだけ頻繁に言葉を交わしたとしてもそこに齟齬は生じてくる。はじめはひどく小さなものだっただろう。それが時の流れとともに、誰に望まれるでもなく、大きく育っていった。


   ◆


 師としての藍鉄の評価は低い。ただ一人の弟子である翔覧が魔女として大した仕事をしなかったというのがその理由である。これについては否定のしようがない。

 けれども翔覧は魔女衰退の時代を生き延び無事に天寿をまっとうすることができた。あるいはこれは彼女が下手に優れた魔女でなかったことに由来するのかもしれない。その頃にはすでに魔女の役目は終わり始めていたから半端な力を持っていることは逆に危険を招く可能性があった。

 藍鉄が何を考えていたのかはわからない。

 翔覧自身はその著書において『師匠は熱心に魔女の技術を教えてくれなかったが、こうしてずっと後になって振り返ってみると、人間として生きていくのに必要なことはしっかり教えてくれていたような気がする。そのあたりを意図してやっていたのかはもう確かめることはできないことだ』と書いている。


   ◆


 荒野に1本、塔が立っている。

 色は黒。高さは天まで届く、とは言えない。遠くからそのてっぺんが見えている。

 近づいてみればわかるが正確にはそこは荒野ではない。塔の根元にはうずたかく瓦礫がつみあがっている。

 都市の破片。それらはいずれもっと細かな粒となって砂と変わることだろう。

 いつかはわからない。けれどもいずれそうなるのだから、その場所が荒野であると言って差し支えない。

 そうして時間の問題と言えば、その塔が崩れるのも時間の問題と言えた。

 風が吹けばゆらゆらなびく、地が揺れればぐらぐら震える。その度に外壁がはがれて瓦礫を増やす。

 いつか、いつか、いつか!

 それが起きることがいくら決定しているとしても人間には捉えることができない。私たちの時間の尺度では観察する気になれないものだ。だから私たちは結果だけを眺めることになるだろう。

 荒野がある。砂の粒がつみ重なっている。

 子細に拾い上げて検討してみてもそこに作為を見つけることはできない。自然がそれらすべての痕跡を消し去ってしまった。まったく丁寧な仕事ぶり。

 人間が何かを残そうと思ったらだれかが手を加えつづける必要がある。

 どんなに頑強に作ったところで長い時間には耐えられない。更新してやらなくてはならない。そうしてその更新を受け持つのもまた人間でないといけない。

 きっとそれはそのうちに忘れ去られてしまう。

 けれども――そうしたずっと先のできごとを私たちが十分に想像できないとしたら、永遠は存在すると認識してしまっても構わないのではないか? 多分そうだろう。

 永遠はある。ただしそれはひどく脆い。


   ◆


 一度人間から外れたものはもとのところに戻ることができないのだろうか?

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